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「怖い絵」展に行ってきました&「作品の背景」について

 「怖い絵」展の兵庫展に行ってきました。お付き合いくださった方々ありがとうございました。
 写真は兵庫県立美術館の上のカエル。

兵庫県立美術館

「怖い絵」展

 中野京子氏の「怖い絵」シリーズを元にした絵画展示会です。
 私はSNSで見つけて、後から書籍の事は知りました。本格的な絵画展示会は初めてと言っても良いのですが、美術だけじゃなく歴史の勉強になる展示会でした! (なお高校で美術も歴史も選択していないど素人です。親の高校の教科書とかを子供の時に読んでいた程度)

 兵庫展は9月18日まで。
 平日のお昼前頃に到着しましたが、かなりの人…。音声ガイドを借りるだけで10分以上並びました。でも、絵や歴史に疎い人ほど音声ガイドおすすめです。
 公式からもアナウンスがありますが、これから行く人はできれば平日に。

 混んではいましたが、2時間半程度かけてゆっくり並んでいればじっくり観る事はできました。並んでいなくても空いている所から見て、混んでいる所は後ろから観る、という方法もOK(無理に割り込まなくても、隙間ができれば近くで観れます)。
 なかなかボリュームがあって見る価値ありました。同行者にも満足していただけたようで何より。

絵の感想

 前述の通りど素人なのでただの感想。
 やはり一番インパクトあるのは『レディ・ジェーン・グレイの処刑』! (とその横の解説パネル&会場を出た後休憩場所で流れている映像) 長居しているとどんどんしんどくなってきます。
 本展示会で一番大きい絵だし、額縁も立派…。額縁が見れるのは、実際に展覧会に足を運ばないとできない特権ですね。

 個人的には第3章「異界と幻視」、第4章「現実」の展示が私の性癖に刺さる刺さる…。『手袋』のブックカバーを買ってしまいました。
 切り裂きジャック関連の絵が他にもあるかな、と期待していたのですが、サイトで宣伝されている一枚のみだったのが残念。ところがその絵、私も同行者も(私含めて5人)解説と描写を一致させる事ができず、結局どう見れば良いのか解りませんでした…。つまり、解説で「描かれている」と言われているものが何一つその絵の中に見出せず(ある人は解っても他に人にはそう見えなかったり)…音声ガイドもあったのにな…。

 あとは、ムンクの『マドンナ』、モッサの『彼女』がお気に入りです。ムンクは『叫び』のイメージが強く、良さがイマイチ解らなかったのですが、今回改めて何故彼が評価されていたのか解った気がします。
 細かい点ですが、アントワネットの胸元のレースや、クレオパトラの腰布などの描写が良い。本当に写真みたい。ただただ技巧に感心しました。

 「怖い絵」というタイトルについては、ちょっと同行者と首を捻ってしまったところ。私も同行者も、「一番怖かった作品は何か」と言われると首を傾げてしまう…。
 怖い、だけじゃなくて悲しいとか、気味が悪いといった感情がしっくりくる作品も多かったです。栄枯盛衰やカタストロフィが当たり前すぎるので、歴史や物語の背景は面白いが、それで感情が揺さぶられるか、と言われるとそうでもないものもあったり。

幻視と現実、作品と背景

 なんにせよ、作品の背景を含めて鑑賞するという事はとても大切だと思います。知らなければ「綺麗な絵だなあ」で済むものが、知れば深みが増す、場合によっては気味が悪くなって作品を直視できなくなる、という事を知ってもらうのは、まさにこの展示会の意図するところでしょう。

 私も現実を元ネタに風刺作品を書いたり、ただただ自分の空想を深めてフェチシズム満載の描写をしたりします。基本的には作品の裏には何か作者の意図が隠されているのです。
 最近は解りやすい歌詞の曲の方がヒットしやすい傾向にあります。福山雅治氏も(多分『家族になろうよ』のリリース時だったと思いますが)テレビで「わかりやすい詞の方が最近は聴かれるようなので心掛けた」というような旨の事を仰っていた記憶があります(ソースが見つからなくて申し訳ない…)。私自身の体感としてもそれは正しいですが、それはつまり、「その歌詞には何の含みもなく、表に出ている言葉が全て」というものがよく売れている、という事ではないのでしょうか。

 逆に言えば、最近の聴き手(に限らず、作品を鑑賞する側)には、もはや作品を「鑑賞する」事さえ、できていないのではないでしょうか
 既に作品は、鑑賞されるものではなく消費されるものになってしまっているのでしょうか?

 私は(力量不足でよくそうなってしまいますが)散文と区別がつかない、説明的な歌詞が好きではありません。これは時代のニーズとは逆走する方向なので、随分悩みましたが、多分今後も向きを変えないと思います。

 話が逸れましたが、こうやって背景や意図を探る鑑賞者が減っている、という点は非常に嘆かわしいです。
 もしかしたら、鑑賞者の退化よりも、芸術を商業化してしまった制作者が「鑑賞に値する」作品を世に出さなくなってしまった方が先かもしれませんが…。

 もちろん、全ての作者が作品を作った経緯を説明・解説する訳ではありません。今回の展示の説明だって、第三者である研究者が時代背景などを調査して突き止めた結果を解説しています。でも、鑑賞者も、研究者も、それが醍醐味なのですよね。
 制作者側も、ちゃんと他者に思う所が伝わる事が醍醐味です。

 じゃあ最初から説明的な描写で良いじゃないか、と思うかもしれませんが、説明で物事を伝えたい人はアーティストではなくサイエンティストやスカラーになるんですよね。私は両立していますが、実は芸術家と学者には共通する点が多くあります。私の様に両立している人も少なくありません。
 なんでアートにしなければいけないか、と言われると、難しいのですが…。例えば政権批判など、説明的に明示してしまうと身の危険があるものは、オブラートに包み、それを鑑賞できる人にだけ伝わるようにする、という手法は、きっと歴史上でも多く使われてきたことでしょう。

 それから、「怖い絵」という題についての所でも書きましたが、人の感じ方はそれぞれなので、それを問題の答えにするのは良くないなあと思ったり。
 例えば国語の問題で「この時の作者の気持ちを書け」とかあるじゃないですか。あれ、試験問題にされた作者がたまに「自分でも解けなかった」とか言ったりしてますが、本当に無意味な質問じゃないかと思うんですよね。どちらかというと、作者の生きた時代背景や、作品の舞台となる時代や場所の背景事実を勉強や推量させて、作品そのものに込められた「意図」を理解させないといけない気がします。
 作者の制作時の感情と、作品に込められた意図は一致しない事も多々あります。勿論、作風や描写にもろに影響してくる部分ではあるのですけれども。

 なんだか長くなってしまいましたが、「作品の鑑賞」を手引きしてくれる展示会でした。
 他の展示会でも解説文はついていますが、読まずに作品を眺めるだけの人も多いのではないでしょうか。今回は、その解説の重要性を大々的に明示してくれた点で、非常に良かったと思います。