第11章:流離

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『リオ』
 ヴィクトーは懐かしい声に振り返ったが、そこには白っぽい世界が広がるだけで誰の姿も無かった。
『リオ』
 しかしその声は続いている。彼の事を昔の呼び名で呼ぶのは誰だろう。女の声の様だが、ヴィクトーには判らない。
『何処だ?』
 不安になったヴィクトーは自分自身を抱くようにして周囲を見渡す。一面、何にも無い白世界。その声がどちらから響いているのかも判らなかった。
『何処に居る?』
 呼びかけに答える者は無い。ヴィクトーが当てもなく走り出そうとした時、またその声が響く。
『リオ』
 それでヴィクトーは唐突に思い出しそうになった。
『お母さん!?』
 次の瞬間、ヴィクトーは目を見開いて綺麗に装飾された部屋の天井を睨んでいた。夢か、と気付くまでそう時間はかからなかった。
 しかし、今更母親の夢を見るなど。母親が居ない寂しささえ、忘れて生きてきたというのに。
(…ったく、こちとら童貞じゃねえっつの)
 起き上がり、隣でまだ眠っているルークリシャを見遣る。風邪をひかないよう、出ていたその肩に布団をかけ直し、自分は身支度をして外へ出る。
(エリオットにバレたら何を言われるやら)
 城の中庭に出ると、先客が居た。
「へえ、君みたいな鳥はウィリアムズには居ないけど、やっぱり暑いのは駄目なんだね」
 噴水のある池の傍で、フェリックスが何やら飼われている水鳥に話し掛けていた。
「何一人でブツブツ言ってんだ?」
 人に見られていると気付いたフェリックスは鳥との会話をさっと止めて振り返る。
「ヴィクトーか。早いね、まだ六時前だよ」
「お前の方が早起きじゃねーか」
「旅行慣れしてないから眠りが浅くて。ていうか、昨夜五月蝿かったけど」
 ヴィクトーはあの後の事を聞かれていたのかと焦ったが、肝心の所ではなくその前にヴィクトーが取り乱した時の事のようだ。
「何の喧嘩か知らないけど、借りてる部屋なんだから物に八つ当りするなよ」
「あ、おう…」
 ヴィクトーはそれ以上つっこまれない為に話題を変える。
「昨日あの後どうなったんだ?」
 フェリックスは肩を竦める。
「特に何も。指示とやらも『安全な場所に保管しておけ』とだけ」
 ヴィクトーは噴水の脇にあったベンチに腰掛けて話を聴く体勢を取る。フェリックスは飛んで来た小鳥を呼んで自分の指に止まらせたりしながら、あの箱が言った事と自分の幼い時の経験、それからアンジェリークの事についてを語る。ティムには、彼が覚えているかどうかは別として、大昔文通をしていた時に吟遊詩人の事は報告済みだ。
「アンジェリークの父親か…」
 ヴィクトーは背の高い女性の事を辛うじて覚えていた。彼女が持っていた父親の形見の数々。不思議な形をした楽器に知らない国の名前、どの暦を使っても未来に出版される事になってしまう小説達。それらをフェリックスはヴィクトーに説明した。
「それが別の世界から来た品々だってか? つーか、別の世界って何だよ?」
「エスティーズに留学してた時に聞いた事がある」
 フェリックスの指から小鳥が飛び立つ。彼は眉間に皺を寄せたヴィクトーに向き合った。
「ウィリアムズはそこそこ科学が発展してるけど、歴史的に魔法に頼る事を一切やめたエスティーズはその比じゃないんだ。何故この世界が出来たのかという疑問にすら、かなりいい所まで数学や物理だけで説明出来るくらい進んでた」
「それで?」
「そういうのを考えていると、自然と『別の世界』が存在する可能性が出てくるんだ。今あるこの世界の様になるのは確率的な問題で、理論や解釈によっては寧ろ宇宙が多数存在している方が自然だってね」
「難しい事はわかんねえが、奇妙な話だな」
「でもちゃんと数式である程度示せるらしいよ。ただ…」
 今度はフェリックスが眉を顰める番だった。
「聞いた話ではその、数多ある世界ってのは互いに一切干渉出来なければ、その存在自体知る事さえ難しいとか言ってたような…」
 ウィリアムズに帰ったらエスティーズの知り合いに連絡して訊いてみるよ、とフェリックスはこの話をやめた。
「まあ世の中には俺達が知らない事が沢山あるってか」
 ヴィクトーは服の下からロザリオを取り出してフェリックスに差し出した。切れた鎖を修理して首に掛けられるようにしたそれを受け取る。
「親父の形見だ」
「アンジェリークの持ってた本にはこれを使うのは『キリスト教』って書いてあったけど、結局何処の宗教か判らなかったみたいだね」
 ヴィクトーは頷く。あの後、地理に詳しかったアレックスが趣味のついでに調べてくれたが、貰った答えは芳しくなかった。
救世主[キリスト]か…。親父が何でこんな物を持ってたのかは知らねえが、あの箱は俺の名前を呼んでたし、無関係じゃないんだろうな」
 フェリックスは暫くロザリオに顔を近付けて観察していたが、見ていたって何が解るわけでもない。それを返すと、ヴィクトーは首に掛けて立ち上がった。
「ま、俺は今自分が生きる事だけで精一杯だ。一先ずティムが引き受けといてくれるんなら甘えさせてもらうぜ」
「そうだな」
 出来るなら厄介事に首を突っ込みたくはない。いずれ突っ込まざるを得ないのだとしても、猶予期間があるならそれを謳歌したい。
「戻るか」

 朝食を食べ、少し休憩した後でフェリックス達はお暇する事にした。明日から仕事だし、そもそもウィリアムズでは祝日でもコリンズでは平日だ。ティム達には公務があるし、見送りも城の前までで断るとヴィクトー達は出発した。
「何かあったら出来るだけ連絡するようにする」
 そう言って手を振るティムを背に、ヴィクトーの車はコリンズの市街地を走り出す。
「つか、俺土産買ってねえや」
 ふとヴィクトーが思い出す。
「流石にトレイシーに買ってないのはまずい」
「夕方くらいまでに帰れれば良いし、お昼までこっちに居ても大丈夫よ」
 昨日はヴィクトーと別行動だったルークリシャの事も気遣ってブルーナが言った。ヴィクトーは幅の広い道の脇に車を停め、四人はコリンズ観光の続きをする事に。
 フェリックス達は空気を読んでヴィクトーとルークリシャとは別行動をする事にした。
「ヴィクトーは流石、気取ってるけど、ルークリシャちゃんの方でバレバレだなあ」
 適当に見付けた、昨日は入らなかった店のショーウィンドウを眺めながらフェリックスが言う。
「バレたらヤバイわよ」
 何処まで手を出したのかは知らないが、最後までやってしまったならヴィクトーに逮捕状が下りる。
「ま、バレなきゃ良いんだよバレなきゃ」
 入る? とブルーナに尋ねたフェリックスは、昔そう言いながら禁止されている媚薬を作ったなあと懐かしんでいた。

(…なんかブルーナが俺の事を責める様な目で見ていたのは気の所為か?)
 ソワソワしているルークリシャと買い物をしながら溜息を吐く。何も昨夜やましい事などしていない。
 ルークリシャとキスした後。
「のわっ?」
 触れ合わせた唇を離した途端、ヴィクトーはルークリシャに押し倒されて変な声を上げた。
「ちょっ、おまっ、ズボンを脱がそうとするな馬鹿!」
 一方的に攻めたのはルークリシャの方だった。尚も服を脱がせようとする手を解こうと、「このマセガキ」と必死になってうっかり力を込めてルークリシャの事を殴ってしまった。
「悪い!」
 わざとではないと直ぐに謝ったが、ルークリシャは目に涙を溜めている。嗚呼、またバレたらエリオットに殺されかねない事項が増えた。
「ひっどい! ファーストキスだったのに!」
(…なんだ半分嘘泣きか)
 ルークリシャがキスされた事に怒っているのではなく、抱いてくれない事に焦っているのはバレバレである。
「知るか! 俺は初めてじゃない。お子ちゃまはさっさと寝ろ」
 先程までのロマンチックな雰囲気は何処へやら、言い捨てて布団を被ったヴィクトーを、布団の上から今度はルークリシャが殴る。
「いーじゃない此処でなら誰にも知られないし」
「あのなあ」
 横になったのも束の間、ヴィクトーは語気荒く起き上がる。
「法律が何の為にあるのか考えろ」
「此処はコリンズだよ」
「屁理屈捏ねんなウィリアムズ国民だろうがっ」
 頬を膨らませるルークリシャを正座させ、ヴィクトーは説教モードに入る。
「そもそも青少年保護法っつうのはなあ…」
から始まり、結局小一時間程ルークリシャに説法し、ルークリシャが飽きて眠くなった頃を見計らって適当に寝かしつけたのだった。
(…ていうかルークリシャごときに焦る俺も子供だし何だかんだ理由付けて逃げ回ってることに変わりねえしかっこ悪いもうやだ)
「お兄ちゃん? お土産屋さん行くよ?」
 道の途中で昨夜の事を思い出しいたたまれない様子で立ち止まったヴィクトーを、前方からルークリシャが呼ぶ。
「ていうか、お前はなんでそんな嬉しそうなんだ?」
 色々と暗い過去を聞かされ、結局キスのみで適当にあしらわれて、機嫌が悪くなっていそうなものだったが。
「だって♥ 愛を感じちゃったからね♥」
「はあ?」
 夜中の説教にか? と乙女心の判らないヴィクトーは苦笑する。
 ほどほどに買い物をし、ヴィクトーの小腹が空いてきたので、二人は野外テーブルのあるカフェで休憩する事にした。
「フェリックスさん達どの辺行ったのかな。会わないけど」
 別れてから一度も夫婦の姿を見ないので不安になったらしい。
「さあな。…映画でも観てんじゃないの」
 たまたまそのテラスからは映画館の看板が良く見えたので、ヴィクトーは思い付きでそう返す。
「『流離[さすらい]』か…」
 その看板を見たルークリシャが呟く。
「一緒に観に行ったね」
「ああ」
 ウィリアムズでは一年前に上映していた映画だ。コリンズでは今頃上映なのか、それとも人気が高くて再上映か。看板を睨むヴィクトーの事を、看板に大きく描かれた俳優の紅い瞳が見下ろしていた。
 その隣には「主演:エドガー・ラザフォード」という文字が飾られていた。
「お兄ちゃんから映画に誘うなんて珍しかったよね」
 クリームとフルーツのたっぷり入ったパフェを突きながらルークリシャが言った。
「お前の誕生日だったからな」
「うんまあ見たかったけど」
 そう言う彼女の目も、その看板の文字に釘付けだ。
「…変な事訊くけど良い?」
「お前はいつも変だろうが」
 ヴィクトーは軽食代わりに頼んだパンケーキをフォークで切り崩す。ルークリシャは一瞬頬を膨らませたが、気を取り直して言ってみた。
「お兄ちゃんの弟って…」
「呼んだ?」
 突然、背後からルークリシャの言葉を遮った声に、二人とも手が止まる。
 ルークリシャは水に打たれた様に、ヴィクトーはやれやれといった様子でゆっくりと振り返った。
「…俺は縁とか信じないけど、偶然はあるもんだな」
 振り返った先には、看板に描かれた俳優が、ちゃんと人間のサイズでそこに立っていた。

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