第3章:おばあちゃんの遺したもの

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 おばあちゃんは死の床で僕に囁いた。
『ずっと内緒にしてきたことがあるの』
 ピアノの椅子の中に、私の宝物が入っているの。簡単には開けられないわよ。
 そう言って、笑って、幽世へと旅立って行った。
 僕はお葬式から帰ってくるなり、その椅子を調べ始めた。よく見れば、天板が開いて中に楽譜を仕舞えるタイプの物だったが、金具がびくともしない。魔法の鍵がかかっている。
 物理的に破壊する手も考えたが、これも形見の一つだ。それに、中に入っている物まで壊したら後悔してもしきれない。
 鍵のヒントくらい教えてくれたら良かったのに、と思いつつ、生前の祖母の言動を思い返す。昔住んでいた島のお話、生き別れのお姉さんの心配、早死にした祖父や大伯父の事、ピアノは得意だからと自ら教えてくれた事――
 そうだ。床に伏せるまで、繰り返し教えてもらっていた曲がある。あまり有名な曲ではなかったし、今の自分の腕には難しかったのだが、一日でも練習をサボろうものなら部屋に入るなり叱責が飛んでくるほど熱心に教えてくれていた。
 試しに冒頭だけ弾いてみる。注意深く魔力の流れを探れば、確かに反応があった。
 しかしそれは、弾き間違えた途端に消えてしまう。
『……これ、最後までノーミスで弾かないと開かないのかなあ……』
 絶望。やっぱり叩き壊すか? そう何度も思いつつ、半年後にやっとその蓋が開いた時、僕は自分の選択に大いに満足したのだった。
 そして、あの島で起こった全ての事を知った。

「こっこれは――社製の百五十年物! 鍵盤も全て揃っている! お目にかかれるとはなんという至福~~~」
「バレンティンが被虐以外で達しているのを見ると、なんだか逆に気持ち悪さが増しますね」
 バレンティンとジャスティンが調律具を持ってやって来た。その隣で、私はずっとドランクのレッスンを受けている。
「八十年前に――地方で起こった紛争の結末は?」
「えーっと、えーっと、――側が勝った……?」
 ドランクの視線が一瞬鋭くなり、ややあって瞼を閉じて溜息を吐く。
「反対。戦死者は確かに――側が多かったけど、最終的に統治権を得たのも――。その理由は――」
「そんなに細かく覚えられるか!」
「覚えてよ~。このくらい基礎の基礎なんだから~」
「確かにちょっと細かすぎよ。貴方は、物事の因果関係や理屈から結果を導き出す方が楽なのかもしれないけれど、世の中、本質が掴めずとも暗記してしまう方が楽だという人も多いわ」
 ロゼッタが助け舟を出してくれる。
「ママ……」
「は~いママよ~」
 そして彼女は「ドランクの不倫相手兼私の実の母親」役にノリノリだ。
「はいはい。でも、とりあえずこの地方と、僕の実家付近の大まかな歴史は押さえといてよ。フェリちゃんくらいの年齢なら、生まれ育った土地の事や、ご先祖様が何をしてきたのかは、ある程度知ってるものだからさ。貴族令嬢じゃなくても」
「全然知らない遠い土地を旅してた、って事にすれば良いと思うんだが?」
「『お父様、馴染みの無い遠い国々を旅していた、という設定にすれば良いのではないでしょうか?』。はい、言い直し」
 私はむくれた。一切怒りはしないが、ドランクの指導は厳しすぎる。内心は私の覚えの悪さに苛立っているんだろう。漏れ出る不機嫌さがニコラを怯えさせていた。
 私だって、いつも一生懸命だったのに。
「妹の孫を『お父様』なんて呼べるか」
「僕だって大伯母さんを子供扱いしたくないんだけど」
 カッとなったが、ぐっとこらえる。ドランクに頼んだのは私じゃないか。ドランクが仕事に対して人一倍厳しいのも、知っていただろ。
「ちょっと奔放な方が、今時自然かもしれないわよ。ベアトリクスだってそうじゃない」
「それとこれとは訳が違うよ」
「随分厳格ね。そう見られたい理由でもあるのかしら」
 ロゼッタとドランクが睨み合う。ニコラはすっかり震え上がって、私のスカートの中に隠れてしまった。
「自分の上に立つ人間は、荒唐無稽な人よりは、少し厳しくてもまともで知識のある人の方が良いでしょう?」
「あら、まさかこの島の領主に返り咲くつもり?」
「そこまでは。でも、突然此処に住み始めた人間が、貴族にしては振る舞いが粗暴で、本来持っている筈の知識も覚束無いとなれば、騙っているんじゃないかって怪しまれるでしょう? 一度怪しまれれば、僕達だってやってる事は村を再開拓してる人達と一緒で乗っ取りなんだから、この屋敷を取り戻すハードルがぐんと高くなる」
「最悪アオイドスに買い戻してもらう」
「それじゃ多分遅い」
 自棄になって呟いた言葉は、低い声に否定された。遅いって、何が。
 金色の瞳が、工具を持ったバレンティンを見る。
「調律が終わったら、ピアノの練習だからね」
「そんなの、夜になるぞ?」
「蓋を閉じたままなら村までは聴こえないよ」
 ドランクは広間を出て行ってしまう。私がその背を黙って見ていると、ジャスティンに肩を叩かれた。
「調律、まだかかりますので、キノコ狩りにでも行きませんか」
「キノコ?」
「トラモント茸という絶品が生えている筈だと、ベンジャミンが」
「良いじゃない。息抜きに二人で行ってきなさいな」
 ロゼッタにも背中を押され、私は曖昧な気分のまま頷いた。


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