第13章:浮上する記憶

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 それはヴィクトーの耳には懐かしく、決して忘れる事など出来ない旋律だった。
「…『ラザフォードの歌』…?」
 ルークリシャが尋ねる。歌詞までは分からないが心地が良いその響きに脳を冒されそうだ。
「黙って隠れてろ。っつうか、頭痛くないか?」
「ううん。気持ち良いくらい」
「そりゃまずい」
 言って今度はヴィクトーも全く同じ旋律を歌い始めた。途端、頭の中で二つの違う流れが渦を巻いた様に気分が悪くなってくる。
 苦しみ呻く妹の姿を振り返り、ヴィクトーはまた自分を責めていた。
 彼女を連れて来なければ。最初のトラップで引き返していれば。
 いやそもそもこんな星の下に生まれなければ。誰も傷付けない人生を送れたならば。
 だがそんな事を考えている余裕は無い。その声はどんどん近付いて来る。
「…女の人だね」
「エド、お前も隠れろ。絶対出て来んじゃねえぞ」
 ヴィクトーは歌うのをやめるとそう言って車外へと飛び出した。その瞬間、後方から銃弾が飛んで来る。
 車を出た途端に襲撃される事を予測していたヴィクトーは即座に[かが]んで避けると、狙撃手が居ると思われる方向へ、両手のリボルバーの弾が切れるまで闇雲に撃った。歌が止む。
「此処まで俺達を誘導してきた奴だな。出て来い」
 相手が体勢を立て直す前に、座席の横に準備してあった弾を詰め替える。片方は座席に放り投げて、もう一方のリボルバーだけを両手で構えた。
「死んではないだろ?」
 最初から魔法を使ってくるという事は、相手は一人か、そうでもしなければ戦いで不利となる人数だ。かつてのラザフォードの戦い方を思い出し、ヴィクトーはそう判断して、囲まれている心配はせず冷静に次の動きを考える。
「ああ。全く…」
 少し離れた茂みの中から土塗れで立ち上がったのは、四十半ばの暗い銀髪の女だった。
「やってくれるねえ」
 女は何処を撃たれたのかは判らないが、その手の平にべっとりと血を付けていた。
「父親は姉さんを[]って、息子も息子だよ!」
 ヴィクトーは車の横で考えながら、手のリボルバーは女に狙いを定めたまま動かさない。
(なんで俺達がコリンズからウィリアムズへの道を通ると判った? スパイでも居るのか?)
 ヴィクトーはティムの持っていた喋る箱を思い出す。
(それに、親父がこいつの姉を殺したってのは何だ?)
 ネスターが仲間を手に掛けた事があるとは初耳だ。大体そんな事をしたら逆に殺されたり一族を追放されそうだが。
 女は血に濡れた手を服で拭うと、銃を構え直した。
「気に食わないねえその顔! あんたの腐れ親父にそっくりだよ!」
 しかし女はかなり興奮しており、その銃口が向かう先も定かでない。お互いに一定の距離を保ったまま、暫く女は悪態をついていたが、やや落ち着いてきた所でヴィクトーの方から先に切り出す。
「俺の事を知っているようだが、誰だか判ってるのか?」
 他の旅人がトラップに引っかかる可能性を考えていないとは思えない。その場合はどうするつもりだったのだろう。人違いでもなんでも殺してしまうつもりだったのか? 有り得なくはないが、車や死体の処理を一人でするのは効率が悪そうだ。
 とにかく少しでも考える時間や情報が欲しくて言ってみたが、女は直ぐに返答する。
「解るも何も、あんた、私の事も覚えてないのかい!? 薄情な奴だねえ…」
 本当に呆れ返った様に言うと、女は一旦銃を下ろして近付いて来た。ヴィクトーは銃を体の近くに引き寄せたが、体勢は崩さずにその様子を見守る。
「覚えてないな」
 少なくとも彼女はヴィクトーが居た一派の人間ではなく、ネスターが率いる一派はヴィクトーが覚えている限り、他のグループと直接接触した事は無い。カール伯父達の事もネスターやテッド達から伝聞形で知っているだけだ。
(…まさか、)
 ある事に感付きそうになったヴィクトーの前まで来ると、女は両手を彼の頬に添えてその顔を見詰めた。ニヤリと笑う表情に嫌悪感を覚え、この状況なら至近距離から女の心臓を打ち抜く事も出来たが、出来なかった。
「この顔をよく見な」
 否応無しに視線を固定され、ヴィクトーは吸い寄せられるかの様に彼女の曇った空色の瞳を凝視する。やがて少しずつ、心の奥に封じ込めていた記憶が解き放たれ始めた。

 ヴィクトーは彼女とそっくりな若い女性に抱きかかえられていた。その女はニヤリと、これまた目の前に居る女と同じ様に笑うと、こう尋ねる。
『リオは私とネスターとどっちが好きかい?』
 幼いヴィクトーは、彼女の脇に佇んでいた、若い父親を見詰めた。
 ネスターはヴィクトーの事を一瞥しただけで目線を逸らし、ニコリともしなかった。
『おとうさん』
 ヴィクトーは彼女の問いかけに答えた訳ではなく、ただ父親の気を引きたくてそう呼んだ。途端、それが答えだと勘違いした女はヴィクトーを支える手の力を緩める。当然、ヴィクトーは重力に引っ張られ、固い馬車の床にその全身を打ち付けられた。
『フン、可愛くない子だね! 私が死ぬ思いで生んでやったっていうのに!』
 そう言いながら先程までの笑顔からは想像できない程の恐ろしい形相でヴィクトーの事を蹴飛ばした。転がって苦しむヴィクトーの髪の毛を掴んで起こし、今度は殴る。
 ネスターが何事かを叫んで彼女を止めようとした。だが今度はそのネスターを彼女は襲う。
 全身を強打した所為で息が詰まり、咳き込みながらヴィクトーはその光景を、特に、女の顔を見詰めていた。
 これ程酷い扱いをされていても、ヴィクトーは、幼い子供は両親の事を愛していたのだった。母親から愛されたかった。父親に笑いかけてもらいたかった。
 おとうさんも、おかあさんも、同じ位好きだよ。

「う、」
 その母親の顔が目の前にある。大分老けてはいるが、瞳の色が記憶の中の彼女と、そしてヴィクトー自身の物と同じだった。
「お…母さん?」
 信じられない。父が一切話に出さず、自分自身では思い出せなかったその顔。ヴィクトーは突然の事にどう反応したら良いのか解らず、身動き出来なかった。
「アーハッハッハ」
 しかし女は高笑いするとヴィクトーを放した。母に虐待され、かつては父に冷遇されていた事も思い出してきたヴィクトーは、怯えた目で後退る。
「間違えてやんの。あんたの母親は私の姉さんだよ!」
 女はそう言うと突如笑いを引っ込めた。
「ネスターの野郎が殺したんだろうがああああ!」
「!?」
 叫びながら女が腰の刀を抜いたので、ヴィクトーは二重に驚いて跳び避けた。車内では隠れていたエドガーが運転席の銃に手を伸ばしたが、直ぐに正気に戻った女が見咎める。
「おっと、そうはさせない」
 エドガーがそれを掴む前に、車のドアが全て開き、銃や予備の銃弾は女の足元へ飛んで行った。魔法だ。
「お父さんが…親父が、殺した?」
「おや、本当に何にも覚えてないのかい?」
 ヴィクトーはエドガーとルークリシャに大人しくしているよう視線で伝え、女に向き直る。
「俺は何も憶えてない。何も知らない。だから…」
「って、見逃してもらえるとでも思ったかい?」
 ヴィクトーは既に彼女に向かって何発も撃っている。確かに都合が良すぎる話だ。
 女が顔を歪める様に笑って尋ねた。
「マーカスをどうした?」
 ヴィクトーはその問いについ顔色を変える。それが答えとなってしまった。
「…やっぱり、知ってるね。まあ、とにかく知らないなら教えてあげても良いよ。何が知りたい?」
「貴方は誰ですか?」
 ヴィクトー自身の心の傷をこれ以上抉られない様にする為、相手をこれ以上刺激しない様にヴィクトーは[へりくだ]る事にした。
「ジョアンナ・ラザフォード。あんたの叔母だ。可愛がってもらった人間の顔ぐらい覚えときな」
「…俺達の事は待ち伏せしていたんですか?」
「勿論。コリンズで歌っただろう?」
 ヴィクトーはハッとした。自分の掛けた魔法が解かれたり上書きされた時に、自分に通知が来るようにする魔法を掛けていたのだろう。
 ラザフォードの歌を上書きできるのは歌い方を知っているラザフォードでないと出来ないし、そもそも上書きする理由が無い。するとすれば、ラザフォードとは別の目的で動いている者、つまり、裏切り者でありお尋ね者のヴィクトーしかあり得ない。
「それでコリンズの四方を張ったのさ。歌を上書きした人間には魔法印が付くようにしてあったから、他の門から出ても、仲間に見つかってたよ」
 ジョアンナが手を振ると、ヴィクトーの喉元から小さな魔方陣の様なものが浮かび上がって宙に消えた。
 ヴィクトーは自分のミスを悔いる間もなく、次の質問をする。だからと言って歌わない選択肢は無かったし、こうやってのんびり会話してくれている間に、どうにか逃げる方法を考えなければ。もしかしたら仲間がこちらに集まってくるかもしれない。
「そもそもコリンズを襲ったのは?」
「マーカスが教えてくれたのさ。ネスターが突然夜逃げして、運良くテッドの一味と合流して上手い事頭領になって。挙句受け入れてもらった恩を忘れて仲間を贄に自分の息子を他所へやろうとした事もね。あんたがコリンズに逃された事も聞いてたから、襲う機会をずっと待ってたのさ」
「…」
 やはりマーカスが伝えた情報が大きかったか。そして、やはり父は例の事件以前より一族から逃げていたのか。
「親父が母を殺したというのは本当なんですか?」
「ま、マーカスもその瞬間は見てないらしくて、決定的証拠は無いけどね。ネスターの馬車には血が着いた瓶と血痕が残ってた。ネスターは嫌々姉さんと結婚したし、姉さんはあんたをよく虐めてたからねえ」
 母親に打たれる痛みを思い出し、一瞬身震いしたヴィクトーを面白そうに睨む。
「マーカスの話によるとあんたは見てる筈なんだけどねえ、ネスターが姉さんを[]る所をさ」
 ヴィクトーは何も言わずにジョアンナを睨み返す。
「自分がなんで追われてるか十分解ったろう。さて…」
 値踏みする様に睨んだまま、ジョアンナは自分の頬を突きながら落ち着き無く歩く。母も同じ癖があったな、と、ヴィクトーは次々と蘇る記憶に懐かしさを感じてしまった。
「姉さんの仇だけど、一応父さんにとっては孫だからねえ…生かして捕まえろって言われてるし」
 独り言の様に言ってから、ジョアンナは指笛を吹くようなポーズをした。魔法で仲間をコリンズの向こう側から呼んだのだろう。
(モタモタしてるとまずいな…)
 敵が増える前にどうにかしないと事態は悪化する一方だ。
 なんだかんだでマーカスをまた仲間に入れたくらいだし、「幼かったから何も知らない悪いのは父親だ」と言い張れば命は助かるかもしれない。だがラザフォードに忠誠を誓い再び盗賊になる事を要求されるだろう。ヴィクトーはこれまでにもラザフォードと敵対する行動を取っているし、エドガーやルークリシャがどう扱われるかを考えると、あまり楽観的な結論は出せなかった。
 ヴィクトーは逃げる算段を考える事に集中したいが、ジョアンナはそれを許してくれない。
「ところで、そろそろこっちの質問にも答えてもらおうか」

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