第5章:いのち

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「今日はまた、良い獲物だったなあ」
 襲撃が終わり、皆は戦利品を仕分けしていた。ネスターはいつもの様に、汚れた服を脱ぎ捨てて水を浴びている。
「ネスターも何か取れよ! 倉庫に入り切らねえぜ、これ」
 体と髪を拭き、別の服に着替えてネスターもその輪の中へ。
「俺は本だけで良いよ」
「まあまあそう言わずによ。お前がいなきゃ勝てるか微妙な相手だったし」
 一人が労いとして酒瓶を強引に渡す。ネスターはコルクを抜いて、その場でラッパ飲みした。誰も咎めはしない。既にカールだって仕分けを後回しにして酒盛りをしている。
 焚き火の作る影がゆらゆらと蠢くのを見ながら、三分の一ほど飲んだら酒が回ってきたので、その残りと戦利品の中に混じっていた本を拾い上げて自分の馬車へ戻ろうとする。
「兄貴!」
 すると、少し離れた場所でヴィクトーと遊んでいたマーカスが彼を呼び止めた。
「おとうさんしごとおわった?」
 ヴィクトーも父の姿に表情を輝かせる。その顔が可愛くて、ネスターは一瞬その頭を撫でようと手を伸ばしたが、すぐに我に返って引っ込めた。
 今日だって、何人も殺めたこの手で愛する者を抱くというのか?
「ああ。疲れたから寝る」
「あっ、待ってよ…」
 ジャクリーンとちゃんと話をしてヴィクトーを守ってくれ。ヴィクトーが求めているその手で彼を抱いてやってくれ。そう言いたかったマーカスの事は無視して、ネスターは馬車に入って行ってしまった。
 馬車の中ではジャクリーンが一人で酔い潰れていた。
「ジャクリーン」
 机に突っ伏している妻を揺り起こす。ジャクリーンは機嫌が悪そうに身を起こすと、ネスターの持つ酒瓶を奪い取って飲んだ。
「またヴィクトーを叩いたな? ヴィクトーが何をした?」
 先程息子の顔に痣が増えている事に気付いたネスターは問う。
「私の物を勝手に触ったから、躾だよ」
「お前は伯父さんや伯母さんに顔が腫れ上がるくらい叩かれた事があるのか?」
「そりゃ、私は良い子だったからねえ」
 あっという間に酒を飲み干し、再び寝入ってしまう。ネスターは首を横に振ると、妻をベッドに寝かせて自身もその隣に横になった。

 明け方、マーカスが帰って来た音がした。盗賊の活動時間は夕方から明くる日の明け方にかけて。日が昇るこれからの時間は、見張りを除いて全員が眠りにつく。
「兄貴、見張り当番だよな?」
「ん? ああ…」
 ちゃんと自分で起きるつもりだったが、マーカスに起こされて目を覚ます。支度をして外に出ると、もう皆も寝る支度をしに馬車の中に引っ込んでいた。
 ラザフォード一族は魔法使いの一族でもある。そもそも、これ程の大盗賊の寝込みを襲おうというような者は滅多に居ないが、念の為、毎日誰かが皆の馬車を見えなくする魔法を敷き、護衛に当たるという事になっていた。
 ネスターは各馬車の周りに魔法陣を敷いて魔法をかけていく。ふと思い付きで、この前本で読んだ、音を遮断する魔法もかけてみた。基本的に皆寝ているので必要ない物だが、これによって気配を更に殺せるならそれに越したことは無い。
 全ての馬車に魔法を掛けると、ネスターは荷物を積んだ馬車の上に飛び乗って見張りを始めた。

 それは昼過ぎの事だった。ヴィクトーは二段ベッドの下段で眠っていたが、なんとなく目が覚めてしまった。
 二段ベッドの上ではマーカスが寝ているが、ヴィクトーは喉が渇いていたので両親が寝ている筈の車へ、馬車の繋ぎ目を通って移動する。
 流しは繋ぎ目のすぐ隣、両親達の寝室との間にあり、扉も無く音は筒抜けだ。ネスターが結婚してからは、マーカスの車の方には扉が付けられ、物音はそこである程度遮断されるようになっていた。
 流しには簡易的な蛇口もあり、溜め込んだ水を好きな時に出せるようになっている。だが二歳のヴィクトーには到底届かない高さだ。
 ヴィクトーは初め踏み台になりそうな物を探したが、勝手に物を触って怒られたばかりだ。父に注いでもらおうと両親のベッドに行くと、母だけがそこで眠っていた。
「おとうさん?」
 当番制の見張りについて理解していないヴィクトーは不安な声を出す。
「おとうさん!」
 その声にジャクリーンが目を覚ます。
「おかあさん、おとうさんどこ?」
 当初の目的を忘れたヴィクトーは尋ねる。自分の助けを求める眼差しに、ジャクリーンの中で何かの糸が切れた。
 ヴィクトーは日に日にネスターに似てくる。目の色こそ母親の自分に近いが、その形や顔立ちは幼い頃のネスターそのものだった。
 そんなヴィクトーは、いつもいつもネスターの事を慕う。絶対に自分からは息子の事を抱こうとしない父親の方を求める。
 そのくせネスターが居ない時はこうやって自分に縋り付いてくる都合の良い生き物。
「ネスターは私の事なんて見た事無い…」
「?」
 ジャクリーンはとうに知っていた。ネスターは一度も彼女の事を特別に思った事など無いという事を。どれだけ彼女がネスターやヴィクトーを傷付けても、一度も彼女の寂しさを認めてくれはしなかった。彼女がどれだけネスターの事を好きか理解しようともしなかった。
(なのにこの憎らしい子供はこんなにも真っ直ぐ私を見る!)
 気付けば彼女の手は幼い息子を掴み上げ、床に叩き付けていた。

 ネスターは自分の馬車からヴィクトーの叫び声が上がった気がして振り返った。
 音や姿を消す魔法は術者本人には効力が無いので、ネスターには他の馬車の姿は見えている。だが、魔法が上手く効いていれば他の馬車で眠る者達には今の声は届かない。ネスターは胸騒ぎがしたので、馬車の上から飛び降りると自分の馬車へと戻る。
 扉を開けると、ジャクリーンが何か喚きながら、泣き叫ぶヴィクトーの髪の毛を掴み、馬乗りになってその頬を殴っていた。
 その尋常でない表情の横顔を見たネスターは悟る。もう、話し合いでどうにかなるレベルではない。
「お前いい加減にしろ!」
 一先ずヴィクトーを取り上げなければ彼の命が危ない。咄嗟にネスターはテーブルに置かれたままだった酒瓶を掴むと、ジャクリーンの背後から振り下ろしていた。
 鈍い音が馬車の中に響くと、途端に馬車の中は静寂に包まれた。ネスターの振るった一撃はジャクリーンの後頭部を仕留め、倒れ込んできた母親の下敷きになったヴィクトーは泣くのをやめた。
 ネスターは無我夢中でヴィクトーをジャクリーンの下から引っ張り出して抱き締める。手に握っていた酒瓶が床に落ちた音で我に返る。
 たった今、彼は妻を殺した。
(…俺は悪くないぞ…)
「見るな」
 幼いヴィクトーを胸に抱く腕が震えだす。
(こいつがヴィクトーを殴るから悪いんだ…)
 いつかこうなるのではないかとずっと恐れていた。自分は手加減が出来ない。それは子供の時から勘付いていて、だから情け容赦無く撃つ事が出来る狩猟の仕事を引き受けていた。
 全ては両親が死んだあの日からだ。ネスターは死というものを理解出来なかった。何故、皆は両親の死を当たり前の様に言ってのける? 何故、それを聞いた自分やマーカスは、発狂せずに暮らしていける?
 この悲しみや怒りの様な疑問を何処にぶつければ良いのか。ネスターは人も動物も殺して、殺して、その答えを見つけようとしたが解らなかった。
 そして挙句の果てに息子の母親をこの手で殺した。
「…おとうさん?」
 呼ばれたネスターは再び我に返る。
(逃げなきゃ…)
 きっとまだ気付かれていない。最初に起き出してくる女集達が目覚めるまで、三、四時間という所だ。その時に魔法探査でも居場所が知れない場所まで離れなければ。頭領の娘を殺したとなれば、ネスターだけでなくヴィクトーやマーカスまで最悪殺されかねない。
「静かにして待ってるんだ」
 ネスターはヴィクトーを下ろすと妻の死体を担いで馬車を出た。頭上で太陽が燦燦と輝く森の中を暫く進む。
 ネスターは流れの速い川を見付けると、ジャクリーンをその川に放り棄てた。その姿が見えなくなるのを確認した後、急いで馬車に帰ろうとした時、茂みから物音がしてネスターは反射的にそちらに銃を構えた。
 立っていたのは金髪の青年だった。どうやら旅人らしい。
「おお…銃を下ろしてください。今見た事は誰にも話しませんから」
 少し訛ったエスティーズ語で彼が話す。ネスターは拳銃を下ろさなかった。
「吟遊詩人か。なんでこんな所に居る」
「貴方に会えとの『黄金比の書物』のお達しです」
「なんだそれは」
 ネスターは無視して、馬車へと戻ろうとする。今は何も考える余裕が無かった。旅人に害意は無いようだし、やり合うのも面倒だ。
「私は数年後、貴方の目の前で殺されます。見せしめの為に」
 ネスターを引き留める様に彼は言った。
「だから何の話だ?」
「貴方は『愚者』にはならないで下さいね」
 そう言って、燻し銀の十字架が付いたネックレスの様な物を差し出す。
「『ロザリオ』です。貴方と貴方の息子さんに神の御加護がありますよう」
 ネスターは鼻を鳴らしたが、ほぼ無意識にそれを受け取っていた。
「既に十分愚か者だ」
 ネスターはそう吐き捨て、馬車へと急いだ。
「おかあさんは?」
 ネスターはそう尋ねるヴィクトーを再び抱え上げ、逃げる支度を始めながら言った。
「忘れるんだヴィクトー…お前は俺だけの子供だ。母親なんて居ない」

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