第1章:雷雲

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  • 12440字

 腹を掻っ捌かれた、とドランクは思った。
「いっ……!?」
 が、痛みも大した衝撃も無く、拍子抜けする。どうやら腰のポーチに当たっただけの様だ。
「悪い悪い」
 ドナはドランクを追い詰めるのをやめ、散乱した中身を拾う。背中を見せた彼女に、ドランクは良からぬ考えを抱いた。
 この隙に後ろから襲えば、勝てる。
 もはや何の為に勝ちたいのだったか忘れていた。長物は扱い慣れていないと危ないからと、スツルムに見繕ってもらった小型の剣を握り直し、上がった息を出来るだけ殺してドナに近付く。
 が、あと一歩の所でドナが振り向いた。悔し気に口を歪めたドランクとは対照的に、ドナは面白そうに口の端を吊り上げる。
「なあにこれ? 盗品?」
 ドナが拾ったのは、何処かの家紋が模られた封蝋用の印章だった。よりにもよって、とドランクは舌打ちをする。
「人聞きの悪い。成人した時に貰ったんですよ」
「へえ~。――家の印章をねえ」
 返せ、とドランクが手を出すと、素直に返してくれる。暴れ回って疲れたのもあり、ドランクはそれを服のポケットに突っ込むと、ソファに腰を下ろした。
「それで? 口説いてないってんなら、結局家柄や財産で釣ったわけ?」
 ドナも剣を腰に戻し、向かいの椅子に座る。
「なんでそんなに僕の事疑うんです? そりゃあ、ちょっとやんちゃしてたのは否定しませんけど」
「お前にまだ、スツルムにも黙ってる事が沢山あるからだよ」
 ドランクは視線を下げる。ドナの組まれた褐色の脚が目に入ったので、もう少し下げてローテーブルの表面を見る。さっきの戦闘で埃だらけだ。
「僕が何者かなんて、どうでも良いでしょう」
 スツルムはドランクの生まれを知らない。ドランクだってスツルムの本当の名前さえ知らない。別にそれで不都合は無い。愛する気持ちが変わる訳でもない。
「お前達が良くても、私は良くないよ。ま、――家の人間だってなら、一安心だけどね。やくざか何かかもしれないと思ってたからさ」
「スツルム殿が玉の輿に乗れるとか、思わないでくださいよ。どうしても相手を説得しきれない時に、自作自演の推薦状を書くのに使ってるだけなんで」
「お前の家族には伝えてないのかい?」
 ドナが目を丸くする。ドランクは責められている気分になって、唇を噛んだ。
「そうした所で、悲しませるだけですから」
 勝手に家を飛び出して、その先で出逢った何処の誰とも知らない人と結婚するなんて言っても、喜んでくれる筈が無い。
 ドナはその様子を見て、溜息を吐く。
「他所の家庭の事情に首突っ込む気は無いけどさ」
「じゃあ突っ込まないでください」
「だから突っ込まないって。お前はそれで、欲しいものが得られたのかい?」
 今度はドランクが目を見開く番だった。
「……また来ます」
 ドランクは立ち上がる。廊下に出ると、吹き抜けのロビーでスツルムがせっせと壁の穴を布で塞いでいるのが見えた。
 欲しいものが得られたのかって? 少なくとも、そう錯覚できる夢は見れるようにはなったさ。


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