第15章:最初で最後の

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 指に力を込める前に、偶然ヴィクトーと目が合った気がする。そしてその口が何かを言ったが、きっとそれよりも彼女の動きの方が早かった。
「やめろルークリシャ!」
 ヴィクトーが叫ぶ前で、ジョアンナが胸から血を吹き出して倒れた。ヴィクトーはそれを見て、もう一度ルークリシャに振り返り、そして最後にジョアンナが隠れていた茂みの方を見て言った。
「逃げるぞ! 車に乗り込め!」
 何が起こったのか完全に理解しきれていなかったエドガーが、慌てて言われた通りにする。彼の様にすぐさま体が反応しないルークリシャは、刀を仕舞ったヴィクトーに支えられて立ち上がった。エドガーが後部座席に乗り込んだので、運転席側から助手席へルークリシャを押し込んでいたヴィクトーの左腕に、自分で付けた傷とは違う痛みが走る。
「くそっ」
 三人が振り返ると、十歳くらいの男の子が、小型のピストルを手にジョアンナの元に駆け寄っていた。その右肩からは少なくない量の血が、止血を試みた布切れの上に滲んでいる。
「母さん!」
 男の子はそう言ってジョアンナの身体に縋り付いた。ヴィクトーはその姿を見て、首を振ると自分も運転席へ乗り込む。
「出すぞ」
 ヴィクトーは扉を閉めるとアクセルを踏み込んだ。すぐに何発か、車に向かって少年が撃って来たが、利き手ではない左で撃っている所為か一発も当てられずに弾切れになったようだ。
「お兄ちゃん、止血…」
「この馬鹿!」
 ルークリシャがダッシュボードに常備してある救急用具を取り出しながら言うと、ヴィクトーに怒鳴られた。
「なんで撃った!?」
「だって…」
 あの状況で不意打ち出来たのは、自分しか居なかったじゃないか。
 そのお陰で助かったのはヴィクトーも解っているのか、口を噤んで左腕を差し出した。慣れた手つきでルークリシャが止血する。
「大丈夫?」
 しかし既にかなり出血していた。心配するエドガーに、ヴィクトーは元気そうに振る舞う。
「撃たれた方は大した事ない」
「そっちもだけど、何も本当に切らなくたって」
「そうでもしなきゃ騙せるか不安だったんだよ」
 それに、そうでもしなければルークリシャの腰を抜かす事も出来なかっただろう。演技を指示できる状況ではなかったし、最悪力ずくで死んだような体勢を取らせるつもりだったが。
 鬱蒼とする木々の合間を縫って、彼等の車はウィリアムズを目指す。
「しかし、プロの俳優は凄えな」
 途中でアイコンタクトを送ってくれなければ演技だと気付けなかっただろう。実際、いつから芝居に入っていたのか、ヴィクトーにも判断が付かない。とにかく、エドガーが自分の意志で動ける事を確認して、ジョアンナの意識を彼から逸らす事に専念したのだった。
「半分は本当に苦しかったよ」
 言ってエドガーはシャツの胸ポケットから巾着を取り出した。
「お母さんが助けてくれたんだ」
 戦いの最中、ルークリシャはその巾着が、エドガーが胸を押さえる指の隙間で淡く光っているのを目撃した。エドガーが中身を取り出すと、あんなに美しかった金髪が、今はただの色素の薄い髪の束に変わっていた。
 バックミラーでエドガーの顔を見たヴィクトーは言う。
「お前の父親の為に弁明しておくとな、親父が俺の母親を殺したのには理由がある」
「…何言ってんの、僕のお父さんは兄さんのお父さんでしょうが」
 エドガーは形見を仕舞いつつ、気になる兄の言い回しを咎めた。止血と応急処置が終わったヴィクトーは、自由になった左手を使って「どうだか」とポーズを取った。
「ともかく、親父が母親を殺したのは、そうでもしなきゃ俺が死ぬかもしれなかったからだ」
「…思い出したの?」
「ああ。どうも親父が[まじな]いをかけて封じ込めてたみたいだ。次々出てくるよ」
 通常、魔法は術者が死ねば効力を失うが、掛けた相手が人間だった場合は、掛けられた側の魔力を動力にして死後長い間発動し続ける事がある。ヴィクトーの場合もそうで、ジョアンナに無理矢理記憶を引き出されたのがきっかけで魔法が切れたらしい。
「母親は度々癇癪を起こすと俺の事を叩いてた。でもそもそもの原因は俺が母親を怒らせたからで、親父はまあ悪くねえよ。俺の所為だ」
 ヴィクトーは言葉を切った。
 そうだ、自分の所為だ。自分が母を怒らせなければ打たれる事も、それを見た父が勢い余って母の命を奪う事もなかっただろう。
「お兄ちゃん…」
 隣からルークリシャが彼を見上げる。
「お兄ちゃん、子供が死にそうになるくらい叩くのは虐待だよ? 間違ってたのはお兄ちゃんのお母さんの方だからね?」
 ヴィクトーは瞬きをして彼女の顔を見、もう一度ぱちくりさせてから前を見る。
「あ、ああ、そうだな…」
 昔の記憶や思考が次々と蘇るので混乱しているようだ。かといって、母親は殺されても良い存在だったとは思わないが、少しは心が軽くなる。
 空気を読んだエドガーが話題を変えた。
「ところで、よく子供が隠れてるって判ったね」
「子供かどうかは分からなかったが、ジョアンナが手を汚してるのに、傷が見当たらなかったからな」
 出血量からして満足に動ける状態ではないだろうと踏んでジョアンナの相手に終止していた訳だが、子供ではなく戦い慣れた人間なら不意打ちで此方が撃たれていてもおかしくなかった。また、ルークリシャの放った弾が外れていたら、本当に彼女を人質に取られまずい形勢になっていただろうし、あの場を切り抜けられたのは完全に運である。
 それに、あの手の平の血を見なければ、自分の手を貫くという作戦は思い浮かばなかったかもしれない。
「…あの子大丈夫かな?」
 ルークリシャが尋ねる。
「大丈夫だろ。どうせすぐに仲間が駆けつけるさ」
 きちんと止血すれば命に別条は無いだろう。
 だがルークリシャは唇を噛んでヴィクトーを見上げた。その視線と目を合わせないようにして、ヴィクトーは言い切る。
「それに、俺やあいつが生きてるのは、そういう世界だよ」
 殺す者は、いつ殺されても文句は言えない。奪う者は、何を奪われても不平は言えない。
 だからヴィクトーは撃てなかった。彼女には仇を討つ権利があった。
 ジョアンナの言葉に嘘は無い。彼女は乱暴する母を止める役割をマーカスと共に負っていた。まだ少女だった叔母を「おねえちゃん」と呼んで懐いていた自分を思い出し、彼女がマーカスと懇意だった事を思い出し、どうしても、殺さないで逃れる道は無いだろうか、一言マーカスの件について弁解し悲しみを共有できないか…そんな事を考えずにはいられなかった。
 木々の向こうにウィリアムズの城壁が見えてきた。三人は一先ずホッとする。
 止血したとはいえ、ヴィクトーの出血量は通常なら車の運転等出来ないくらい酷いのだ。何度かエドガーが交代を申し出たが、エドガーは目が悪いし、興奮状態にあるヴィクトーはそもそも耳を傾けなかった。
「…お前もこれが最後の外国旅行だ、ルークリシャ」
 ラザフォードに恨みを作ってしまった。顔もあの子供にしっかりと見られている。ラザフォードの執念を甘く見てはいけない事は、誰よりもヴィクトーがよく知っていた。
 ルークリシャも、何をいつ奪われてもおかしくない立場になったのだから。

『ヴィクトーが帰って来たみたいだ。開けてやれ』
 トレイシーは城壁の上の見張りからの電話にこう応えた。
「本当にヴィクトーですかあ?」
 とりあえず何でもかんでも一度は聞き返すようにしているだけで、特に意味は無い。
『車のナンバーが見えるよ……いや、なんか様子が変だ』
「?」
 電話越しの相手の声色が変わり、トレイシーは眉根を寄せる。
「ヴィクトー帰って来たんですか?」
 尋ねたのは詰め所で待たせてもらっていたフェリックスだ。
 馬車で帰って来たら、まだヴィクトー達が到着していなかった。荷物を預けっぱなしなのでそのまま先に帰る訳にもいかず、事故にでも遭ったのではないかと心配していたところだった。
「でも、様子がおかしいらしい」
 フェリックスとブルーナ、トレイシーは建物の外へ。既に城壁の上から怒号が飛び交っていた。
「ヴィクトーだ!」「怪我してるぞ!」「城門を開けてやれ、早く!」
 車が突っ込んでくるギリギリのタイミングで門が開き、その隙間をヴィクトーの車が滑り込んで来て止まった。トレイシーが駆け寄ると、運転席の扉が開く。
「エリオット…呼んで…」
 左手に真っ赤な布を巻いた、真っ青な顔のヴィクトーが出て来た。首からも血が流れた痕がある。
「何があったんです!?」
 尋ねて手を差し伸べたトレイシーの腕に彼は崩れ落ちた。
「ラザフォードを…一人殺した…」
 肉体的にも精神的にも限界だった。半分無意識でここまで運転してきたヴィクトーは、北門の面子とエリオットに全てを託して深い眠りに落ちた。

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