第2章:江雪が望むもの

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  • 7084字

「兄様も物好きだねえ」
 宗三が湯船の湯をぴちゃぴちゃと手で撥ねさせながら言った。
「さて、何の事でしょう?」
「惚けちゃって。素直に脱いで差し上げれば良いじゃないか」
 この所、審神者が江雪の胸板を拝もうと躍起になっているのは左文字兄弟にも筒抜けだ。
「……私が守りたいのは、自分自身ではありませんからね」
 長い髪の毛に湯をかけていた兄の返答にくす、と宗三は笑う。
「知ってるよ。兄様は意外と俗っぽい考えの持ち主だ。禁欲的に生きている方が格好が良いとでも思っているんだろう?」
「……ねえ、何の話?」
 宗三の隣に座っていた小夜が尋ねたが、宗三が口を開く前に浴場の扉が開く。獅子王と清光、安定が入ってきた。
「何でもありませんよ」
 三振の動きがぎこちない事に不信感を抱きつつも、頭を泡立てながら江雪の方が返事をする。宗三は続いて入ってきた鯰尾の声に驚いて振り向いた。
「さあ、水球大会の始まりだあ!」
 演練場で見たどこぞの驚きじじいの真似をしながら、宗三の顔にボールを投げつけてくる。
「兄弟、これは水球では……」
「さあさあ皆さんも馬糞を投げつける勢いで投げ合いましょう!」
 宗三は投げ付けられたボールを片手で受け止め、緩く鯰尾に投げ返したが、彼はひょい、と避けて浴場の奥へ。後ろに立っていた骨喰がキャッチすると、肩を竦めてから江雪に投げた。
「ボールは三つありますからね!」
 鯰尾はそう言って隠し持っていたもう二つを投げた。浴場の隅では獅子王達がタオルにカメラを隠して江雪を狙っている。鯰尾が提案したのは、左文字兄弟の気を自分達が引くから、その間に江雪を撮影せよというシンプルな作戦。清光は馬鹿丁寧に髪の毛を梳かしながら呟いた。
「粟田口はやる事派手だな……」
「楽しそうだから良いんじゃない?」
 どうでも良さそうに、安定はわしゃわしゃと絡まりやすい髪を洗っている。ブラッシングしてからじゃないと余計絡まるよ、と清光に言われたが、時既に遅し。
「それより、この角度からじゃ背中しか撮れないんだけど」
 獅子王が文句を垂れる。互いに反対の壁を向いているのだから致し方無い。背後では江雪が粟田口兄弟の集中攻撃を受けており、小夜が少し楽しそうに兄に投げ付けられるボールを拾って投げ返している。宗三は体が温まったからか、いつの間にか戦線離脱して風呂から上がっていた。
「せめて、髪の毛を流させてからにしていただけませんか」
 これまで避ける一方だった江雪が、初めてボールを受け止めた。シャンプー途中だった江雪の目に、伝ってきた泡が入りそうになっている。流石に鯰尾も手元にあったボールをその手に留めた。骨喰も転がってきたもう一つを足で止める。江雪はたっぷりと湯と時間を使って髪を洗いだ。レバーを下げて湯を止めたかと思うと、足元に転がしていたボールを手に取る。
 その後の一瞬の動きは誰にもはっきりとは見えなかった。ただ、水音だけが谺していた浴場に、無機質な高い音が響く。
「いっ!?」
 獅子王はシャンプー台に置いていたカメラが床に転がったのを見て振り向く。江雪が左脇腹の辺りから彼の右手を伸ばして、同じく獅子王を見ていた。鯰尾と骨喰も凍り付いている。
 清光と安定はそっと獅子王から距離を取った。絶妙なコントロールに感心している場合ではない。江雪は髪の毛も絞らず、ぼたぼたと湯を体から落としながら獅子王に近付いた。獅子王もやっと身の危険を察知し、解けたタオルとカメラを拾って逃げようとしたが、江雪の左腕が彼を浴場の壁に拘束する。「壁ドンだ」と変な所で審神者に影響を受けた骨喰が呟いた。
「それを渡していただきましょうか」
 江雪の口調が心無しか巻いている。凍て付くような瞳に見下ろされては、頷くしかなかった。


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