第2章:誘惑と画策

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 江雪左文字は己を喚ぶ声に辟易していた。
 時間遡行軍殲滅戦が始まって数ヶ月。国宝である江雪の元には、予め政府の能力者から協力の依頼があった。博物館で丁寧に保管され、戦乱の無い今の時代を喜びながら穏やかに眠っていたのに。時々展示される際に目覚めて、興味津々に覗き込む両の瞳を見つめ返すだけの存在でありたかったのに、何故。
 江雪はその時、例の能力者にただ一言だけを口にした。
「拒否権は、無いのでしょう?」
 きっと、貴方にも。
 以来、様々な声が江雪を喚ぶ。審神者が付喪神の分霊を召喚しようとしているのだ。
 未だ尚現存する刀剣は少なくない。誰なりと、その手となり足となる者は居るだろう。巻き込まれずに済むならその方が良い。己が振るわれる事で、生まれる新たな悲しみがある限りは。
 そうして江雪は審神者の召喚の儀式に抗う試みを始めた。元々霊力の高い刀は喚び寄せにくいが、江雪の場合は審神者の霊力が十分でもなかなか分霊を出さないものだから、審神者達の間ではレア扱いされていた。しかし、分霊を出す毎に、付喪神本体の霊力は少しずつだが落ちていく。江雪も近頃は審神者の声に応える事になる回数が増えた。
 また一つ、魂が分割された感覚。この世は、地獄だ。
 喚び寄せられた江雪は、複製された刀に魂を封じ込められた状態で、二人分の声を聴いた。
「江雪……左文字……?」
「間違いない?」
 その後、一旦意識を失い、目覚めた時には、真ん丸な二つの瞳が自分を見下ろしていた。
「江雪左文字、国宝、太刀、銘・筑州住左」
 身を起こすと、背後から先程の声がした。振り向けば、自分の肉体が収まっている棺桶の様な箱の側面を、青い髪の子供が見つめている。その時、自身の髪の色も青みがかった白である事に気付いてぎょっとした。視線を下げれば、衣裳は僧侶のそれの様。
「……あなたも、僕の兄に当たるんだね……」
「兄?」
 女性の様な、角が無く良く通る声に問い返す。
「その子は小夜左文字。同じ刀工に作られた刀同士を兄弟刀って呼んでるんだ」
 コウは言って、唇を噛んで困った様な、緊張しているような表情で江雪を見た。鍛刀したばかりの江雪左文字の刀身を持ち、差し出す。
「国宝なら政府から話は聞いてるね?」
「……ええ」
「力を貸してくれる?」
 実際、拒否権なんて無いだろう。受け入れられて刀解されても、分霊は本体の所に霊力の形となって戻るだけだ。他の審神者から喚び続けられる限り、この戦いが続く限りは、何度拒否しても同じ事。
 それに……江雪はこの審神者の目を、もう少しじっくり見てみたいと思った。
「……致し方ありませんね」
 江雪は立ち上がると、審神者から自身を受け取って鞘に納めた。
「兄様より広い部屋なんて駄目ですっ。僕が部屋を移動します」
 この本丸には、宗三左文字も既に顕現していた。二振の服装は江雪の物よりかなり崩れていたが、左文字は皆、袈裟を身に着けている。江雪は、きっと衣装の選別に深い意味等無いのだと自分に言い聞かせた。我儘で戦いを拒否する刀に神聖さを見出すなど、馬鹿げている。ましてや、好奇心からその意志すら突き通さない事にした、この自分に。
「僕が移動するよ。あの部屋は僕には広すぎる」
「駄目っ。元々お小夜が使っていたんですから」
 初めての食事の後、三振は縁側で江雪の部屋をどうするかで揉めていた。この本丸には、八畳間と六畳間の二種類がある。部屋数自体に余裕はあるが、八畳間は人気で既に埋まっていた。
「私は部屋の大きさには拘りませんが……」
「僕が拘るんだよ」
「あの、じゃあさ……」
 小夜はもじもじと、宗三の端麗な、そして江雪の端整な顔を見上げた。その眼差しがどことなく、審神者が自分を見ている時と似ているな、と江雪は思う。
「僕と宗三兄様の部屋は間続きだから、くっつけて三人部屋にしよう。……駄目、かな」
「そんな事ありませんよ」
 宗三は驚いた様に切れ長のオッドアイを見開いていたが、慌てて小夜の頭を撫でる。
「兄様が良ければだけど」
「……ええ、そうしましょう」
 宗三の手が小夜の頭から落ちた後、江雪もその髪の毛に触れてみた。青い髪は見た目の寒々しさとは裏腹に、小夜の高い体温がじわっと伝わってくる。小夜ははにかんで下を向いた。
 これが、人の身を得たという事か。
 手を離した後も残るその感覚を、江雪はゆっくりと指を曲げて握り締めた。
「大体人間の身体の感じは掴めた?」
 次の日、道着姿の審神者が部屋にやって来たかと思うと、尋ねた。
「これから仕事も色々割り振ると思うけど、まずは私と手合せしない?」
「仕事……ですか……」
「安心して、何も戦うばかりじゃないよ。うちはシフト制でやってるから、出たくないならそう言っといてもらえれば調整するし」
 戦わせる為に喚んだのではないのか。江雪は疑問を感じつつも、連れられて板張りの大きな部屋がある別棟へ足を踏み入れた。審神者は木刀を江雪に手渡す。自らは木製の薙刀を取った。
「ルールは無し、どちらかが負けを認めるまで。攻撃は薙刀には当ててもらって構わないけど、ボディにはできれば寸止めにしてちょうだい」
「勝負になるでしょうか?」
 審神者はにやりと笑った。
「余裕があるうちに袈裟を脱いでおいた方が良いと思うけど? ……脱がないなら、始め!」
 言った途端、審神者の姿が目の前から消えた。突然の事に驚いていると、左後方から殺気を感じた。慌てて薙刀を避け、木刀を構え直したが、思っていたよりも袈裟が邪魔だ。じっとしている分にはそれ程苦ではないが、動き回るには暑いし重い。
「初撃を避けるとは、やるね」
 思う様に左腕が動かせない事を解っているのか、審神者は右腕だけでは攻撃しにくい位置から狙って来る。薙刀という武器も厄介だ。間合いを詰める隙を与えてくれない。それに、ほんの少し走っただけで江雪には疲労の表情が浮かんでいた。製作された後、顕現するまで冷凍室で保管されていた肉体だ。普通の人間よりはハイスペックに造られているが、動き慣れておらず体力も筋肉もまだ少ない。持久戦になれば江雪が負けるのは目に見えている。
「この勝負……負けたら何かあるのですか?」
「私に勝つまでは出撃させない」
 審神者の薙刀の動きを木刀で逸らし、退がる。審神者も次の攻撃まで一呼吸置いた。
「負け続ければ戦わずに済むのですね?」
 審神者が足を踏み出した。江雪は逃げるのをやめ、そのままの体勢で迎え撃つ構えを取る。
「その代わり私の趣味に付き合ってもらうよ!」
 叫んだ審神者の渾身の一撃を、江雪の刀が真正面から受けた。彼女の持つ力を最大限引き出して繰り出された薙刀は重かったが、江雪は気合と元来の腕力でそれを撥ね返す。審神者の手から薙刀が飛んだ。すぐに拾おうとしたが、ひゅっ、と音を立てて顔に風が吹き付ける。江雪の木刀が顔の横で止められ、衝撃波が審神者の前髪をまだ揺らしていた。
「……最後、速かったね。お見事」
 審神者は負けを認めて立ち上がる。頭一つ分背の高い江雪を見上げた。江雪はその目を見つめ返す。綺麗な形の目だ。白く透き通った部分に、はっきりと黒い円が埋め込まれていて。そして……江雪の向こうに何かを見ていた。
「残念。脱がせてやろうと思ったのに」
 それから数日。江雪は希望通り、本丸内での仕事をメインに割り振ってもらった。まだ出陣は一度もしていない。
「一番の新入りなのに、この本丸で一番強いんじゃない? 勿体無いなあ」
 今日は大和守安定という刀の手合せに付き合っていた。安定は、手合せ中はまるで鬼神の様な形相で江雪に斬りかかっていたが、終わってすっかりいつもの可愛らしい顔付きに戻っている。
「勿体無い?」
「ある才能は使わなきゃ損だと思わない? 主もだけど。主ってね、あんな[なり]してるし、男体ふぇち? で迷惑なとこもあるけど、凄いんだよ。計算とか凄く速いし、江雪さんが戦わなくても皆で上手く回していけるのだって、主が予定を組むのが上手いからだよ」
 普段は過去の主である沖田総司の話ばかりしているのに、今日は審神者の事をぺらぺらとよく喋る。江雪は出陣部隊に組み込まれていない為、本丸に上手く馴染めていないのではないかと安定なりに心配し、色々話してみているのだ。
「でも、同じくらい戦うのも上手い。江雪さんが来る前は、主が皆の手合せを手伝ってたんだ。現世でも武道やってたらしいけど、ちゃんと習うのはとっくにやめちゃったんだって」
 もう一度お願いできますか? と安定が尋ねる。江雪は頷いて木刀を手に取った。
 安定との手合せを終えた後、江雪はそっと執務室を覗きに行く。
「お疲れ様でーす」
 近侍の鯰尾が仕事から解放されたのか、嬉々として廊下に飛び出して来た。ネクタイを揺らしながら駆け戻る彼をやり過ごしてから、江雪はきちんと閉められなかった障子から中を覗き見る。審神者はパソコン、と呼ばれる機械の前に座って何やらかたかたやっていた。時々、右手をキーボードの上からタッチパッド、そして紙のノートの上に移動させながら、何やら真剣に画面を見ている。江雪は気付かれない様に気配を殺してその姿を見ていた。その眼差しは、審神者が画面を見つめるものと同じだった。
 暫くして、審神者の携帯が鳴る。審神者が「あんさーざこーる」と唱えると、男の声がした。
『もしもし、コウちゃん?』
「何か用?」
 江雪はどきり、とした。今のは……審神者の諱では?
『学会の講演申し込み始まってるよ。出張申請するなら次のミーティングまでに』
「あー……。今回はパス。研究、特に進んでないし」
『良いの? 教授[ボス]が他の人の発表を見るだけでもどう? って言ってるけど』
「うん。教授[ボス]にはよろしく言っといて」
 審神者は話し終わると、通話を切る。長く息を吐いて、そのまま後ろに倒れた。
「『他の人の発表を見るだけでもどう?』……そんなん、惨めになるだけやん」
 審神者は障子に背を向ける方向に寝返りを打った。かと思いきや、立ち上がる。江雪は慌てて縁側の曲がり角まで戻って隠れた。もうすぐ夕食の時間だから、食堂に向かうのだろう。その後を追おうとしたが、開け放された障子の向こうに、画面が付いたままのパソコンが目に入る。
 ……いけない。
 盗み見など、いけない。そう語りかける善の声と、盗み見なら今さっきもやっていたじゃないか、という悪の声がせめぎ合い、後者が勝つ。執務室の中に足を踏み入れた。パソコンや審神者が座っていた場所の回りには、何やら見た事も無い文字や記号が踊っている紙の束。画面には、それと同じ記号が時々挿入された文書が表示されていた。
 英語だ。博物館の展示の説明で見た事がある。とは言っても、江雪は自分や仲間の名前の表記を知っているくらいで、文書の内容は全く読めなかった。
 此処でふと、江雪は我に返った。一体自分は何をしているのだ。これ以上勝手に物を見るのはやめよう。そう思って踵を返した時、右手の袖がタッチパッドに触れ、パソコンの画面が切り替わってしまった。慌てて元に戻そうとするが、機械など触った事が無い。どうしたものかと困り果てて画面を見つめると、どうやら日記の様だった。とある日の一言に、目が釘付けになる。
『私は何にも成れない』
「……っ!」
「しーっ」
 江雪は審神者の日記を読むのに夢中になり、廊下を誰かが歩いてきた事に気が付かなかった。審神者かと思って振り向くと、そこには唇に指を当てた鯰尾。
「上着忘れちゃって。……ああ、戻せなくなっちゃったんです?」
 言いながら鯰尾は、部屋の隅にくしゃくしゃと置かれていた黒い上着を拾う。上着に袖を通すと、タッチパッドを指でなぞって元の画面に戻した。
「主には内緒にしておきますんで。今度、使い方教えますよ」
 鯰尾は日記の内容を知ってか知らずか、何も言わずに江雪を連れて食堂へ。審神者は短刀達と楽しそうに笑いながら、出されてくる食事を一つ一つ褒めていた。畑当番をしていた宗三がやって来て、疲れたアピールをしながらも様子がおかしい兄を気遣う。江雪は茶を濁した。
 あの目は一体何なんだ。江雪の姿に、理想の自分を重ねるあの眼差し。望んだ道を歩めぬ事を嘆くのは、よくある事だろうが、一体何故、彼女は自分にそれを重ねるのだろう。