第1章:十五回目の春

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  • 1590字

「綺麗だねー桜」
 [じょう]は運転席の姉の[きさき]に声をかけたが、色の薄いサングラスの下の視線は前を向いたまま動かなかった。嬢は、姉がそっけないのはいつもの事なので気にせず続ける。
「十五回目の春だ」
 嬢は今年、自宅から少し遠い場所にある私立高校に入学した。今からその入学式の為、姉に車を出してもらっている所である。電車を使って行っても良かったが、まだ定期を買う為の通学証明書を貰っていないし、妃も珍しく出席したいというので、こうして自家用車での通学だ。
「あんたの探している人、居ると良いわね」
 長く伸ばした髪を一ミリも揺らさずに妃が言った。嬢は彼女の方を向いて微笑む。
「絶対居るよ。姉さんがそう言ったんじゃない」
 妃の車は高校の門を滑る様に抜け、来客用の駐車場にするりと入って停止した。

[ゆう]ちゃん!」
「なんだよ騒がしい」
 入学式を終えて帰ろうとしていると、勇は小学校からの友人の片瀬隼[かたせしゅん]が彼の肩を引っ掴んで揺さぶるので、あからさまに不機嫌な顔をして見せた。
「ヤバイヤバイ! すっごい美人の子が居た!」
 勇は溜息を吐く。まーた隼の女漁りが始まったか…。
「見ろよって、ほら! びっくりするぜ!」
「あーはいはい…」
 隼の指差す先を見て、勇は言葉を失った。
 真っ黒な髪を胸の辺りまで伸ばし、前髪も後ろの髪もきっちりと切り揃えて、桃色のカチューシャを付けた少女が、明るく染めた長髪の女にドアを開けてもらって車に乗り込む所だった。
 その顔が美し過ぎた。
「…ね? 自分より美人を見付けて、喋れなくなっちゃった?」
 二十世紀後半に庶民にも手が出せるようになってきた美容整形手術は、この五百年程で科学や技術が進歩するに従って費用も格段に下がり、今は殆どの大人が、まるでインフルエンザの予防接種を受けるかのように気軽に整形を行う時代だった。これは流石にまずかろうと、十八歳未満の未成年については、子供の保護という名目で怪我や先天的な畸形等で必要性が認められない限り整形手術は受けられない事になっている。だから、少なくとも義務教育化された高校を出るまでは、生まれの見た目の良さが物を言うのだ。
 勇は小さい頃から顔が可愛いと持て囃されてきたので、自分では良く解らないがまあ美人のカテゴリに入るのだろうとは思っていた。だけど、今見た少女には絶対敵わない。大きな黒い瞳に白い肌、赤くて丁度良い大きさの唇に筋の通った鼻。定規でそれらの配置が黄金比を成しているかどうか確かめたいくらいだった。
「…隼」
 勇は漸く親友を振り向くと尋ねた。
「どうせあいつの事も調べ尽くすんだろ?」
「美少女データブックの作成は高校でも続けるつもりだよー」
 此処で隼がニヤニヤしながら尋ねる。
「なになに? とうとう硬派な勇ちゃんがその気になった?」
「バッ…ち、ちげーよ、何でもねえ!」

「はー若いって良いわよねー」
 校門付近で何やら騒がしい二人の男子生徒を見ながら妃が呟いた。
「姉さんだってまだ十八じゃない」
「学校卒業して成人した時点でもう大人よ。ああやって無邪気にはしゃげないの」
(姉さんが無邪気にはしゃいでる所なんて生まれてこのかた見た事無いけど…)
 嬢はそう思ったが声には出さないでおく。
「大学行けば良かったじゃん」
「そうもいかないわよ。相変わらずお父さんの居場所は掴めないし」
 言ってアクセルを踏み込む。あっという間に車は校門まで来ると、二人の新入生の横を通り過ぎた。
 追い抜かしざま、嬢と生徒の一人との目が合った。
「!」
 嬢は姉の左腕を叩いた。
「何よ危ないわね」
「止めて! 見付けた!」
「そりゃ良かったわね。私の仕事があるから今度にしなさいよ。どうせ一緒の学校なんだから」
 嬢は頬を膨らませたが、妃は車を止めてくれそうにない。諦めて窓の外を見ると、千五百年前と変わらない日本の春の風景、薄桃色の桜が嬢を励ましてくれた。

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