第16章:失うもの

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  • 4926字

 気が付いたら手術台の明かりが目に飛び込んできた。
「起きた?」
 左側からローズバッドの声が聞こえた。首を傾げてそちらを見ようとしたが、布で隠されていて肩より先の自分の腕が見えない。
「局所麻酔で手術中よ。もうすぐ終わるわ」
「状況は?」
 輸血もしてもらったのか、気を失う前よりは頭がはっきりしている。ローズバッドは咳払いしてから答えた。
「貴方以外はほぼ無傷よ。弟さんが突き指してたけど。今の所ラザフォードが襲って来そうな気配はないわ」
「なら良かった」
 いずれにせよ詳しく事情を話せるのは自分だけだから、手術が終わったら会議だろう。
「ルークリシャは?」
「一旦家に帰って着替えさせたわ。今はフェリックス君と廊下で待ってると思うけど?」
「そう…」
 人を殺してしまった事を気に病んではいないだろうか。そう尋ねたかったが、もしかしたらエドガーもルークリシャもまだ黙っていて、ラザフォードを殺したのはヴィクトーだと皆思い込んでいるかもしれない、と思ってやめた。執刀中に「娘が人を殺しました」なんて、幾らローズバッドでも聞きたくないだろう。
「…自分の事も聴きなさい?」
 ローズバッドが吊られた布の上から視線を寄越した。
「どうせ悪いんでしょ?」
「悪いわよ」
 正直、あんな状況でなければ、ルークリシャの事がなければ気絶するか絶叫してしまうかと思うくらいの痛みだった。きっと神経を切ってしまったのだろう。
「はっきり言うとね、もう左手は使い物にならないと思いなさい」
「うん」
 そんな事は覚悟の上だ。左手一つでルークリシャ達を助けられたのだから安いくらいだ。
「…つまり、今の仕事はもう出来ないって事よ」
 ヴィクトーはハッとした。入出国管理官はただの事務員ではない。人相手の仕事なのに、片手でモタモタしていたら業務に支障をきたす。それに、通常は非戦闘要員だが、有事の際は前線で戦う事も強いられる役職だ。
「良くても配置換え…悪ければ自主退職を促されると思うわ。業務時間外の事故だから、退職金も見舞金くらいしか出ないと思う」
「そうか」
 ヴィクトーは愛着のある仕事を辞めねばならない事実にショックを受けたものの、ルークリシャの側から離れられる口実が出来たとホッとしていた。
 出来るならこの身を[なげう]ってでも彼女を一生守ってやりたい。しかし、自らの懐古に心揺さぶられ、結果として彼女に殺人を犯させた自分にそんな資格は無かった。彼女が自分の事を忘れ、普通の少女としての暮らしを送ってくれる事が、ヴィクトーの願いだ。
「はい終わり」
 皮膚の縫合を終えたローズバッドが手術用具を控えていたナースに渡す。ヴィクトーの視線を遮っていたカーテンを外し彼の顔を見る。
「何か言いたそうね。お姉さんに話してみる?」
 看護師達や助手の医者達に後片付けを任せ、ローズバッドはマスクと手袋を外すとベッドの端に肘を突いた。ナースの一人がヴィクトーの腕に手早く包帯を巻いて去っていく。
「…もう知ってるかも知れないけど、ラザフォードを殺したのは俺じゃない」
 意を決して伝えたヴィクトーに対して、ローズバッドは顔色一つ変えない。
「あらそれの事? 本人から聞いたわよ、ティアが貴方の銃で撃ったって」
 ヴィクトーは頷く。
「触られたくなかったらちゃんと自分の腰に挟んどきなさいよ。家ではちゃんと金庫に仕舞ってたのに」
「ごめん」
 ヴィクトーは謝ったが、ローズバッドは別に彼を責めている訳ではない。ルークリシャが撃ったのは、自分の意志だ。そして、国の外での殺人を咎める者は誰も居ない。
「…戦いの最中に銃をわざわざ捨てるなんて、事情があるんでしょ?」
 ローズバッドは医師だが同時に軍人でもある。心理学の知識と戦闘術の鉄則を組み合わせて繰り出される彼女の質問はいつでも的を得ていた。
「自分じゃ撃てなかったのね。じゃあ、結局ティアが撃たなければ三人とも死んでたわね」
 答えなかったヴィクトーの代わりに、彼が既に何度も自分に言い聞かせていた答えを彼女は繰り返した。
「…俺はなんでいつも大事な人ばっか殺さなくちゃいけないんだろう」
 初めは自分の母親だった。次は兄の様に慕っていたマーカス。そしてジョアンナ…。
 自分が居なければ誰も死なずに済んだのではないのだろうか。ルークリシャを人殺しなどにしなくて良かったのではないか。後悔しても彼等は帰って来ないが、後悔せずにはいられなかった。
 せめて見ず知らずの人間や、嫌っている人間なら、この罪悪感も軽かっただろうに。
「…貴方、可哀想な思考回路してるわね」
「え?」
 手術の片付けも粗方終わって、手術室にはもう二人しか残っていなかった。ローズバッドはヴィクトーのおでこを指で弾いて微笑む。
他人[ひと]の為に自分の身体や誰かの命を削ってる事を、全部自分の所為にしてしまう所よ」
 ローズバッドはあの日の事を思い出していた。両親の仇を取る為に、銃弾の雨の中に飛び込んで来た少年。
 そこに彼自身の意志はあったのだろうか。本当に、彼は父親や仲間を敬愛して、その仇を取りたかったのだろうか。
 ローズバッドにはヴィクトーが洗脳された自爆テロ要員の様に見えた。子供は親の仇を取るべき…国を追われた事を何代にも渡って恨み続けているラザフォード一族なら、そんな洗脳まがいの教育があってもおかしくはない。実際、その後父親の仇であるエリオットと生活を共にしたくらいなのだから、本当はその程度の事だったと考えるのが自然だ。本人は自分の理性の賜物だと思っているようだが。
 いずれにせよ、ヴィクトーは他人に尽くしすぎなのだ。彼が自己満足だと思ってやっている事が彼を満足させる結果に終わらないのは、そもそも自分の意志でやっている事が少ない、というのが本当の所だろう。何がしかの強迫観念に駆られているのだ。
「まー、こんな酷い傷にするくらいなら、ちょっとくらいルークリシャの脇腹切った方が楽だったわよ?」
 どうせ貴方が嫁に貰ってくれるんでしょ? と、しれっと言ってのけるローズバッドにヴィクトーは怒鳴る。
「んな事できっか!!」
「それだけ怒鳴る元気があるなら心配無さそうね」
 二重の意味で「出来ない」と叫んだヴィクトーの本心に気付いているのか居ないのか、ローズバッドは助手を呼び戻して手術室の扉を開けた。
「さ、くよくよしてないで、ティアに笑ってあげてちょうだい」

 フェリックスはルークリシャのカウンセリングをローズバッドに頼まれた。とは言え、心理学の専門家ではないフェリックスは、彼女の隣に座ってただ手術が終わるのを待つしかできなかった。
 国軍病院の廊下にはフェリックスとルークリシャ、エドガーの三人が椅子に座って待っている。エリオットは緊急の会議に特別召集されていて、ブルーナには先に貸し馬車で実家に戻ってもらった。
「…ルークリシャちゃんは凄いね」
 ふと、そう口に出していた。俯いていたルークリシャが顔を上げる。
「俺も昔人を殺そうと思ったことがあるんだ。撃鉄を上げて、銃口を向けるところまでは出来た」
「そうなんですか?」
 波乱万丈な人生だったとは噂に聞いているが、その事は初耳だ。エドガーは「あの時の事か」と思ったが、フェリックスが何を言いたいのか解らなかったのでその隣で黙っている。
 実際の所、沈黙が気詰まりだっただけで、フェリックス自身も何が言いたいのか良く解っていなかった。
「うん。でも、結局撃てなかったんだ。だから、こう、最後まで貫ける人は凄いなって思っただけ」
 本当に殺してやりたかった。少なくとも当時はそう思っていた。けれど結局フェリックスの腕はそれを拒み、そんな情けない自分を殺す事も出来なかった。勿論、ルークリシャと殺された女は初対面という関係性の違いはあれど、人を殺せる強さというのをフェリックスは持ち合わせていない。
「…でも、本当は良くなかったですよね…」
 フェリックスの言う凄さが良く解らなかったが、ルークリシャが話し始める切っ掛けにはなった。
「私、その人の子供の目の前で殺しちゃって…。聞けばお兄ちゃんもお母さんを目の前で殺されてて…」
 ルークリシャは膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めた。人を撃った事を後悔はしていない。そうしなければ自分達が殺されていたし、手に残ったのは硝煙と弾が飛び出す反動だけ。死体の様子も殆ど見ていないし、そもそも医者を目指しているくらいなので血を見るのは平気だ。
 普通の子供なら本格的にカウンセリングが必要だったかもしれないが、ルークリシャはショックを殆ど受けていなかった。それを解っていたからか、ローズバッドは治療を押し付けずに、顔見知りのフェリックスをとりあえず話し相手として引き留めてくれたのだろう。
 ただ気掛かりな事があった。
「お兄ちゃん…私の事嫌いになっちゃうかな、って…」
 ヴィクトーはルークリシャが撃とうとした時に制止したのだ。今思えば、銃を捨てたのだって、彼女を殺さないという意思があったからかもしれない。そうでなければ捨てる理由が思い浮かばない。うっかり取り落としてしまう程焦っていたのなら、あんな演技は出来ない筈だ。
「…嫌いにはならないと思うよ」
 フェリックスはそうとだけ答えた。自分の手を犠牲にしてまで守った人に、それしきの事で愛想を尽かしたりしないだろう。
 ただ、好きでいる事と、共にある事は、必ずしも一致しない。ヴィクトーはそういう考え方の持ち主である事を、フェリックスは言えなかった。
「終わりました?」
 手術室の扉が開き、エドガーが立ち上がる。ベッドに横たわったままのヴィクトーが、数人の看護師達に押されて出てきた。
「お兄ちゃん!」
 真っ先にルークリシャが駆け寄る。ヴィクトーはローズバッドの言葉を思い出し、ルークリシャを安心させる為に薄く微笑みかけた。
「ま、死にはしないわよ。これから事情聴取だから、どいたどいた」
 手術着を脱いだローズバッドが進路を塞ぐルークリシャを引っぺがした。回復を待たずに事情聴取を進める北門の軍部にブラック企業感が垣間見えるが、ヴィクトーの意識もはっきりしているし本人も承諾しているので問題は無い(多分)。
「とりあえずヴィクトーは暫く入院。パパも今日は帰って来れないかもね。あ、フェリックス君はお疲れ様」
 そのまま救急車で北門に連れて行かれるヴィクトーを見送り、ローズバッドは娘を宥めながらその場に残る。
「いえ、今回は無関係ではありませんので…」
「でも殆どヴィクトー本人の問題だしね。私達は家族だから最後まで面倒見ようとは思ってるけど、貴方達は疲れたらいつでも放り出してくれて構わないのよ」
 ローズバッドもルークリシャを連れて一旦帰るとの事なので、フェリックス達も病院を出た。
「エドガーさんはどうされるの?」
 旅荷物を背負ったエドガーにローズバッドが訪ねた。フェリックスは、荷物はブルーナが持って帰ってくれたので手ぶらだ。
「僕は適当に宿を取ります。一先ずはお城の近くまで行きますけど」
 と、何にも無い北部の田舎を眺めながら答える。
「それなら、俺の実家に泊まりなよ」
 フェリックスが提案した。
「えっ、でも迷惑じゃ…」
「空き部屋は幾つかあるよ。俺と子供達は今日中に南に帰るし、空いた所使えば良い。ホテル住まいの方が良いって言うなら無理は言わないけど」
「じゃあ」
 エドガーは微笑んだ。
「お言葉に甘えて」
 そしてローズバッドを振り返る。
「兄が退院したら教えていただけますか?」
「勿論」
 ローズバッドは手帳を取り出して何かを書くと千切ってエドガーに渡した。
「うちの住所と電話番号。入院先は此処の病院だから、出向いて受付で部屋を訊いた方が早いと思うわ。まだどの部屋に入れられるか判らないし」
「ありがとうございます」
 フェリックスが気を利かせて、実家の番号をローズバッドに教えておいた。ヴィクトーが連絡を取りたがるだろうし、エドガーの事情聴取は終わったそうだが国軍が呼び出す必要がある時にも便利だろう。
「それじゃあ気を付けて。また近い内に会うでしょうけど」
「さよなら」
 手を振る二人に見送られ、フェリックスとエドガーは貸馬車乗り場へと歩き出した。

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