第7章:暗闇の蜜蜂

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  • 3520字

 それから一年程が経った。
「安くするからどうでい? 若旦那ぁ?」
 しつこい商人を笑顔でかわす若者の姿があった。
「あーうるさいうるさい、今回は余裕無いの。また今度ね」
 ネスターは人が変わったように明るく気さくな人物になっていた。カールの一派に居た時の重圧や厳しい規則、そして暴力からから解放され、自分らしく過ごせるようになった彼は、少しずつ人間らしい快活さを取り戻していた。
 それどころか、頭の良さと腕の良さを評価され、テッドから頭領の座を譲ってもらっていた。とはいえ、元々上下関係の薄いグループなので、計算が苦手なテッドと現金管理の役職を交代しただけ、と言った方がより近いかもしれない。
 セールスのしつこい闇行商と別れ、一行は今日も今日とてさすらいの旅を続ける。しかし、ネスターが来る前とは大きく違う事があった。
「カール達は南下したらしい」
 テッドが出発前にネスターに耳打ちした。
「じゃ、北上しよう」
 ネスターの一派はカールや他のラザフォードから逃げ回っていた。見つかればの裏切り者に加担したとして一派もろとも殺されかねない。
 幸運な事に、カール達のプライドが仲間内のトラブルを他者に伝える事を拒んだのか、闇行商等のラザフォード以外の盗賊達は例の事件の事を知らなかった。ネスターや、恐らくカール側も、闇行商達からさり気なく相手の居所を聞き出しては逃げたり追ったりする情報戦を繰り広げていた。
「北か…寒いの嫌いなんだが」
 数日間かけてかなり北上してきた。もう少し行けばアンボワーズ、更に行けばスミシーズやエスティーズといった大国がある北方では、国外の警備も厳しく大っぴらには活動出来ない。逆に言えばカール達も好んでこちら側には来ない筈だ。
「明日この付近を同業者が通るらしい」
 旅人に扮してアンボワーズ付近まで偵察に行っていた仲間の一人が有用な情報を持ってきた。
「取引先か?」
「いや、ちっさい所で関係ねえ」
「じゃ、襲うか」
 相手も日陰者なら近隣国から目を付けられる可能性も低く、小規模ながら人身売買をやっているならばそのまま捕虜を強奪するだけでも価値がある。
 それに、明るくなったとはいえ、ネスターが戦場で手加減出来ない癖は治っていなかった。その為相変わらず狩猟や、襲撃の際も後方支援に回る事が多かった。
「久々に前に出るか?」
 テッドが提案する。流石に檻の中に居る捕虜までは剣の切っ先は届かない。万一相手の行商を皆殺しにしてしまっても捕虜が残れば儲けものだ。ネスターは心を抑える練習の機会があれば積極的に参加した。それが、このグループで生きる為に出された条件だったから。
 翌日の夜、当の行商が寝静まっている所を見つけた一行は、ネスターを筆頭に襲い掛かった。
(止まれ!)
 慌てた行商達が武器を手に反撃しようとしてくる。だが、ネスターの腕はそれよりも速く、次々とその息の根を止めていった。ネスターはなんとか致命傷だけは負わせないように努力したが、虚しくもその手は次々と相手の急所を突いていく。
 気付けば、行商の相手は任せたとばかりに仲間は捕虜の積まれた馬車の強奪に向かっていて、ネスターは一人になっていた。
 その馬車に寝ていた最後の一人を仕留めたと思った時、左側から大きな光と音が発せられた。何事かと振り向くと、彼の首に細いチェーンが巻き付いてくる。
「!?」
 締め付けてくるそれを剣で切断し、鎖が飛んで来た方へ跳ぶ。馬車の奥に魔法使いが隠れていたようだ。
 だが、相手の動きも速い。次はネスターの隣の二段ベッドが壁から外れて彼の上に崩れてきた。慌てて呪文を唱えてそれを前方に吹き飛ばし、相手を追い詰める。
「キャア!」
 意外にも、聴こえた悲鳴は少女のものだった。その姿を視認する前に、物音と感覚で位置を突き止めたネスターは、彼女を突き飛ばしてその体を跨ぎ、その喉に剣の切っ先を突き立てようとした。
 が、初めて彼の動きが止まった。
 少女が反撃しようと力を溜めた爪先が光っている。自らの魔力を発光する程のエネルギーに変えて攻撃する事自体、道具や呪文無しではかなり魔力の強い者か、相当な修練を積んだ者しか出来ないが、それだけではない。彼女の長い金髪が、真っ暗闇だというのに輝いていた。
 そして何より、まるで精巧に作られた人形の様に整った美しいその顔に、ネスターは状況を忘れて魅入られていた。
 ネスターが息を呑んで見つめる中、少女は怪訝に眉を寄せて手を伸ばす。剣を自分の目の前で止めたまま動かない盗賊の顔を見ようと、光る指先を高い位置に持っていったのだ。
「あら」
 鈴の様な声が薔薇の唇から溢れる。
「長い銀髪に切れ長の目…貴方、噂のラザフォードね? 良いわ、最期に良いオチ付けてくれるじゃない。……どうして刺さないの?」
「…お前こそ」
 此処でネスターは我に返る。微かに震える手を彼は引き上げ、彼女の上から退いた。少女は光を収めて上半身を起こす。やはり、彼女の髪は薄っすらとだが自ら光を発していた。
「どうしてそんなに落ち着いているんだ? それに、そんな魔力なら足枷くらい、いつでも壊して逃げられただろう?」
 彼女の左足は壁に繋がる足枷でその動きを制限されていた。右の方は、先程ネスターの首を締めた鎖に魔法で作り変えたのか、奇妙な形の残骸だけが彼女の髪の毛の光にぼんやり照らされている。
 恐らく彼女の気が変わって本気で反撃されたら自分は防御する間も無くやられる。冷や汗をかくネスターとは対照的に、少女は落ち着き払って言った。
「逃げた所で帰る所なんて無いもの」
 少女は立ち上がった。意外と背が高く、ネスターの少し下から彼の目を覗き込んでくる。
「貴方達の所為よ。エスティーズじゃ魔法使いは皆、力を抑えられなければ牢屋行きか国外追放だから」
「…エスティーズ」
 かつてラルフ・ラザフォードが追われた国。魔法を捨てて発展を遂げた世界一の大国。
 ラザフォード王国では食人文化、特にアルビノ等に対して厳しい差別を行ってきた。エスティーズ国はその事を認識しながら、再びラザフォードが国を追われウィリアムズ国と名を変えた今も、当の非人道的行為に対して何も言っていないらしかったが、つまりは自分達も同じ事をしていたからか。
「…けどそれ程の力があるなら森の中でも一人で生きられるだろう? なぜそうしない?」
「馬鹿言わないで。私が両親から流れ者のサーカスに売られたのは三歳の時なのよ。何年か前に別の賊にサーカスが襲われて、それから色んなとこを転々としてたけど、さっき貴方が殺した奴等に顔を気に入られてお人形してたの」
 顔に似合わず饒舌な彼女は、言い終えるとネスターの空いている手を取って彼女の身体に這わせた。薄いワンピースの下には、下着等は着けておらず、直にその体温が伝わってくる。
「でも、私ももう十四だし、貴方の言う通り、逆に馬車を奪って一人で生きていくのも良いわね」
「十四!?」
 てっきり十八、九だと思っていたネスターは思わず訊き返す。危うく再び魅入られそうになっていたが、慌てて手を引っ込める。何を考えているんだこの子供は。
「でも、此処の人達みたいに可愛がってくれるなら、お人形でも良いわよ。その方が確実に飢えないし、寂しくはないし」
 ネスターの努力も虚しく、今度は距離を詰めてくる。しっかりと瞳を見詰められたまま迫られ、壁際まで追い詰められたネスターの胸に彼女の胸が押し付けられる。
 何と美しい顔と髪の毛だろう。ネスターは触れている彼女の身体に興奮するよりも、心を奪われた様にその双眸を見詰め返していた。
「…名前は?」
「メリッサよ」
「メリッサ」
 ネスターは剣を落とし、自ら彼女の腰に手を回す。懐柔が上手くいったと満足げに微笑むメリッサも、ネスターの背中に白い手を乗せた。
「メリッサ、俺の妻にならないか?」
 その言葉にメリッサはキョトンとした顔になる。
「俺と結婚しないか」
 ネスターはもう一度言う。彼女が欲しくて堪らなくなっていた。
 メリッサは美しい。そしてこれ程強く逞しい女性に巡り会える機会等、この先あるかどうか知れない。
 それに、ヴィクトーには母親が必要だ。
 メリッサは数秒間黙っていたが、急に笑い出す。
「娼婦をやれって言われた事ならゴマンとあるけど、プロポーズされたのは初めてよ」
「ネスター!?」
 メリッサの笑い声を聞きつけた仲間が何事かと馬車に入ってきた。ネスターは剣を拾い、メリッサの足枷を切断すると、彼女の手を取って入り口の方へ向かう。
「おおっ、上玉じゃん!」
 入って来た仲間のジョンがメリッサを見て言う。ネスターは微笑んだ。
「こいつを売る気は無い。結婚する」
「…え?」

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