第10章:アルバートという男

  • G
  • 2365字

 マーカスにその依頼が来たのは、テラから宇宙船が飛び立った後間もなくだった。
「人間が『黄金比の書物』を造った?」
 マーカスはその情報を持ってきた少女にオウム返しで確認した。
「正確にはそれに準ずる物。造ったのも、ただの人間じゃなくて…」
「『愚者』か」
 少女は頷いた。
「私が教育する予定だった『賢者』なんだけど、私が行った時にはもうかなりの部分を造ってた。最初は違う目的の為に作ってたみたいだけど、知らずに『書物』の事を教えたら、最後のピースを嵌めたみたいで…」
「…俺に始末して来いってか」
 少女は再度頷く。マーカスは頭を掻いた。
「なんでお前が行かないんだよ」
「解るでしょ? 私は最初の判断をミスったの! …じき何かしらの制裁を受けると思う」
 アリスは俯く。マーカスは顔を強張らせた。『書物』が課す制裁、それは殆どの場合、誰かの死だったから。
「…人工『書物』の動力は何だ?」
「お察しの通り、『賢者』の力だよ。彼は自分の力を彼の『肉体』から分離して物質に定着させる事に成功した。彼にはもう不老長寿の状態を保てる力は残ってないから、寿命が来れば死ぬけど…」
「人工『書物』やその技術が他の愚者に渡ると厄介なのか…」
「そういう事。気を付けてね。貴方は『愚者』とは思われてないけど、『賢者』として信用されてる訳でもないのよ」
「解ってる。あわよくば死ねと思われてんだろ」
 最期となるだろう挨拶をして去ろうとしたアリスに、マーカスは尋ねる。
「『書物』をもう手に入れてるなら他の愚者と協力して対抗する事だって出来るだろう? そいつの目的は何なんだ?」
 アリスは苦笑する。
「行けば判るよ」

 マーカスは依頼された通り、件の『愚者』を探してテラへと降り立った。
「アルバート・トランケルと面会したいんですが」
 トランケルの後輩を装い受付嬢に尋ねると、あっさりと呼び出しを掛けてくれた。
 暫くして本人が玄関ホールに姿を表す。マーカスの姿を見て、アルバートの方も理解したようだった。同類の臭いはするものである。
「よく来てくれたね。早速僕の研究室に行こう」
 人が行き交う廊下を並んで歩きながら、マーカスは相手の腹の中を探る。
「一体どういうつもりだ?」
 周囲の人間を巻き込むと面倒だ。それはお互い様のようで、アルバートも武力行使はせずに返す。
「まあ、やってみたくてやってみたら出来た、って感じだよ」
 癖のある話し方にマーカスは眉を顰める。
「アリス・タテヤマが僕に会いに来る前から、僕に変な力があるのは知ってたよ。さあ、此処が僕の部屋だ」
 アルバートはある扉を開けると、マーカスを招き入れた。
「汚いけど、とにかく君にも僕の造った物を見せてあげるよ。ヴィクトー・ラザフォード?」
 受付で名乗った名前と違う、本名を呼ばれてマーカスは閉口する。まだ少しは力を身体の方に残しているのか。
 部屋は小さく、書類やら部品やらが乱雑にそこら中に積み上がっていた。典型的な、片付けが苦手な研究者の個室だ。マーカスは、自分がまだ自分の生まれた星にいた時、この様な研究室を幾つも目にした事がある。
「これだよ。僕の力を入れてある。君は『神』が造った本物を見た事があるのかい?」
 興奮した口調で話すアルバートに、マーカスは困惑した。
 彼はマーカスがこれまでに出会ったり、人伝に聞いた『愚者』とは全く違う動機で動いていたからだ。
 この世界の法則は、全て『黄金比の書物』というものに定められている。その書物に従い、世界のあらゆる事象を調整するのが『賢者』の役目。その役割を拒否し書物の破壊を目論む者達を『愚者』と呼んでいる。
 だが、アルバートは書物を破壊しようとは思っていない。それどころか、崇拝し、その模造品まで完成させている。
 …敢えて言うなら愉快犯だった。
「…動かした事があるのか?」
「僕の質問に答えてよ。いや、この程度のサイズというか、僕の力程度じゃ到底世界の物理パラメータなんて変更出来ないよ。ただ…」
 笑って否定しつつ、アルバートは壁のモニターを見た。丁度、アルとアイが中継で観測成果を発表する時間だった。
「力さえあれば物質に『魂』を定着させる事も出来るみたいだね。機械に意思を持たせる事は出来た」
 マーカスはモニターの中のアルを見て唾を飲み込んだ。
「あれに搭載したのか」
「そうだよ。隣の女性型ヒューマノイドとは表情や話し方が雲泥の差だろ? きっと表情筋の部分を良くすればもっと人間に近くなるよ」
 机の端により掛かり、うっとりしたような目でモニターを見詰めるアルバートに、マーカスは問うた。
「お前、賢者[こちら]側になる気は無いのか?」
 アルバートは表情を変えずにマーカスを振り向く。
「お前は確かに賢者側にとって驚異的だが、かと言って愚者側に付いた訳でもない。此方に付いて協力してくれるなら多分お前の処分は…」
 アルバートがフッと笑った。マーカスは言葉を切る。
「君、僕を処分しに来たんだよね? 覚悟してないの?」
「…俺はもう人を殺さないって覚悟をしてんだよ」
「ふうん? でも君は『闘争の賢者』だよね? 君が弄ったパラメータの所為で、もう何千何万と死んでるんじゃない?」
「黙れ!」
 マーカスはカッとなって散らかった床を大股で進み、アルバートの胸倉を掴んで殴ろうとした。
 その手に、チクリと刺激があった。途端、マーカスの指から力が抜ける。
「僕は心理学の研究もしてるんだ」
 アルバートはマーカスの腕から注射針を抜いた。マーカスは痺れ薬が全身に回り、床に膝をつく。
「それにもう遅いよ」
 アルバートは動けなくなったマーカスを引きずり、部屋の奥へ。
「じき、もっと良い扱いするからさ」
 そう言葉を投げかけて、アルバートは用意しておいた賢者の力を封じる道具でマーカスを拘束し、鍵のかかる棚の中に放り込んだ。

このサイトではクッキーを使用しています。
詳細