第12章:罠

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 ルークリシャは紅茶の乗ったトレイを手に佇む人物を見て口をパクパクさせた。
「…っ! エドむふ」
 名前を叫びそうになったので慌ててヴィクトーが口を押さえる。
「馬鹿! バレたら人が群がるだろ!」
 何故、世界的に有名な俳優、エドガー・ラザフォードが此処に居るのだろう。その疑問はヴィクトーも抱いていた。
「久し振り。まあ座れよ」
 ヴィクトーはルークリシャの口から手を離すと空いていた椅子を勧めた。エドガーは礼を言ってテーブルにトレイを置く。
「まさかあれっきり会わないなんて思ってなかったよ。ほんとに偶然だ」
 エドガーは懐かしそうにそう言ってからルークリシャを振り返る。
 生で聞いたその声が、映画で役に入っている時とは違ってとてもヴィクトーに似ていた。ルークリシャは悟る。
「えっ、えっ?」
 もしかしてエドガー・ラザフォードがヴィクトーの弟…!? ラザフォードは芸名だと思っていたし、本名であっても北の方では珍しくない名字らしいので、今の今までそんな考えは全く思い浮かばなかった。
「おー混乱してる混乱してる」
 ジュースを啜りながらヴィクトーは他人事の様に面白がっている。エドガーはヴィクトーの方を向いて尋ねた。
「兄さん、この子は?」
 やはり実の弟の様だ。ルークリシャは憧れの俳優にどぎまぎしながら挨拶する。
「ルークリシャ・フィッツジェラルドです」
「義理の妹だ。お前のファンだぞ」
「本当に? ありがとう。妹って事はエリオットさんの娘さんだね」
 差し出された手を握り返しながら、ルークリシャはブンブンと頭を振る。
「僕はまあ、ご存知の通りエドガー・ラザフォード…」
 此処でエドガーは、ある事に気付いてヴィクトーに問う。
「あれ? 兄さん僕の事教えてなかったの?」
 どう見てもルークリシャは突然有名人に会ったというだけではない混乱の仕方をしている。
「俺がラザフォードの血を引いてる事も昨日知ったばっかりだからな」
「そうなんだ」
 キョトンとしつつも事情があるのだろうとそれ以上は突っ込まない。エドガーは空気を読むのが得意な人間である。
「で、何でコリンズに居るんだ?」
「それはこっちの台詞だよ」
 エドガーは紅茶を一口飲んでから続ける。
「この前『流離』の続編の撮影がクランプアップして」
「続編出るんですか?」
 ついルークリシャが口出ししてしまう。エドガーは気を悪くした様子も無く微笑みで肯定した。
「多分近々ウィリアムズでも公開されるよ。それで暫く仕事休もうかと思って。半年くらい」
「その間にあちこち流離ってる訳だな?」
「うん。コリンズに寄ってから兄さんに会いにウィリアムズに行くつもりだったんだ。まさかコリンズに居るとは」
「俺達も旅行だ。昼にはこっちを発つ。一緒に来るか?」
 エドガーとしても公共交通機関よりはヴィクトーの車の方が人に囲まれる心配が無くて有り難い。
「エド!」
 昼前にフェリックス達と合流して昼食を食べる。十五年振りの再会にフェリックスも驚きだ。
「随分顔が変わったね。昔はもっとヴィクトーに似てたのに」
 フェリックスの言葉にエドは苦笑する。成長するにつれてエドが母親に似てきたからだった。
「思い出した」
 適当に入ったレストランで、出されたお冷を飲んでいたヴィクトーが突然言った。
「形見あるんだよ。親父とメリッサの」
「いつも持ち歩いてるの?」
「いつどこで会うかも知んねえからな」
 昔からヴィクトーの準備の良さには定評がある。
「ところで、サーカスの他の皆は?」
 フェリックスはアンジェリークの情報が欲しくてさりげなく訊き出そうとした。しかし、エドガーは首を振る。
「もう十年くらい経つかなあ。レベッカ姐さんが結婚するのと同時にお義父さんはサーカス畳んでそのままマイルズの病院で働き始めて。他の皆はそれぞれ祖国に帰ったり、他のサーカスに入ったり。僕とピエールはアンボワーズの俳優養成所に入って今に至る的な」
「そうか。アンジェリークは?」
 その名前に隣のブルーナがぴくりと眉を動かしたが、ヴィクトーが慌てて視線で「浮気の意図じゃないから落ち着け」と伝える。伝わっていないような気がするが、まあ、後で本人がちゃんと弁明するだろう。
「お義父さんとマーガレット、ヴァイオレットと一緒にマイルズに残ったんだけど、この前お義父さんに会いに行ったら何年か前に祖国に帰るって言って国を出てから行方不明らしいんだ」
「祖国ってシャンズの方?」
「うん。東の谷の向こうだから、事故にでも遭ったんじゃないかって、皆で心配してる」
「そうか…ありがとう」
 昼食後、ヴィクトーの車に戻る。ヴィクトーはトランクから刀のケースを取り出すと、取っ手に結び付けていた巾着を取った。
「えーと、まず親父の形見はこれ」
 巾着を開く前に、ヴィクトーは服の下からロザリオを引っ張り出す。押し付ける様にエドガーに渡すと、巾着を開いた。
「で、これがメリッサの髪の毛」
 ヴィクトーが中から取り出したのは、死後二十年経っているとは思えない程美しさを保ったままの髪の毛の束だった。
「綺麗だね」
 その金髪を見て思わずフェリックスが溜息を漏らす。
「というか、魔法か何か掛かってる?」
「お母さんはかなり魔力が強い人だったからね」
 髪を受け取りエドガーは整えるように撫でる。髪の毛には魔力が蓄積されやすく、死後も本人の魔力が残っている事は珍しくない。
「それが原因で両親に捨てられたって言ってたし。本当かどうかは知らないけど」
「ああ、そういや親父が『サシで戦って俺の動きを止められたのはメリッサが初めてだ』とか言ってたな」
「自分の親ながら強烈な人だったよね」
「なんだかんだで他の仲間もメリッサにはっきり意見できる奴ってテッドくらいのもんだったしな…」
 余程怖い人だったのか、兄弟はカタカタと震え出す。
「とにかく、ありがとう。お父さんのは兄さんが持っててよ」
 母親の分がある自分とは違い、こちらまで貰ってしまうと兄には何も残らなくなってしまう。
「じゃあ帰るか。って言いたい所だが…」
 ロザリオを首にかけ直し、刀を行きと同じ様に背負いながらヴィクトーはその場にいる人数を数える。
「五人乗れるか?」
「無理じゃない?」
 土産やらエドガーの旅荷物やらで車にはどう頑張っても四人しか乗れそうになかった。
「やっぱり僕、馬車使うよ」
 言ってトランクから自分の荷物を引き出そうとした手を、ブルーナが止めた。
「貴方は有名人なんだし、十五年振りなんでしょう? 私達が馬車で帰るわ」
「荷物は車で運んでやるよ」
「じゃあまたウィリアムズで」
 夫婦と別れ、三人は車に乗り込む。ヴィクトーは運転席、エドガーは助手席。お土産が一部を占拠している後部座席にルークリシャ。
「アンボワーズを出るのは定住し始めてから初めてか?」
 城門を抜け、ヴィクトーが尋ねる。後ろで行きに一悶着あった衛兵達が手を振っていたので、ルークリシャは振り返って同じ様に挨拶した。
「実を言うと、そう」
 ルークリシャは城門が木々の間に遠ざかると前を向く。バックミラー越しに兄の顔が見えた。
「兄さんこそ、ウィリアムズを出るの、十五年振りなんでしょ?」
 ヴィクトーは微笑んだ。
「まあな。そりゃ、会わねえわ」
 目の前を塞いでいた倒木を避ける為にハンドルを切りながら答える。その表情が急に曇った。
「どうしたの?」
 ルークリシャが尋ねる。
「いや…」
 ヴィクトーは暫く避けた倒木を気にしてチラチラと後ろを見ていたが、暫くして止める。また二言三言エドガーと世間話をして、やはり気に掛かるのかこう言った。
「昨日も今日も風は吹いてなかったよな」
 行きにはあんな倒木は無かった。行商等の小回りが利かない馬車なら倒木を避けずに動かしてしまう筈だから、あの倒木はついさっきか、少なくとも今日になってから倒れたものだろう。葉は青々としていて根が腐っていた訳でもなさそうだし…。
(…誰かが倒したのか?)
 一体誰が、何の為に?
 ヴィクトーの胸騒ぎは、間も無く現実のものとなった。
「…何だか鬱蒼としてきたねえ」
 空は晴れている様だが、木々が生い茂ってきたので辺りが段々暗くなる。ヴィクトー達は少しずつ道から逸れるように、倒木や岩、急な地面の陥没等で巧みに誘導されていた。流石に五つ目の障害で、エドガーも異変に気付いて不安そうな声を出す。
 ヴィクトーは暫く前から深刻そうな顔をして黙りこくっていたが、ついに意を決して車を止めた。車を方向転換出来ないか周りを見渡したが、森の木々が邪魔で出来そうもない。
 つまりは、ここを攻略して前に進むしかなくなっていた。
「お兄ちゃん?」
 不安がって身を乗り出したルークリシャに命じる。
「シートの足元に隠れてろ」
 そう言って彼は銃を手に取った。
「ごめん」
「兄さん…」
 何か言おうとしたエドガーも、ある事に気付くと口を噤んで耳をそばだてた。
「…ルークリシャちゃん、兄さんの指示に従って」
 何が起こっているのか全く解っていないルークリシャは、エドガーにもそう言われて漸くシートベルトを外し、服が汚れるのを気にしながら座席の下に伏せる。
「悪いな。やっぱり連れて来るんじゃなかった」
 そう何度も謝るヴィクトーの顔には後悔しか無かった。
「…弱気にならないでよ。体に穴が空いても不死身だった兄さんだろ?」
 言って身構えるエドガーの声も震えを隠せない。
 やがてルークリシャの耳にも、誰かの歌声が聴こえてきた。

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