第3章:昔話

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 自分で言うのも何だが、俺の実家は裕福だった。それもその筈、後で聞いた話によると、爵位は最低とはいえ貴族の端くれではあったんだ。
 子供を養うには金がかかる。俺の様な障害児を抱えていれば尚更だ。俺自身、パブリックスクールに通う年齢まで家には居なかったが、もしそのまま留まっていたとしても専属の家庭教師を外す事は出来なかっただろう。
 そんな家庭教師達も次々と逃げ出して、半年持った者は一人も居なかった。何を話しても無反応な俺の態度に耐えかねるらしい。
 俺の相手が出来るのは、両親だけだったんだ。その根気も、生みの親という責任感から生じていたに過ぎない。
 俺の聴力が正常である事は把握されていた。両親は時折、劇やコンサートに連れ出しては、俺の反応を見た。
 子供騙しの喜劇のどこが面白いのだろう。
 クラシック音楽は毒にも薬にもならない。
 もしあの頃の俺が話せていたら、そんな事を言って両親をますます困らせたに違いない。

「――交響楽団の団員の夫婦が載った艇が、港に入る時に桟橋にぶつかって空の底に墜落したそうだ」
 父が新聞を読みながら唸った。母はまあ、と手を口に当てる。
「この前聴きに行った所じゃないの」
「ああ。その帰りだったらしい。あの島の港は古くて小さいから、大型の騎空艇の事故が多発していると聞いていたが……」
「造り直せないのかしら」
「島の形が悪くて、代わりの港が造れないそうだ。大掛かりな改修は今後も難しいだろうと」
 新聞を読み進める。ふと、とある記述に目を留めた。
「亡くなった夫婦、子供が居るらしいぞ」
 その後両親はひそひそと小声で相談を始めた。居間の隅で、与えられた人形と遊びもせずにただ座っていただけの俺は、ひっそりと頬を膨らませる。
 聞こえていないつもりなんだろう。幼い俺には理解出来ないと思っているんだろう。
 その子供を養子に迎える計画について。

 両親の愛情を独り占めしていたい、なんて嫉妬は殆ど無かった。それは嫌いではなかったが、別に欲する程のものではなかった。そこにあるのが当たり前だったから。
 第一、養子を取るのも俺の為なのだ。慈善事業? 勿論、外面はそのつもりだろう。曲がりなりにも貴族だ。
 だが結局、その音楽家夫婦の子供の行方は判らなかった。
 そして代わりに、両親は近くの孤児院から一人引き取ってきた。よりにもよって、俺より年上のハーヴィンを、だ。


『創呪擦罪 骨肉相噛』がアマプラで聴ける事ご存知でした?
私は知りませんでした。