第3章:交渉

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「じゃ、行ってくるね」
「子供達をお願いします」
 フェリックス達は久々に、今住んでいる南の街から、北区にあるフェリックスの実家に里帰りしていた。夜に開かれるパーティーには自宅からでも間に合うが、双子の中学入学祝いも兼ねて家族四人で一泊させてもらってから旅立つ事にしたのだ。
「「行ってらっしゃい」」
「たまには夫婦水入らずでゆっくりしてきて良いわよー」
「お土産宜しくね」
 フェリックスは両親の言葉に二つ返事をして貸馬車乗り場へ向かった。北の城門までは三十分程だ。
「あ」
 車中で突然ブルーナが声を上げたので、ぼんやりと懐かしい北区の街並みを眺めていたフェリックスは驚いた。
「何? 忘れ物でもした?」
「ううん、私達が誘われてるなら、ヴィクトー達も誘われてないかなと思って」
「そりゃ確かに」
 相乗り馬車で安く旅をしても良いが、三人以上なら一つ馬車を貸し切ってもそれ程高くはつかない。貸切の方が道中気兼ねなく話せるので、北門まで直接行くのはやめてヴィクトーの家に寄る事にした。

「だーかーら! 連れてかないっつってるだろ!」
「…何やってるのかしら」
 貸馬車を降りてヴィクトーの住む北門職員の寮に向かうと、ヴィクトーが玄関先で中学生くらいの少女を怒鳴りつけていた。
「お?」
 まとわりつく彼女と格闘していたヴィクトーが二人に気付く。フェリックスが片手を挙げて挨拶した。
「久し振り。元気そうだね」
「お陰様でな」
 人が来たので大人しくなったルークリシャを引き剥がし、ヴィクトーは建物の外の階段を下りてくる。
「やっぱりお前等も呼ばれてたか。車出してやるからエリオットの家まで来いよ」
「え、乗せてくれるの?」
「安全だけど金がかかる方か、多少のリスクはあるが速くて金がかからない方か。どっちが良い?」
 コリンズへの地下トンネルは換気が悪いので、排気ガスを出す車の通行は禁止されている。トンネルを馬車で行くより森を車で抜ける方が速いが、その安全性には雲泥の差があった。
 フェリックスは少し迷ったが、ヴィクトーが彼等の元に着くまでには決意した。
「車。早く着いたらコリンズの観光もしたいし、あんたの腕を信用するよ」
「運転の? 射撃の?」
「どっちも」
 フェリックスとヴィクトーは笑い合う。
「ところで、またちょっと大きくなったね、ルークリシャちゃん。もう四年生だっけ?」
「お久し振りです」
 兄の友人に駄々を捏ねている所を見られ、赤面しつつ返す。
「前に会ったのは皆で海に行った時だったか?」
「そうそう」
 エリオットの家は近い。四人で歩きながらそんな会話をする。
「うあ、思い出したくねーわその話」
 ヴィクトーは数年前の海難事故を思い出して話題を逸らす。
「お前んとこのチビ達は?」
「今年から中学よ」
 ブルーナが答える。
「そうか。早いな」
「あんたは結婚しないの?」
 フェリックスの言葉に内心焦ったのはヴィクトー本人だけでは無かった事は言うまでもない。
(お兄ちゃん、付き合ってる人居るの!?)
「…相手がなー…って言わせんなよ!」
 ヴィクトーが適当に誤魔化し、ひとまずルークリシャがホッとしたたところで、エリオット宅に到着する。
「パパただいまー」
「お帰りー」
 エリオットの家では彼が一人で新聞を読んでいた。彼は数年前のラザフォードの襲撃の際、左腕を負傷して既に退官していた。今は退職金と、妻のローズバッドの収入で慎ましく暮らしている。
 左手で細かい動作や薄い物、小さい物を掴む事が出来ないので、新聞を机の上に大きく広げ、コーヒーカップがテーブルの反対側にあった。
「お、フェリックス君にブルーナちゃんじゃないか」
「お久し振りです。お体の方はどうですか?」
「ま、良くも悪くもないよ。どうぞ座って」
 エリオットは新聞を片付け、二人の客人に椅子を勧める。
「今日はどうしたんだい? 皆で大荷物持って」
 ヴィクトーが手早く事情を説明した。
「って事で、車と銃を貸してくれ」
 ヴィクトーは銃器の取り扱い免許を持っていない。無免許での銃器の単純所持は違法だが、国外に出る際に道中携行する事は罰則の対象外だ。勿論、国の外に足を踏み出してしまえば、ウィリアムズ国の法律は一切効力を持たない。
「なるほど。銃はいつもの場所だ、鍵持ってるだろ。車の鍵は何処へやったかな…」
 エリオットが車のキーを探しに部屋を出る。テイラー夫妻にお茶を出すと、ヴィクトーは車と武器の準備をしに家の裏の倉庫へと向かった。ルークリシャがその後を追う。
「ねね、いつまで行くの?」
 車庫兼倉庫の鍵を開け、中にある大きな金庫の前にしゃがみ込んだヴィクトーが眉を顰めた。
「まあ遅くとも明日の夜には帰ってくるよ」
(そういえば明日仕事じゃん。トレイシーに代わってもらうか)
 金庫のダイヤルをルークリシャに見せないようにしながら開ける。勝手に中の銃器に触って怪我をしたら大変だ。ヴィクトーの部屋の合鍵を作ってしまうような娘だから、普通の鍵の金庫では危ないと思ってダイヤル式にして正解だった。
 しかしルークリシャは銃についてはどうでもよく、再び交渉に入った。
「じゃあ学校も休まなくて済むね♥」
「連れてかないけど? ほら、危ないからじゃれるな」
 ヴィクトーは取り出した銃を車の横に並べると金庫を閉じる。ヴィクトーが銃を手放したのを見計らってルークリシャは彼の背中にしがみ付いた。
「連れてってよー! 国の外見たーい外国見たーい!」
「駄、目。」
 即答したがルークリシャは諦めない。
 ルークリシャはヴィクトーの傍から離れたくなかった。なんとなく、彼が国の外に出たら、そのまま手の届かない遠い人になってしまう様な気がしていた。
 けれどそんな弱気な本音をぶつけたって、笑い飛ばされるか、彼を不安にさせるだけの様な気がした。
 一方ヴィクトーは抱き付く妹の腕から逃れようともがきながら溜息を吐いた。国の外に出ないまま一生を終える事が多いウィリアムズ国民が、機会を得て外に出たがる気持ちは解る。
 しかし、彼等は車で移動するのだ。昼間の数時間の内に襲われる確率は低いが、万が一の事があったら…。
「何と言っても駄目~」
「じゃあキスしてくれたら諦める!」
 ヴィクトーは背中に引っ付いていたルークリシャを体の前に持ってくると、その頬に口付けた。ルークリシャはその対応に憤慨する。
「ほっぺじゃなくて口に!」
(このマセガキめ…)
 ヴィクトーは一瞬どうすべきか悩んだが、連れて行って一日二日面倒な目に遭うよりも、今満足させて向こうでは身軽に行動出来る様にしておく方が得だと判断した。
 ヴィクトーが自分を掴まえる手に力を込めたので、ルークリシャは体を固くした。まさか本当にキスしてくれるとは思っていなかったので、心の準備が出来ていなかったのだ。
(えっ、ちょっ…)
 怖じ気付いて抵抗しようと思った時には、彼は彼女の首元を支えて上を向かせていた。近付いてくる顔に思わず目を瞑る。
「何やってんの?」
 丁度その時、鍵を見付けた父が車庫に現れた。状況的に、ヴィクトーが無理矢理ルークリシャを襲っている様にしか見えない。エリオットの親バカフィルターを通して見ると、例え世界中が否定しても、悪者はヴィクトーの方である。
「お宅のお嬢さんが『キスしないとコリンズについて行く』って脅すんですよ」
 ヴィクトーが他人行儀に真実を述べた。が、親バカモード全開のエリオットに殴り飛ばされただけだった。
「いってえな! 本気で殴る事無いだろ!」
「そっちは本気でルークリシャに手を出そうとしてただろ!」
「こいつが駄々捏ねるから!」
 ヴィクトーは殴られた頬を摩りながらルークリシャを示す。エリオットも少し頭が冷えてきた。元より娘が(自分よりも)ヴィクトーを慕っているのは承知だし、そこら辺の訳の解らぬ虫に娘を取られるよりはヴィクトーに取られる方がずっと安心だとは思うのだが、父親としてはまだ渡したくなかったのだ。
 それはともかく、エリオットは娘の我儘をどうするか考える。
「ティアちゃん本気なの?」
 父親の問いを勘違いしたルークリシャはいつもの調子で答える。
「私はいつも本気でお兄ちゃんの事が好きよ!」
「そうじゃなくて、本気で行きたいの?」
「ちょ、連れて行かせる気かよ? 甘いなー」
 ヴィクトーがエリオットの手からキーを取って車に銃を積み込む。エリオットは本当にルークリシャに弱い。手負いの獅子状態の自分を更正させた経験があるにも係わらず、彼はこの少女一人を黙らせる事すら出来ないのだ。
「外国を見るのは良い経験になるよ。但し、絶対ヴィクトーの側を離れない事。国の外は危ないからね」
 エリオットはたった二回だけ、外国へ行った時の事を思い出していた。マイルズの、ウィリアムズとは大きく違う生活様式や文化に触れて、彼はとても自分の知見が広がったと感じた。彼女が行きたいと言うのなら行かせてやりたい。きっと娘も何かを得て帰って来てくれる筈だ。
 それに、そろそろ彼女にも、ヴィクトーの過去を知っても自分で今後どうするべきか判断が付けられるだろう。
「ていうか、招待されてんの俺だけ…」
「どうせ向こうは国城だろ? 部屋も料理も余る程あるだろうし、そもそもフェリックス君達を呼ぶなら子供がついて来る事も想定内だと思うよ?」
「むー…それはそうか…」
 ヴィクトーは運転席に乗り込んで、銃が運転中に取りやすく勝手に移動しない位置に置かれているかチェックしつつ、反論を考える。
「それにね、ティアちゃん」
 エリオットは娘の頭を優しく撫でながら諭した。
「知ってると思うけど、パパは剣術学校を出て直ぐにトレンズとの戦争に駆り出されて、沢山たくさん大砲を撃った。小さな諍いだったからお互い一般市民に被害は無かったけど、軍人さんや兵隊さんは沢山死んで、その家族の人達はとても悲しんだ。パパが無傷で帰って来れたのは、本当に運が良かった」
 突然何の話をしだすのだろう、と言いたそうな目をしているが、ルークリシャは黙って父の言葉を聴く。ヴィクトーも銃を触るのをやめて聴き入った。
「パパはね、ああいう事が簡単に起こってしまうのは、この国が鎖国気味だからじゃないかと思ってる。もっと広い世界を知って、色んな考えや生き方を、理解は出来なくても受け入れて、そういう事ができるようになったら争いはもっと減ると思うんだ」
 そこまでエリオットが話したところで、ヴィクトーは車の中からルークリシャに言い放った。
「さっさと荷物詰めて来い。三十分後に出る」
 その言葉を聞いてルークリシャは急いで自宅へと戻った。ルークリシャが解ったかどうかは定かでないが、ヴィクトーにはエリオットが彼女に国の外に出る事で期待している事が解ったからだった。
「連れてくんなら車なんて言わなかったのに…」
「まあ大丈夫だろ」
 ヴィクトーを信用してのエリオットの言葉が、逆に彼には痛かった。この自分の高い戦闘能力は、紛れもなく、自分が幼少時に正しい人の道を外れて生きてきた証なのだから。
「…エリオットはどう思ってる訳?」
 エリオットが自分達の関係に賛成なのか反対なのか解らなくなったヴィクトーは無意味にエンジンを吹かしながら尋ねた。
 例え男女の間柄でなくても、自分がルークリシャの様な子供と接するのは悪影響になるのではないか。今更だが、このままの関係でいるのも、一歩踏み出した関係になるのも、彼女の為にはならない気がしていた。
 それに、コリンズへ行けばついに、ヴィクトーは自分の正体を明らかにせざるを得なくなる。それを乗り越えてまで彼女の傍に居たいのか、乗り越えさせてまで彼女に好いていてもらいたいか、ヴィクトーは混乱した心で何度も何度もエンジンを吹かした。エリオットに決めてもらえれば、すんなりと決心が着く様な気がした。
 その様子にエリオットは目を伏せて溜息を吐く。
「もう子供じゃないんだから、一々俺の許可を得るなよ」
 運転席のメーターを何となく見ていたヴィクトーがハッとして顔を上げる。
「エリオット…」
「じゃ、くれぐれも気を付けてな」
 ルークリシャがフェリックス達を連れ、鞄を持って戻って来ると、父の姿は無く、ヴィクトーが車のハンドルに突っ伏していた。
「…どうしたの?」
「何でもねーよ」
 トランクに荷物を詰め、フェリックスが助手席に、女性陣が後部座席に乗り込んだところで、車を発進させる。エリオットが倉庫の前に出てきて見送ってくれた。
『一々俺の許可を得るなよ』
 ヴィクトーにはエリオットの言葉は実質的に勘当宣告の様に聞こえた。エリオットに見捨てられた気がした。
 血の繋がりという制約が無い家族が、目上の者に意見を伺うという行動を止めたら、一体そこに何が残るのだろう。自由に動き回る二人の大人は、赤の他人ではないのだろうか。
 ヴィクトーはバックミラーに映るエリオットが家の中に戻るのを見て、口を歪めて笑った。
(俺が傷付けるのを恐れているのは、エリオットとルークリシャ、どっちなんだろうな)
 このままエリオットに引っ付いていたって、何も生み出せやしないだろうに。

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