第2章:見たくない過去

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  • 2917字

「お帰りなさいお兄ちゃん♥」
 ヴィクトー・フィッツジェラルドは、仕事から帰るなり抱きついてきた少女を両手で引き剥がすと溜息を吐いた。
「なんで俺の家に居るんだルークリシャ?」
「合鍵を作ったからよ!」
 誇らしげにキーホルダーを見せる義妹は、今年、中学の最終学年生になった。しかし、変な悪知恵ばかりが身に着いて、貞操とかそういった類の事はちっとも覚えてくれない。
「いつ作ったのか知らないけど寄越しなさい」
「嫌よ」
 ルークリシャはさっと身を躱すと、ヴィクトーの手の届かない所で鍵を下着の中に押し込んだ。こうすると手が出せない事を承知しているのだ。
 ヴィクトーは心の中で舌打ちして、後でどうやって奪い取るか考えながら玄関の鍵をかけた。そこで、ポストに何か挟まっている事に気が付く。
(郵便? 珍しいな…)
「それよりご飯作ったの!」
 ヴィクトーが差出人を確かめる暇すら与えず、ルークリシャは彼をキッチンへ連れて行く。確かにちゃんとした料理に見えなくもない食べ物が準備されていた。正直な所、自分で調理した方が美味しい物が食べられるのだが、流石に彼女の努力と愛情を無下には出来ない。
「ご飯食べたら帰れよ。送るから」
 とりあえず手紙を鞄のポケットに突っ込み、そのまま夕食にする事にした。
「えー、泊まるー♥」
 ヴィクトーは持ち上げかけたフォークをテーブルに戻すと、向かいに座ってニコニコしていたルークリシャを引きずって玄関まで連れて行く。
「今すぐ帰れこの放蕩女」
「わー待って待って! ママにはちゃんと許可取ってきたも~ん」
 ヴィクトーは暫く頭を抱えると、ルークリシャを離して電話をかけに行った。ルークリシャはその間に食卓に戻る。
「どういう事ですかローズバッドさん?」
「あら別に良いじゃない。明日は学校も貴方も休みでしょ?」
 妹が兄の家に泊まる事に、何の問題があるの? といった口調で返され、ヴィクトーは何も言えない。実際、小さい頃は何度も泊めた事がある。
(いやいやいや、問題ありすぎだっつの)
 とは思うものの、本音を彼女の母親に言って良いのかどうか躊躇われる。
「…エリオットに替わって下さい」
 十数秒後、自分の養父でもある、彼女の父親が電話に出た。
「あいつの事迎えに来てくれよ…」
「それで大人しく帰って来る娘ならそもそも泊まりになんか行かせない…」
 エリオットは諦めの口調で言った。
「そこを何とか強く言えよ『親父』」
「だって言ったら『パパ嫌い!』って言われるんだもん」
 電話の向こうでぐずりだす。ヴィクトーは電話をかける前より益々頭が痛くなった。この親馬鹿をどうしてくれよう…。
「…じゃあとりあえず今日は泊まらせるから、今後勝手に決める様な事がないようにしてくれ」
「わかった。あ、ルークリシャに手ェ出したら縁切るからね」
 縁を切るも何も、中学生に手を出したら犯罪だ。しかし、法律上今は兄妹関係にあるのだから、「養父と縁を切る」事でしか彼女が成長しても男女の仲にはなれないと言うのは皮肉な話である。
「はいはい」
 このやり取りは日常茶飯事なので、ヴィクトーは二つ返事をすると受話器を置いた。テーブルでぱくぱくと自分の分の食事を口に運んでいる彼女を見遣る。
(さてあの痴女を何処で寝かせるか…)
 ヴィクトーは彼女の貞操より、自分の貞操を心配していた。
 尤も、相手を家族ではなく恋愛対象の異性として見てしまうのは、お互い様だったのだが。

「あのねルークリシャ」
「なぁに♥」
 ヴィクトーは先程の手紙に目を通しながら、服の中にまで手を突っ込んで彼を撫でている彼女に心底イライラしながら言った。因みに、彼女の入浴中に合鍵を奪おうとしたが、風呂の中まで持って入ったらしく[ことごと]く失敗した事も彼のイライラに拍車をかけている。
「布団に入ってさっさと寝ろ!」
 ヴィクトーは彼女を軽々と抱え上げ、自分のベッドに投げ落とした。勿論怪我をさせない様に手加減はしている。寧ろエリオットの宝物に怪我をさせたら自分が怪我するどころじゃ済まなくなる。
 じたばたする彼女に布団をかけ、部屋の電気を消す。机の小さな明かりだけを付け、再び手紙を手に取った。
(ティムの誕生日パーティーねえ…)
 ヴィクトーは彼の結婚式も辞退していた。最後にまともに顔を合わせたのは、それこそ十年以上前の、フェリックス達の結婚式。その前は、先程までルークリシャが撫でていた、彼の腹を貫通する傷の為に入院していた時に、ティムが見舞いに来てくれた時だ。
(…十二年か)
 ティムに会いたくないわけではない。色んな目に遭ったが、彼の事は大切な友人だと思っている。
 けれど、ヴィクトーはコリンズ国を訪れる決心が付かずにいた。大人になればなる程、自分がしでかしてきた事の重大さに気が付いていった。
 物心ついた時には、彼は人間として最低な、誰かから物や命を奪って生計を立てる盗人であった。そして、ある時コリンズ王女の人生を無責任に歪めようとした。また、直接自分が手を下した訳ではないが、昔の仲間がコリンズ国そのものを壊滅させた事もある。
 ティムに会うとなれば、彼女にも会う事になるだろう。今は、彼女はコリンズ国の女王であり、ティムはその夫なのだから。
(…そろそろ行くべきだろうな…)
 未だにどんな顔をして会えば良いのか解らないが、このまま一生会わずに居られるとは思えなかった。それなら、いつだって同じ事だ。
「ちょっと」
「?」
 ヴィクトーは一度手紙を置いて立ち上がると、当たり前の様にヴィクトーのベットを占拠しているルークリシャの枕の下から、小さな短剣を抜き取った。
「それ、短剣? お兄ちゃんの趣味っぽくないね」
 僅かな光の下でも、その鞘や柄のデザインが女性向けである事はルークリシャにも判ったらしい。
「ああ、まあな…」
 何も言わずに考え込んでいる様子で、ヴィクトーは机に戻る。兄らしくない行動を不審に思ったルークリシャは起き出すと、彼に近付いた。
「…ルークリシャ、明日は早起きしろ。だから早く寝ろ」
 ルークリシャは手紙を覗き込もうとしたが、ヴィクトーは一足早くそれを畳んでそう言った。
「なんで?」
「お兄ちゃんはちょっと出かける用事が出来た」
 そして早速荷造りを始める。大きめの鞄に着替え等を詰め込んでいく様子に、ルークリシャは好奇心で訪ねた。
「遠くなの? 私も行きたーい」
「馬鹿言え。連れて行けるかよ」
 国の外なんて危ないから、という至極一般的な理由の他に、彼には絶対に彼女を連れて行けない理由があった。
 ヴィクトーやエリオットは、ルークリシャに対してヴィクトーの過去を秘密にしていた。勿論、ヴィクトーがエリオットの養子であり、全く血の繋がりが無い事は彼女も承知である。
 だがヴィクトーは純粋で無垢なルークリシャに、自分の肉親を殺したこの手で、彼女と手を繋ぎ、その頭を撫で、時に抱擁してきた等と、絶対に知られたくなかった。あの城壁の外の事など忘れ去りたかった。
「…お前は招待されてないパーティーに出るつもりかよ」
 ヴィクトーはだいたい必要そうな物を詰め終わると、再びルークリシャをベッドに戻し、机の灯りを消して自身もその隣の床で眠った。

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