第3章:港区、アレックスの祖父の家。

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  • 1899字

「娘です、御祖父様」
 アレックスは祖父に曾孫を見せた。車椅子の祖父は暫くナオミと見詰め合い、それからアレックスを見詰め、またナオミを見て、最終的に重々しい口調で言った。
「母親は?」
「仕事が休めなかったのでアンボワーズに置いて来ました」
 祖父は眉根を寄せて居間を立ち去る。正確に言うと彼は立っていないけれど。祖父はアレックスが未婚のまま子供を持った事、生まれてすぐに連れて来なかった事等、色々気に食わなかったのだが、アレックスは籍を入れていないだけでちゃんと働いてケイティとも同居している事は知っているし、生まれたばかりの赤子を連れての旅が困難である事も知っていたので何も言わなかった。
「まあまあ、お嫁さんの方に良く似てるわね」
 祖母がしわしわの手でナオミを抱いた。ナオミは人見知りではないが人懐っこい訳でもなく、ただ思慮深そうな表情で曾祖母の顔を見詰めている。
「これから海に入るから此処で着替えさせてほしいんだけど」
 アレックスが交渉すると、祖母は脱衣所と居間を貸してくれた。ルークリシャとルイーズがナオミの手を引っ張って脱衣所へ連れて行く。
「…痛々しい」
 そう言ったのはフェリックスの息子のジュリアスだ。母親に似て機知を宿した瞳でヴィクトーの腹の傷を見詰め、父親に似て整った形の唇が呟く。
「チビ君難しい言葉知ってるな」
 ヴィクトーは半袖のシャツを被るとジュリアスの黒い髪を撫でた。
「チビじゃないよジュリアスだよ!」
 ヴィクトーはジュリアスをからかいながらタオルを手に外に出た。やがて女の子達も色とりどりの水着に身を包んで陽射しの下に現れる。最後にアレックスが、荷物を祖母に預けて出て来た。
「こっち」
 アレックスに連れられて皆は海辺の小高い丘に登る。虫がルイーズの顔目掛けて飛んで来て、避けようと頭を激しく振ったら汗が髪を伝って地面に散った。
「うわぁー」
 丘から見えた景色にルークリシャが感嘆の声を上げた。海が見える。漁船が見える。そして…
「トレンズの城壁!」
「ウィリアムズのと大して変わんねえな」
興奮を冷ます様なヴィクトーの言葉にルークリシャは義兄を睨むが、トレンズよりもずっと手前、彼女等が立つ丘のすぐ下に、白い砂浜と打ち寄せる波を見て子供達は駆け出した。
「水に入るのはゆっくりだぞー」
「「「はーい」」」
 ヴィクトーの心配気な呼び掛け通り、年上の三人は砂浜に下りると学校で習う通りに体操を始めた。
「海水浴場じゃないのか」
「そんなの、トレンズとのちょっとした戦争の時に全部廃業したよ」
「戦争してたのか」
 習った覚えの無い史実にヴィクトーがアレックスを見た。アレックスは娘を肩に担ぎ、額に汗を浮かべたまま坂を下る。
「戦争って言う程でもないか。俺が小学校入るか入らないかって時に、漁業権を巡って衝突しただけさ。今はもう歴史の教科書に載ってると思うよ多分」
「ふうん」
 砂浜に下りても、ヴィクトーはフェリックスに借りた日傘を差して座っているだけで、水に入ろうとしなかった。浅瀬で年上の三人が泳ぎ、波打際でアレックスとナオミが貝を拾って遊ぶのを見ながら、暑さに水浴びだけでもしようかと考える。しかし、そのままテンションの高くなった子供達に沖まで引っ張って行かれそうだったので、それはもう少し後にする事にした。
「先輩も拾おうよ。御祖父様の家で茹でてもらおう」
 アレックスの呼び掛けに応えてヴィクトーは立ち上がる。
「何拾ってんだ?」
「貝だよ貝。食べると美味しいんだよこれ」
 言って親子は彼に灰色の小さな巻貝を見せる。アレックスの貝からはうねうねした貝の中身が見えていたが、ナオミのからは甲殻類の足の様な物がはみ出していた。
「ナオミちゃん、これはヤドカリ」
 ナオミは貝をひっくり返して驚いた。
「食べられないから帰しておあげ」
 父親に諭されて彼女はそれを放り投げる様にして砂浜に帰す。ヤドカリはいそいそと近くの岩の下に隠れた。
「ふん、命拾いしたな」
 ヴィクトーは貝拾いを手伝わずに、防波堤の上を散歩し始めた。潮風が強い。立ち止まっているのにまるで馬で駆っている様な感覚に陥った。目を閉じると本当に馬上に居る様だ。波の音も擦れ合う木の葉の音に聞こえなくもない。
「お兄ちゃん」
 気付くとルークリシャがすぐ横まで泳いで来ていた。
「防波堤より先行くなよ。潮の流れがあるからな」
「解ってるー」
 そして彼女はすいすいと背泳ぎでヴィクトーを追い抜く。細くしなやかな腕が水しぶきを上げながら遠ざかるのをヴィクトーは暫く見ていたが、やがて広い海原の方に目を向ける。母なる海とは言うが、母を知らない彼にはどういう事か良く解らなかった。

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