第1章:北の森区、ヴィクトーの自宅。

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  • 1960字

「お兄ちゃん」
 ノースリーブから日に焼けた細い肩を覗かせた妹が、テーブルの向こうで顔を上げた。
「宿題疲れた」
 そしてこちら側に移動して来ると、ベッドの上で扇風機で涼んでいたヴィクトーの肩に腕を回す。ヴィクトーは軽くそれを拒絶した。
「じゃあ休憩しても良いけど、くっつくな。暑い」
 休みの日だというのに、子守をしないといけないとは。ヴィクトーは溜息を吐いて寝転んだ。暑苦しくも義妹のルークリシャは真似をして隣に寝そべる。
 もう彼女も十歳になったのだから、両親共に留守にする時だって家で一人で留守番させれば良いものを。過保護な彼女の父、エリオットはまだまだ心配らしい。因みに、両親、兄の全員が不在になると、叔父のトレイシーに預けられる。流石に四人いっぺんに用事が入る事はない。
「宿題なんか七月中に終わらせろよ。夏休みあと二週間しか無いぞ?」
「うーん、でも終わらなかった物は仕方ないじゃーん」
「早く終わらせれば後半いくらでも遊びに行けるんだぜ?」
 ヴィクトーが妹にやるべき事をさっさと終わらせる事のメリットを伝えていると、北門兵用の寮のチャイムが鳴った。
「ん? 誰だろ」
 ヴィクトーは絡み付く妹の腕を払いのけ、ドアに急ぐ。向こう側から聞き慣れた声が聞こえた。
「先輩海行かなーい?」
「アレックス! 帰って来たのか」
 扉を開けると、炎天下の中、小さな女の子を肩に乗せ、両手に大荷物を持ったアレックスが立っていた。ヴィクトーが頭上の少女の目を見詰めると、アレックスが紹介する。
「娘が生まれました!」
「いや手紙貰ったから知ってるけど」
 彼がヴィクトーに生まれたばかりの娘の写真を送って来たのは二年前。アレックスの頭を掴んでヴィクトーを見下ろしているのは、二歳になったナオミだ。
「とりあえず中入れよ」
 空調は扇風機しか無いが、陽射しが無いだけ暑さは室内の方がマシだ。
「お邪魔しまーす」
 アレックス達が中に入ると、ヴィクトーの枕で遊んでいたルークリシャが跳ね起きた。アレックスはナオミを彼女の隣に座らせ、自分はテーブルへ。
「ルークリシャちゃん、だっけ? 大きくなったね、俺の事覚えてる?」
 ルークリシャは首を横に振った。当然だろ、とヴィクトーが入れた冷たい茶をアレックスに差し出しながら言う。
「前にお前に会わせたの、こいつが今のナオミくらいの時だぞ」
「まあそうだね。じゃあ改めまして、俺はお兄さんの後輩のアレキサンダー・テイラー。アレックスで良いよ」
 そして娘にも自己紹介する様に言う。ナオミは呂律の回り切らぬ舌で「ナオミ・ミラー」と発音した。
「可愛い~♥ よろしくね」
 ヴィクトーは小さな子供に夢中になり始めたルークリシャを横目に、アレックスに尋ねた。
「何で籍入れなかったんだ?」
 アレックスはナオミの母親、キャサリーンと入籍しない道を選んでいた。
「まあ、俺も相手も苗字変えたくなかったとかいう感情的な都合。別にそれで困る事って殆ど無いし」
「ふーん」
 ヴィクトーは自分の分のお茶を飲む。彼は法律上の結婚に意味が有るか無いか、まだ考えている途中だった。まあ、先日恋人と別れたばかりなので、自分が結婚するとなるとまだまだ先の話だが。
「もしかしてナオミ生まれてから初めての帰国?」
「うん、まあケイティは休みが取れなくて、俺とナオミだけやっとって感じ。またすぐ戻らなきゃ」
「そうか、[せわ]しいがしゃあないか。ところで…」
 ヴィクトーはそこでアレックスが持っていた鞄を指差した。また、アレックスは腰に剣も下げている。
「質問ばっか続いて悪いけどよ、たった今帰国した足でうち来た感じ?」
「うん」
「両親とかにナオミ見せたのか?」
「まだ」
 ヴィクトーはアレックスの頭を軽く叩いた。
「そこはまず孫の顔見せに行ってやれよ」
「今から行くよ。あ、そうだそうだ、ついでに海行かない?」
「海!? 行きたーい!」
 ナオミで遊んでいたルークリシャが反応する。テンションが上がる彼女に対して、ヴィクトーは気分がだだ下がる。
「海ぃ…?」
「アンボワーズの海は冷たくて泳げないからさ、帰国ついでに泳いで行こうかと。良ければルークリシャちゃんも」
「やったあ!」
「勝手に決めんな。俺は行かない」
「何で? 先輩来てくれなきゃルークリシャちゃん連れて行けないよ。万が一の事があったら困るもん」
「だって水着持ってないし」
「俺の実家は何屋でしょう?」
 突然出された質問に、ヴィクトーは戸惑いながら「服屋」と答えた。
「正解」
「水着も置いてんのかよ」
「出来合いの物をね。衣類なら(帽子以外)何でも置いてるよ」
「お兄ちゃん海行きたい! 海ー!」
 ルークリシャがベッドから飛び降りてヴィクトーに縋り付く。折角アレックスが帰って来たのに断るのも付き合いが悪い気がして、ヴィクトーは一緒に行く事を承諾した。

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