第6章:生きる選択肢

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 マーカスは隣の部屋でヴィクトーが泣き始めるのを聞いた。だが、頻繁にある事だったし、眠気に勝てずに放っておいた。毎回起きていたらマーカス自身が体を壊してしまう。
 だがすぐに、マーカスはあの時起きていればと何度も後悔する事になるのだった。
 泣き声は間も無くして止んだ。再び深い眠りへと落ちたマーカスは、今度は兄の声に叩き起こされる。
「マーカス、起きろ」
「何?」
 目を開けるといつに無く深刻な顔の兄が、珍しくヴィクトーを抱いていた。当のヴィクトーはぐったりとした体で眠っている。
「今すぐこのグループから抜ける。荷造りしてくれ、早く」
 言ってネスターは自分の部屋に戻ると、ヴィクトーを一旦ベッドに置いて鞄や包に次々と必要な物を詰めていく。理由を問い質そうとその背を追いかけたマーカスは、隣の部屋の様子を見て悟った。
 兄の寝室には血に濡れた酒瓶が転がっていた。床にも少し血が撥ねている。
 そして、ジャクリーンの姿が無い。
 マーカスは踵を返すと言われた通りに荷造りを始めた。
(とうとう[]っちまったのかよ…)
 いつかこうなるのではないかと思っていたのは、何もネスターだけではない。
 荷物が出来ると三人は馬車を引いていた馬を使ってその場から一目散に逃げ出した。

 最初に異変に気付いたのは、やはり一番早く起き出してくる女衆だった。
「おや? ネスターは?」
 見張っている筈の彼が居ない。彼女達は慌ててカールを起こしに行くが、ネスターが掛けた魔法の所為で直ぐには彼の馬車に辿り着けなかった。
 カールがそれぞれの馬車にかけられた魔法を破り、見慣れない魔法陣に気付いて呟く。
「消音魔法だな…」
 その時、ネスターの馬車の方から悲鳴が上がる。
「ジョアンナ!?」
 皆がそこへ集まると、彼女は震えながら馬車の中を指差した。
 そこに残されていたのは、血痕と血の着いた酒瓶。そして、そこら中に散らかる服や日用品。服は、ジャクリーンの物はあまり減っていない様だった。
 金になりそうな物や武器の類、馬車を引いていた馬、そして、この馬車で暮らしていた一家四人の姿は無かった。
「…計画的にやったんでしょうかねえ?」
 誰かがそう言ったが、カールは静かにこう言っただけだった。
「次にネスターを見る事があったら殺せ。それ以外の奴に加担する者は、一先ずワシの所に連れて来い」

 ネスターはその日、日が沈み、そしてまた日が昇り始めるまで休みなく走った。太陽が空に出切ったところで一旦馬を走らせるのを止め、携帯食料と持って来た水でマーカスの腹を満たす。ヴィクトーは不思議な事に、まるで死んでいるかの様に昏々と眠り続けていた。
 魔法でその姿を隠し、不安がるマーカスを無理矢理寝かし付けると自分は飲まず食わずのまま今度は寝ずの番をした。
 夕方頃に二人を起こし、今度は自分も少し食べた後、再び移動を開始する。ヴィクトーはこの時も起きなかった。
 これからどうしたら。不安と焦りだけが募る一方だった。カール達に見つかれば殺されてしまう。近くの国に逃げ込むか? ヴィクトー達はともかく、少なくとも自分は良くても投獄だ。ヴィクトーに会えなくなる事態だけは避けたかった。
 これは自分の息子だ。
「…兄貴、あれ」
 後ろからマーカスが前方を示した。行商か何かが、数台の馬車の周りでキャンプしている。
「……テッド達だ」
 ネスターは救われた気持ちになってスピードを上げた。テッドならきっと解ってくれる。
 そしてその期待が裏切られる事はなかった。
「ネスター!? に、マーカス。どうしたんだ一体」
 キャンプの円に突っ込む様に飛び込む。馬から下りると、ヴィクトーをマーカスに預けて地に頭を付けた。
「頼む。匿ってくれ」
「何に追われてる?」
 テッドは勘付いているようだったが、答え合わせを求めた。
「ジャクリーンを殺した」
 皆が息を呑むのがネスターには解った。
「…あれはジャクリーンとの子供か?」
 ネスターは頷く。テッドは彼に体を起こすように言った。
「てめえさんらの噂はこっちにも流れてきてる…同情はするが、それは俺達に『共犯になれ』ってんだ。それを解ってるか?」
 再び頷く。ネスターは懇願した。
「こいつらを死なせたくない。その為には俺もまだ死ねない!」
 テッドは立ち上がった。ネスターは見捨てられるのかと思ったが、違った。
「移動しよう。カール達に見つかっちゃあ、俺達もやられかねねえ」
 ネスターはその言葉にどうやって感謝の意を伝えれば良いか解らなかった。
「勘違いすんじゃねえ。もう二つ三つ、俺の質問に満足する答え方をしたらだ」
 テッドやその仲間にとって、ネスター達を助けるメリット等無い。ネスターの味方をすればカールの一派や、カールが影響力を持つ他の派閥をも敵に回す事になる。これまで闇行商等を伝って行ってきた情報交換等の交流も止めざるを得ない。
 しかし、テッドはまだ若いネスターや、幼いマーカス達を路頭に迷わせたり、捕らえてカールに突き出す事が出来るほど冷徹ではない。一番の被害者はネスターなのだ。
 だから、運命を共にするチャンスを与える事にした。
「テッド! 正気かよ?」
 仲間の一人が制止する。だが、テッドの意思は固かった。
「おう。何なら、逃げたい奴は逃げろ。俺達はこれから大盗賊ラザフォードを敵に回す事になるかも知れねえ」
 しかし、結局誰一人として逃げ出したりはしなかった。テッドだって伊達に一派の長はやっていない。必要な時に素早く適切な判断をする能力、それを彼は持ち合わせていた。そもそもこのグループにはテッドを慕って従っているラザフォード一族以外の人間も多く、寧ろラザフォードの名に捕らわれず自由に生きたいと思っているものも少なくなかった。
 テッド自身もその一人で、その為若くして元居た一派から独立したのだった。
 ネスター達はテッドの馬車に通された。他の者が馬車を動かし、テッド自身も中に入る。
「まあ適当に座れや」
 散らかった床の上の物を脇に避け、ネスター兄弟は腰を下ろす。テッドが向かいに座ると、馬車が動き出した。
「随分殺したらしいな」
 テッドはネスターの目を覗き込むように言う。彼が言っているのは、当然必要以上に手をかけた者の事だ。ネスターは黙って続きを促す。
「…知っていると思うが、うちは人身売買を主にやって稼いでる」
 テッドは立ち上がると、馬車の後ろへと移動した。テッドの馬車の後ろには、何やら窓の無い車が繋がれていたが、テッドが後方のカーテンを開けると接続部の上に格子の嵌った穴があり、弱々しい月明かりや御者の松明に照らされていた。
「ネスターだけ来い。マーカスには刺激が強すぎる」
 呼ばれて行くと、テッドが使い込んだ懐中電灯を点けて窓に向けた。
 車の中にはさらに檻の様な物があった。そして、その中に一人ずつ、身ぐるみを剥がされた女達。
 ネスターが目を細めたのを見て、テッドはカーテンを閉めた。マーカスの元に戻る。
「何故、そうしているか解るか?」
 再び腰を落ち着けた所で問う。ネスターは首を傾げた。
 カールの一派では主に貴金属等の高価な物を強奪する方針だった。基本的に殺しは制限されておらず、捕虜については女のみ持ち帰り、売れない者はいずれ殺すか縛って森の中に置き去りにしていた。
 だが、テッドの一派では殺しそのものが制限されていた。殺人が許されるのは、そうしなければ作戦に支障が出たり、やり返される危険性がある時だけ。襲った者達は老若男女問わず捕虜とし、選り分けて捕虜用の馬車に詰めて売り捌く。売り物にならない者は森に置き去りにするか、食材としてしまう。尤も、人肉は美味い物ではないので食材とするのは緊急時や、他の捕虜の食事の為だけだ。
「一つは、これが俺達の生活に合ってるからだ。うちには若い男が多いが、そんなに盗みのセンスは良くねえ。女や食いもんに餓えない為には、行商なんかよりその辺の旅人を襲って人間を扱うのが一番でえ」
「…もう一つは?」
 ネスターは、理由がそれだけではないと思っていた。こんなに簡単に答えを明かすなら、わざわざ質問したりしないだろう。
「…『命は尊ぶべき』、という事か?」
「まあそうだ」
 テッドは葉巻を取り出して蒸かし始めた。マーカスが咳き込む。
「国の中では、人間は家畜を繁殖させて殺して食う」
 テッドは立ち上がり、マーカスの為に窓を開けてやった。夜風に吹かれて、今までビクともせずに眠っていたヴィクトーがマーカスの腕の中でむずがった。
「だが俺達は違う。俺達は、別の目的の為に生を受けた奴等を無理矢理奪って生きてるんだ」
 葉巻を器用に加えたまま喋る。テッドはマーカスからヴィクトーを受け取り、揺らして再び寝かし付けた。
「それを忘れちゃいけねえ。それを忘れて余分に殺すモンは、いずれ罰が当たる」
「それは何かの宗教か?」
 ふと、思い出してネスターはポケットの中のロザリオと呼ばれたネックレスらしき物を触る。
「いや、ただそう思ってるだけさ。だがなあ」
 テッドは再度ネスターの目を見る。
「理性ってのが人間に能えられた特権だ。衝動を飼い馴らせるようにしろ」
 最後の言葉は質問ではなく命令だった。ネスターは自信が無かったが、頷くしかない。
「…ここどこ?」
 葉巻の煙が鼻に入ったのか、可愛らしいくしゃみをしてからヴィクトーが目を覚ました。見慣れない顔の男に抱かれている自分に気付き、慌てる。
「だれ!? おとうさん!」
 キョロキョロと見回してネスターに気付くと、手の力を緩めていたテッドの腕の中から飛び出してくる。しがみつく我が子に、ネスターは手を伸ばさなかった。何かを悟った、というよりも確信したテッドが言った。
「抱いてやれ」
 ヴィクトーの顔中の痣、そして頭に作ったたん瘤。ヴィクトーをその手に抱いた者は誰もが気が付くその傷は、虐待以外に理由が考えられない。テッドは、ネスターが殴っているのだとは思っていなかったが、ジャクリーンの暴力を止められない程には子供の事に干渉していないのだとは思っていた。
「その子にはもうお前しか居ないんだ!」
 テッドが凄む。その声に驚いたヴィクトーを、ネスターは恐る恐る抱き寄せた。
「ちゃんと父親になれるか?」
 ネスターはたっぷり数分間逡巡した。さっきみたいに努力目標として形だけ頷く事は出来る。
 たが今回は、腕の中のヴィクトーがそう問うている様で怖かった。彼が大きくなって、「やはりお前なんか父親失格だ」と言われたら、ネスターは生きている意味すら見失う。実際、ジャクリーンをこの手にかけた事、彼女を愛してやれなかった事は、心から悔いているのだ。ヴィクトーの許しだけが、彼の希望だった。
「兄貴…」
「おとうさん?」
 気付けば涙を流していた。泣くのは何年ぶりだろう。両親が死んだ時ですら、自分は心を閉ざす事でそうする事を避けた気がする。
「おとうさん、のどかわいた」
 雫を見て思い出したのか、ヴィクトーが言った。ネスターは飲み水はないかと顔を上げてテッドを見る。
 テッドはそれを彼の答えだと見做したのか、黙って水筒とコップを持ってきた。
「明日、闇行商と会う予定だ。空いてる馬車はあるが、三人で住むには狭い。もう一つ大きいのを作ろう」
 ネスターとマーカスは、その言葉に感謝して頭を下げた。

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