第3章:死する躰

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「コウ……」
 服を着替えていた小夜は、うつ伏せに寝ていた長兄の声に振り返った。寝言なんて珍しい。
 料理当番の次兄はとっくに起き出して厨に行ったらしく、布団は既に畳まれている。そのまま身支度をしていると、襖が少しだけ開かれた。
「誰か起きてる?」
 現れた審神者を、小夜はその隙間を広げて招き入れる。審神者はまだ夢の中の江雪を見て、少し考え込んだ。
「急に政府から本能寺に出てくれって頼まれちゃって」
 かなり急ぎの司令だったのか、審神者もまだ色気ゼロの男女兼用パジャマという出で立ちだ。
「この[ひと]寝起き大丈夫?」
「宗三兄様よりはずっと大人しいよ」
 寝起きが悪い刀剣はごまんと居る。安定なんかは寝惚けて斬りかかってきた事もあるので、審神者は何かを学習していた。
「僕は行かなくて良いの?」
「大丈夫。鯰尾が病み上がりだから、その枠を探してるだけなの」
 先日の風呂場でのどんちゃん騒ぎで身体を冷やしたのか、鯰尾は発熱の為暫く寝込んでいた。
 朝食を摂りに行く小夜を見送り、審神者はどうやって起こそうかと考える。江雪は枕に頬を埋め、幸せそうな表情をしていた。何か楽しい夢でも見ているのだろうか、それを彼の嫌いな出陣の為に中断するのは申し訳無いが、仕事は仕事だ。
 名を呼んでみたが反応は無い。ふと、長い髪と襦袢の襟の隙間から見える項に目が行った。もう一度呼びながら、そっとその肌に触れる。自分の方が体温が低いので、冷たいだろう。
 江雪は唸りながら少し首をもたげ、目を開く。審神者の顔が彼の視界を満たした。
「コ……がっ!」
 最初の一音が出た段階で、危険を察知した審神者は江雪の枕を引き抜く。鼻から布団に顔をぶつけた江雪は奇声を上げた。寝惚けているとはいえ、審神者の諱を呼べば神隠し一直線だ。すっかり目が覚めた江雪は詫びながら身を起こす。気崩れた寝巻を正した。
「何処で知ったか知らないけど、忘れようと思って忘れられるもんでもないでしょ。気を付けて」
 というか今せっかく胸元肌蹴てたのに神隠し対策に気を取られて胸板拝めなかったじゃないかちくしょー、と審神者は内心悪態をついたが、気を取り直して本題へ。
「ところで、出陣してほしいんだけど。緊急指令、本能寺に現れる時間遡行軍を制圧せよ。鯰尾の代わりに清光の部隊に入って」
「そうですか……解りました」
 今日はやけに承諾するのが早いなと思ったが、そういえば彼は戦績を作っていたのだったと思い出す。江雪は布団から這い出し、半着を羽織った。審神者は江雪の布団に座り込む。
「……無茶して折れないでよ?」
 緊急の指令なんて滅多に無い。政府はかなり早くから相手の動きを掴んでおり、各本丸に出陣のタイミングを振り分けている。希望する出陣頻度や、実際の部隊編成は審神者の采配する領域だが、それらを無視して突然指令が下るという事は、不測の事態が起こっているのだ。
「折れても、また喚んでいただけるのでしょう?」
 江雪は袴を履いて袈裟に手を伸ばす。審神者は苦笑した。
「でもそれは、今此処に居る江雪じゃない」
「……昨日は申し訳ありませんでした」
 服を着終わった江雪が振り返る。審神者は先の方で絡んでいる髪を梳く為に腰を上げた。
「良いよ。事実だから」
 [ほつ]れが取れた事を確認すると、江雪は審神者から離れた。審神者が名残惜しそうに袴の裾を軽く摘んだが、それは滑らかに指の間から滑り抜ける。江雪は刀を手に取った。
「では、朝餉が済んだら行って参ります」
 審神者は襖を開けて出ていくその背を見送り、呟いた。
「まったく……嫌な事実だよ」


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