第1章:鉄壁の襦袢

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 ある昼下がり、襖の隙間から顔を覗かせたコウに、江雪左文字は表情一つ変えずに応えた。
「何か、ご用ですか?」
「ちょっと出陣してくれない?」
「構いませんよ」
 にこにこと楽しそうな審神者とは対照的に、江雪の口調は乗り気ではなさそうだ。とはいえ、一応の主従関係はある。自分は戦う為に此処に喚ばれたのだし、働かざる者食うべからずだ。たまの助っ人のお願いさえも拒否する程、この本丸の江雪は捻くれていない。
 作務衣姿だったので、本を読んでいた手を止めて立ち上がる。着替えようと戦闘服を手に取ったが、審神者がまだ襖の所に居たので溜息を吐いた。
「着替えますので、閉めてください」
「……はーい……」
 やれやれ、と江雪は首を振る。襦袢の上に袴と着物を重ねた所で外に声をかけると、喜々として審神者が部屋に入ってきた。審神者は江雪の後ろから手を伸ばし、彼の首の辺りでその髪を両手でまとめる。
「この髪邪魔じゃないの?」
「切った方が良いですか?」
 審神者が髪を持ち上げたので、江雪は鎧袈裟を身に纏った。審神者が手を放し、その毛先を指で梳いている間に、右腕に防具を着ける。部隊のレギュラーではない江雪が出陣するのは、必ず審神者からの依頼があった時だ。何時の間にか、江雪が武具を着ける時は審神者が手伝う構図ができていた。
「別に長いのが嫌いなわけじゃないよ」
 できた、と審神者が呟く。彼女の方に向き直ると、[ほつ]れの取れた髪がさらさらと揺れた。審神者は穏やかな表情をしている。普段は戦力不足で出陣を頼まれる事が多いが、今回は違うようだ。
「本日は何処へ?」
「江戸。粟田口短刀のお守り」
 政府によれば、時間遡行軍の活動範囲が広くなり、最近では室内戦や市街戦、夜戦を余儀なくされる事も多くなったらしい。この本丸では、短刀達の戦力不足を理由にそういった戦地には行かないようにしていたが、そうもいかなくなってきた。そこで、一期一振と短刀四振、それから短刀ではない刀剣をもう一振で部隊を作り、簡単な案件が回ってきた時に出陣させる事にしたのだ。あくまで短刀を鍛える為なので、基本的に付き添いは何もしなくて良い。形勢が悪くなり、危険を感じたら支援するだけだ。
 江雪が刀掛けの自身を手に取る。途端、微笑みを浮かべていた審神者の表情が陰った。
 江戸。穂村の部隊が検非違使に襲われた場所。この本丸の部隊はまだ遭遇した事が無かったが、検非違使の出現条件は解っておらず、いつ襲われてもおかしくない。
「……主?」
「いや、くれぐれも気を付けて」
 そんな不安そうな顔をしないでくれ。自分も皆も、無事に帰って来るから。
「……行って参ります」
 江雪は言えなかった。たった一時の慰めを与えればどうにかなるなどとは、思っていなかった。
「今日は江雪ですか。これは頼もしい」
 転送装置の前には既に粟田口の兄弟が待っていた。笑顔の一期の手には何故か新品のカメラが。
「……何ですかそれは」
「よくぞ訊いてくださいましたな!」
 そして始まる一期の弟語り。自分の弟達が如何に可愛いかから始まるこの話は、聴き飽きているので質問の答えが出てくるまでは適当に聞き流す。
「それで、弟達の様子を撮影しようと思いましてな。貯金を崩して買ったんです」
 そうすれば、忘れてしまってもまた、思い出せると信じて。正直、一期は弟達の事も殆ど兄弟刀として認識できない。鯰尾も、骨喰も、豊臣で共に在った事は憶えているものの、どんな会話を交わしたか、彼等が普段何をしていたかは、全く思い出せない。仲が良かったのかどうかすら。
 それでも兄の顔をしているのは、彼等の事を……そして自分の事を、解らなくなってしまわない為だった。
「戦場……でもですか?」
「お守りは大体いつも暇ですしなあ。自分の身を護るくらいです」
 それを聞いた江雪は正直、油断したのだ。あっさりと一期によるカメラの携帯と弟達の撮影を許し、六振は転送装置に乗り込むと、江戸へと出発した。
「一期一振!」
 江雪が叫んだ時には、遅かった。弟の撮影に夢中になっていた一期は、背後から敵の一撃を受け、避けきれずに倒れる。一期の手から離れたカメラが転がって、五虎退の足元で止まった。
「ああぁ、いち兄……」
 異変に気付いた弟達が一斉に振り返る。一期の怪我は大した事無く、次の瞬間には抜いた刀身で敵を真っ二つに斬り裂いていた。いやそれよりも。
「敵から目を離してはいけません!!」
 江雪は自分を襲おうとしていた敵を薙ぎ倒しながら、短刀達へと近付いた。兄に気を取られた弟達を、横から、後ろから、多数の敵が狙っている。一撃目は、江雪の右腕の防具が受けた。敵の刃は防具を割り、白い肌に一筋の傷を残す。
「江雪さん!」
「貴方達は下がりなさい!」
 いつもの穏やかな口調からは想像がつかない程、早口で荒ぶった声が出た。短刀達は敵の数よりも江雪の気迫に圧され、言われるがまま兄の所まで逃げる。
「江雪も逃げましょう!」
 一期が叫んだ。江雪は向かってくる敵を一つ一つ処理しながら、残っている敵の数と動きを確認する。このペースでは追いつかない。逃げる……身の安全を考えれば、それが一番良い策だった。
 しかし、江雪の脳裏に審神者の顔が過る。彼女はどうして、自分に彼等を託したのだ? 自分なら必ず無事連れて帰ってきてくれると、期待したからでは?
 皮肉だ。その期待に耐えられず、戦いを拒否する刀であったというのに。自分は彼女には、何の期待もしないでおこうと心に決めたのに。それでも、彼女の期待に応えたい。そうする事で彼女の気が晴れる事を期待している。その矛盾に心が痛んだが、今はくよくよ悩んでいる場合ではない。敵はもう、逃げられない所まで迫って来ていた。敵の繰り出す刃が、江雪の肩口を掠る。
「むざむざ殺されるつもりはありません!」
 江雪は一期に応える代わりに、左手に固定していた袈裟の端を外した。そのまま上着ごと袈裟を引き千切る様に脱ぎ捨て、動きの鈍くなった右腕から左に太刀を持ち替える。
 そこからは何が起こったのか、一期には全く解らなかった。気付けば敵は皆、江雪の前に無残な姿で積み上がっている。振り返った江雪は、血塗れの顔を手の甲で拭った。一度付いた血は簡単には取れない。江雪の白い肌に、うっすらと頬紅の様に返り血と江雪自身の血が映えた。
「カメラは無事でしょうか?」
 江雪が足元に落ちている黒い物体を指した。一期は慌てて拾いに行く。
「申し訳ございません。私とした事が、油断しました……」
「私が傷付くのは構いません。それだけで済むのであれば」
 一期は軽傷を負っているものの、短刀達は全員無傷のようだ。うるうると目を潤ませている五虎退の頭を撫でようとして、手が真っ赤だった事に気付いてやめる。心配する粟田口の者達とは対照的に、江雪は内心安堵していた。何はともあれ、彼は審神者の期待に応えたのだから。
 帰還後、戦果の報告をしに行くと、審神者の膝が崩れ落ちた。
「何その怪我!?」
「大した事、ありませんよ……っ!」
 近侍の小夜の手を借りて立ち上がった審神者は、割れた右腕の防具を引き剥がす。江雪は痛みに顔を顰めた。深い傷だ。防具が無ければ腕が飛んでいてもおかしくない。
「手入部屋は?」
「今は一期が使っています」
「設備は二個あるでしょ。すぐ行く、すぐ」
 江雪は苦笑した。兄が怪我をしたと聞いて、粟田口の兄弟達が手入部屋を埋め尽くしているのだ。その横で治療するのも居心地が悪いし、かといって本音を言えば審神者は粟田口の子供達を追い払ってしまうだろう。それはいささか、非情な気もする。
 うっすらと潤んだ目で江雪を見上げる審神者を安心させる為に言った。
「身を斬られる痛みなど、心に比べれば。貴方が悲しむと私も悲しいのです」
 小夜が気を利かせ、そっと廊下の陰に隠れた。江雪は自分からは手を伸ばさないが、審神者が抱きついてきても良い様に懐を広げる。こんな日くらい、少々期待しても許されるだろう。
 審神者は江雪の顔を見るのを止め、俯いた。
「……だったらつべこべ言わずにさっさと手入部屋へ行け!」
 突然江雪の腹に衝撃が飛んできた。そこから数時間の記憶は無い。


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