第4章:兄として生きる

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「帰って来た」
 ジャクリーンとマーカスは窓から顔を出して、襲撃を終えて引き上げて来た仲間を出迎えた。
「お父さん仕事終わって来たよ、ほら」
「ヴィクトーを近付けるな」
 血でずぶ濡れになった姿で馬車の近くを通りかかったネスターの姿を見せようと、ヴィクトーを抱え上げたジャクリーンに、ネスターが珍しく強く言う。ジャクリーンとマーカスは目を丸くした。
「何なんだい一体?」
「さあ…」
 家族や戦利品の事は放置して、ネスターは手伝いに出て来た女に水を求めた。服を脱ぎ捨てて魔法で火を付け、頭から水を被って血を洗い流す。
(今日のネスターはいつもと違って良い男だね。いつももあれはあれで良い男だけどね)
 夫の背中を見ながらジャクリーンは呑気にそんな事を考えていたが、事態は少しずつ、悪い方向へと向かいつつあった。
 ネスターは血を全て洗い流すと、最後に念入りに手を洗って、その白い手の平を見詰めた。
 幼い子供を惨殺したこの両手。見境無く動く者に静止を求めたこの[かいな]
(もうこの手じゃヴィクトーを抱けないな…)
 そしてその拳を握り締める。
(ヴィクトーを人殺しにはさせない。そして、俺もまだ死ねるもんか)

「お頭、これ…」
 その頃カールはまだ襲撃現場に居た。一度に全ての金目の物は運べないし、完全撤退する前に残される馬車や遺体を燃やしてしまわねばならない。
 放置しておくと通りがかった他の旅人や周囲の国の警察やらを巻き込むし、食べられる物を狙って野生動物が寄ってくる。いずれにせよそれは自分達の身の危険にも繋がるので厄介だ。少なくとも焼いておけば被害を通報されにくくなり、何かしらの対応を取る為に近隣国から部隊が派遣されてくる事も無い。焼け跡から捜査して盗賊の足取りを追おうという程お人好しな国家は存在しないのだ。
 カールは仲間の一人が指差す馬車に乗り込んだ。二番目に突入したが、その時既に持ち主は死んでいた馬車だ。
「クローゼットの所っす」
 言われてそこに向かうと、中で子供が蜂の巣にされていた。
「誰がやったんでしょうね」
 盗賊は快楽殺人犯ではない。殺すのは、その必要がある時だけだ。女は出来るだけ生かしたまま捕らえるし、子供はその場に放置していくか、逃げ出しても大目に見る事が多い。
 勿論その子供が武器を持ち反抗してきた場合は別だが、この子供は見た所丸腰だし、抵抗した様子も見られない。隠れていたのが見つかり直ぐに殺された後、何度も何度も剣で刺されたのだ。
「誰でも良いだろう。咎める理由は無い」
 カールは反論しようとした仲間を視線で黙らせて馬車を降りる。
 あの時この馬車に乗ったのは。
(ネスターか…)
 彼の思っている事は解らない。カールは溜息を吐くと、その馬車に火を付けて立ち去った。

「だから! なんでリオの世話をしてくれないんだよ!?」
 それから幾月か経ったある夕暮れ、マーカスは隣の部屋で怒鳴るジャクリーンの声で目が覚めた。
「母親のお前が世話をしてれば十分だろう。どうせお前は他の仕事何にもしないんだから」
 ネスター以外の仲間は、ヴィクトーの事を父親が名付けた名前ではなく、一族が崇める先祖の名前のミドルネームを略して読んでいた。ジャクリーンも初めはヴィクトーと読んでいたものの、呼びやすいからという理由で途中からリオと呼ぶようになった。
 ネスターはマーカスの部屋との間にある湯沸かし器の所で茶を沸かしていた。これから襲撃なのだろう、捨てても良いような服を着て、腰には剣とピストルが提げられている。ネスターはあれから、特段求められなくとも頻繁に盗みに加勢するようになっていた。
「前はあんなに可愛がってたじゃないか! どうせ私との子供だから愛想が尽きたんだろう!?」
 ネスターは火を止めるとカップに注ぎ、「そうじゃない」と言いたげな目で濃いめに作った茶を飲む。
 母親の怒鳴り声に怯えたヴィクトーがその腕の中で泣き始めた。
「あんたも一々五月蝿いね!」
 ジャクリーンは以前、ネスターにそうしてたようにまだ赤ん坊のヴィクトーの頬を引っ叩く。それまでジャクリーンの言う事を聞き流していたネスターは、それを見た途端流しにカップを投げ捨てる様に置くと、ヴィクトーの元に飛んで行く。
「お前、ヴィクトーを叩くなって何度言ったら!」
「何だい! 今度はリオの味方かい!? あんたの考えてる事はぜんっぜん判らないよ!」
 ジャクリーンがヴィクトーを置いてネスターに掴み掛かる。相変わらずネスターはやり返さなかったが、二人は争論になる事が多くなっていた。
 そしてヴィクトーがジャクリーンの暴力を受ける事も。
 マーカスは着替えると、そっと二人の脇を通ってヴィクトーを救出して外に出る。一番星が空に輝く下、仲間達が襲撃の準備をしていた。
「マーカス、ネスターは? って、どうしたんだよその痣」
 父親や兄達の出撃を手伝っていたジョアンナがマーカスと、ヴィクトーの顔の痣に気付く。
「ネスターにやられたのかい?」
 カールは口止めしたが、カールの息子が蜂の巣事件の犯人はネスターだと吹聴してしまった所為で、真の荒くれ者はネスターだという認識が広がっていた。ネスター自身も、戦場で動く者を即座に無差別に斬ってしまう癖を直せなかった。
「いや、ジャクリーンに」
「姉さんが?」
 暫くして、ジャクリーンに掴まれたのか、髪の毛をグチャグチャにしたネスターが出て来る。ヴィクトーの頬を撫でてあやしていたジョアンナ達を一瞥し、他の男達と共に今夜の仕事へ。
「ちょっと姉さんと話してくる」
 彼等の姿が見えなくなるとジョアンナはそう言った。残されたマーカスは、満点の星空を見上げる。
(どうしちまったんだろうな兄貴は)
 マーカスにはいつも、彼が本当に考えている事が読めなかった。いや、きっと他の誰も、兄の心の内等理解出来ていないだろう。
 落ち着いたヴィクトーが、伸ばして三つ編みにしているマーカスの髪の毛を引っ張った。ラザフォードの伝統的な髪型だ。
「お前は可愛いのにな。兄貴もジャクリーンも酷い奴等だ」
 マーカスは自分の馬車を振り返る。中で二人は何を話し合っているのだろう。
(…何だか怖えな)
 第二の悲劇がゆっくりと、しかし確実にその時を待っていた。

「おとうさん、どこ行くの?」
 月日が経ち、ヴィクトーは歩いたり話したり出来るまでに成長した。今日も今日とて出掛ける父親の脚にしがみつく彼を、ネスターは振り解く。
「纏わりつくな。仕事だ」
 ヴィクトーは床に座り込んで、去る父親の背中を見詰める。ネスターは必要以上にヴィクトーに構う事をしなくなっていた。
 馬車に一人残されたヴィクトーは、寂しさを紛らわす為に、母の持ち物が入っている袋を[まさぐ]って遊び始めた。暫くして、食事に行っていたジャクリーンが戻って来る。
「リオ! あんた何やってんだい!」
 物を勝手に触られてジャクリーンは激昂する。躾とはとても言えない程の力で思いっきり息子の顔を叩き、泣き出したヴィクトーの背中を更に殴る。彼の顔には、今し方付いたばかりのものの他に、治りかけた傷や痣が他にもあった。
「姉さん! やめなよ、リオはまだ赤ん坊だよ?」
「歩けもするし話も出来る人間が赤ん坊かい? だったら全員そうだよ!」
 ヴィクトーの泣き声を聞きつけて飛んで来た妹の静止も役に立たない。
「マーカス!」
 同じく飛んで来たマーカスが力ずくでヴィクトーを奪い取り、その場から逃げ出す。後ろで姉妹が口論をしていた。後でジャクリーンに「息子を連れ去った!」と責められそうだし、実際もう何度も責められているが、一先ず彼女の元からヴィクトーを引き離すのがマーカスの役割となっていた。
 泣き止んだヴィクトーが言う。
「マーカス、はらへった」
「食ってないのか」
 いや、食わせてもらえなかったのか、か。
 手が付けられないのはジャクリーンだけではない。ネスターの方も、日を追う毎にグループ内での居場所を失っていった。暴力妻に、猟奇的で子供嫌いな夫。周囲からそう思われているような状況下、ヴィクトーを世話しているのは実質的にマーカスだった。どれだけジャクリーンに恨まれたって、ヴィクトーの身の安全が第一だ。彼には何の罪も無いのだから。
「帰ったら俺の玩具やるよ、リオ」
「ほんとー?」
「当たり前だろ。ほら、まだ残ってるから食えよ」
 マーカス自身、両親が早くに死に、育ててくれたのは兄のネスターだ。マーカスは、変わってしまった兄に悲しみながら、幼いながらも自分が今度はヴィクトーの「兄」に、そして育ての親になろうと思っていた。

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