第8章:業

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  • 3514字

 このこころは、まちがいでしたか?

(俺…)
 安定は裸足のまま本丸の庭をふらふらと彷徨っていた。
(俺、今、何した…?)
 どうにも抑えきれなくなった感情を、鯰尾にぶつけたのだ。
 首を絞める、殺意、という形で。
 ふと、鯰尾が心配になった。鯰尾に恨みがあった訳でもなければ、殺してやろうと思った訳でもない。自分でも何故ああしたのかさっぱり解らない。
 戻って様子を窺うべきかと足を止めた。しかし、骨喰のあの眼光を思い出すと、今度は自分の身が心配になる。
 骨喰や鯰尾の恨みを買ったかもしれない。それに主や主の上司にバレたら…仲間を、ましてや隊長の鯰尾を殺しかけたとなれば、どんな処分を受けても文句は言えない。
 おろおろと庭の一角を行ったり来たりしていると、誰かの気配を感じて身構えた。
「あっはっ、うえですよー」
 高い声がした。安定が近くに立っていた木の上を睨むと、殆ど色素の無い髪と瞳が月明かりの下に確認できる。
「今剣…」
 安定は更に体を固くする。一番、会いたくない者に見られてしまった。

 この本丸には五人の、主から特別な扱いを受ける刀剣が居た。
 一人目は、勿論安定だ。例え身代わり人形だったとしても、主が身体を許したのは安定ただ一人である事に変わりはない。
 二人目は、清光。一番付き合いが長いだけあり、今でも出納記録等、かなりの業務が彼の管理下にあるし、時々行われる審神者同士の会合に付いて行くのも彼の役目だ。本人は主の信頼が安定に移ったと嘆いていたみたいだが。
 三人目は、二番目に此処へ来た小夜左文字。何故主が彼の事を目にかけ、時に隊長をも任せるのかと不思議だったが、主の目的が兄を奪った者達への復讐ならば、気が合う所もあるのだろう。
 四人目は、鯰尾藤四郎。あいつが何故隊長を任せられているのかもはっきりとした理由は解らない。ただ、清光や小夜の仕事の負担を減らすには丁度良い役回りではある。うちに居る太刀や打刀には癖が強いのが多いが、鯰尾は兄弟の面倒見も良い。戦闘能力は骨喰の方が上だが、彼は誰かの上に立ってまとめるというタイプではないし。
 そして、最後の五人目が今剣だった。
 話によれば、今剣は三番目に此処へ来た刀剣だ。見た目は幼いが、その人間離れした白さに、千年もの時間を過ごしてきた付喪神の強大な力を感じる。
 今剣の扱いはかなり特殊だった。まず、彼は自分の部屋を持っていない。彼自身の霊力が強いので、主によって与えられた人間の肉体を休める必要も無いのだ。眠る事もしなければ、食事を摂る事も無い。風呂に入ってる所も、安定は見た事が無かった。
 仕事は馬当番や畑仕事等、一通りはしているが、出陣や遠征には参加していない。戦いを拒否している訳でもなさそうだし、安定の推理では、何がしかの特殊な役目を言いつけられていて、本丸から離れられないのだろう、という事に落ち着いていた。

 安定は、今剣がどうにも苦手だった。秘密主義の臭いや禍々しいと言っても過言ではない霊力が漂ってくるし、清光と同じ色の瞳なのに、どうも彼に見つめられると落ち着かないのだ。
「…どうしたんです? こんなよなかに」
 葉の生い茂る桜の木の枝に腰掛け、下駄を履かせた足をぶらぶらと揺らす。先程の鯰尾の足の動きを思い出して嫌な気分になった。
「君に教える必要ある?」
「ないですよ。ただ、ほっぺたのきず、どうしたのかなーって」
 安定は切られた左頬を慌てて手で隠すが、遅い。何かあった事は一目瞭然だ。隠せないなら、ある程度話した上で口止めするのが良いだろう。
「ちょっとね…元薙刀兄弟と一悶着」
「それだけですか?」
「……」
 ほら、この眼だ。色素が無く血液の色が透けているこの瞳。虹彩が赤く色付いている清光とは違って、不気味で仕方が無い。
「ひとつ、いっておかないとだめですね」
 今剣は安定の視線よりも高い位置から飛び降りた。本来なら一枚板の下駄が地面に食い込んでも良さそうなのに、その身体は重みを全く感じさせずに着地する。
「あるじさまをあいしてはだめです」
「!?」
 とっくにバレていたのか。
 今剣は無邪気な笑みを浮かべて安定の左手を彼の顔から剥がす。
「ほねばみのかたなきずですね」
(傷を見ただけで判るだと…!?)
「ちがいますよ」
 安定は思わず口に出していたのかと表情を強張らせたが、今剣はどうやら彼の意識を読み取って話している様だ。隠し事など、彼には通用しないのか…。
「ほねばみはぼくとおなじ、はんぶんようとうですから。かれのちからがきずにのこって、ちがとまらないんですよ」
 ほんにんはわすれちゃったみたいだけど、と付け加えながらその傷に触れる。仄かな温かみを感じたかと思ったら、血が止まった。今剣の手が離れた後、自分で確かめてみると、生々しい傷が綺麗に消え去っている。
「はなしのつづきですけどね、ながくなるけどきいてください」
 今剣が安定を見上げる。安定は自分の脚が地面に根が生えたようにビクともしない事に気付いた。
(…何でもありかよ、この化け物…)
 今の心の独り言もきっと聞こえているのだろうが、今剣は無視して続ける。
「さいしょでさいごのちゅうこくです。あるじさまやこのほんまるのことをおもうなら、あるじさまとまじわるのはやめてください」
「…どうして?」
 今剣は苦笑する。
「あなたはわかいから、しらないんですね。せつめいします。あるじさま…にんげんとつくもがみとのまじわりは、かたちはにくたいどうしであっても、ほんとうはたがいのれいりょくをまじわらせているんです」
 それは、安定もなんとなくは知っていた。いくら交わったって妊娠の心配が無いのも、これが理由だ。
「つくもがみどうしのまじわりはもんだいありません。おたがい、かりそめのよのものではありませんから」
「要点だけ簡潔にまとめてくれないかな」
「うーん、むずかしいよ…」
 この本丸で一番の年長者だというのに、時々こうしてかまとと振る。
「にんげんはかりそめのいのちをもつもの。それとのまじわりは、あいてをより『かみさま』にちかづける、ということなんです」
「…! それって…」
「そうです」
 安定も聞いた事があった。他の本丸で問題になっているという、審神者の神隠しや突然死の噂。あれは、付喪神との交わりの結果、審神者を愛した付喪神が別の世界へ審神者を連れ去ったり、神に近付いた審神者の霊力や魂が人間の肉体に宿り続ける事が出来なくなったりしていたのだ。
「あるじさまは、れいりょくがふつうのひとよりつよいから、ちょっとはだいじょうぶだけど、このままじゃ、はやくにしんじゃいます」
 今剣は安定から目を逸らして足元の地面を見た。安定は脚が自由になったのを感じる。
「かみさまが、ひとをあいするのはきんきです。ぼくたちには、ひとをかみさまにしたり、かみさまのせかいにつれさるちからがあります」
 下駄で地面を掘り返しながら、今剣は誰に言うともなく続ける。
「それはたしかに、ぼくたちにはしあわせかもしれないけど…」
 人間としての幸せとは違う。
「…解ったよ」
 安定はそれだけ言うと、自分の部屋へと戻る事にした。

「ぼくは、まちがってましたか…?」
 庭に残された今剣は、長い髪をゆらゆらと揺らしながら、地面を抉り続ける。
「とうぜんですよね」
 自らの刀身がその命を奪った、義経を、以前の主を思い出す。
 あの自害は、今剣が彼を愛した末の結果だった。神からの愛は、時に人間の視点からは呪われた運命に見える事もある。義経は今剣だけでなく、八百万の神から愛される稀有な人間だった。
 義経がもう生き長らえる事は出来ない。様々な神に愛され、神同士での取り合いに発展した結果、歴史がそう傾いた時、今剣は思ったのだ。
 どうせ刃に倒れるならば、自分にその血を浴びせて欲しいと。
「よしつねこう…」
 着物の袖が汚れるのも構わず、その場にしゃがみ込む。
「ぼくたちがそうねがわなければ、もっといっしょに、いられた、かな…」
 更け行く夜に、白い付喪神が溶け込む事も出来ずに震えていた。


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