第1章:雷雲

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  • 12440字

「くっそ……」
 ドランクは思わず悪態を吐いた。いや、ドナと戦っている時は無意識に色々暴言を吐いている様な気もするが、床に落ちた青い髪の束を見ると明確に腹が立つ。
「あーあ。形見なのに」
「形見って、お前の髪の毛だろ。またすぐ伸びるさ」
 ドナはドランクの背後から、その大剣を真っ直ぐにドランクの項に向けている。
「普通、この状態になったらお前の負けだよ。降参は?」
「しません」
 ドランクは振り向きざまに剣を振り上げ、ドナの切っ先を逸らす。
「ドランクも凝りませんね」
「ドナもな」
 途中、仕事に行っている間の休戦を挟みつつ、ドランクとドナの一騎打ちは二ヶ月以上続いていた。今の所、ドランクがドナを追い詰める事ができた日は無い。
「そうこう言っている内に誕生日では?」
 スツルムは、ヴォルケとその様子を見ながら茶菓子を楽しむのが習慣となっていた。最近は二人共、壁や床を損傷しないような戦い方をしてくれるので、後片付けが楽だ。
「ああ。明日だな」
「降参しなければ逃げ切りですか」
「どうだろう。ドナが止めを刺すかもしれないぞ」
 表情の乏しいヴォルケだが、流石にその発言には眉根を寄せる。
婚約者[フィアンセ]が刺されても良いんです?」
「良いとか悪いとかじゃなく、ドナならやりかねない」
「キスしただけで激昂するタイプですもんね」
「え、それ、ドランクが言ってたのか?」
「ドナに乗せられて、口を割らされただけですよ。隣の部屋に居たら聴こえました」
「相変わらず耳が良いな」
 ヴォルケは、ええ、とだけ答えて、コーヒーに手を伸ばす。
 ヴォルケも昔、口付けたのだ。彼の場合は、受け入れてもらえなかったが。
「まあ、そうなる前に連れ帰って、そのまま別の島に逃げるのが良いですよ」
「そうする。おいドランク!」
「何!? うわっ」
 また斬られかけて、ドランクが思わず声を上げる。
「ドナももうやめろ。今日一日戦い続けたって意味無いだろ」
「は? 何それ。スツルム殿は僕が勝てないって言いたいわけ?」
 意外にも拒否したのはドランクの方だった。
「大体ね! 僕の魔法は屋内戦に向いてないの!」
「戦場を言い訳にするのかい?」
「この建物の何部屋か吹き飛ばしても良いならやりますけど~?」
「それはちょっと困るねえ」
 スツルムはやれやれ、と肩を竦めてヴォルケに向き直った。
「上着貸してくれ」
「探してきます」
「良し! じゃあ五分後に裏山に集合!」
 言ってドランクは踵を返す。斬られて短くなってしまった髪の毛を、わしゃわしゃと梳いて誤魔化した。
 宝珠無しでは力の差は歴然だ。それでもドランクは、ドナを越えなければならないと思っていた。
 ただ一言、スツルムに前向きな言葉をかけてほしい。そうでなくちゃ、夢は夢のままなのだ。

「この件はドナが悪いですよ。誠実に挨拶しに来てくれたのに」
 スツルムも上着を受け取ると、ドランクを追って先に山に向かった。ヴォルケは出発前に、ドナを諫めておく。
「解ってるよ」
 解っている。スツルムが本当にドランクの事を好きな事くらい。
「じゃあ此処まで引き延ばさなくても」
「だって、というか、だからこそだよ」
 だからその分、ドランクもスツルムの為に必死になれる事を示して欲しかった。途中からは、単に自分より下手の相手を揶揄うのが、面白くなっただけでもあるが。
「まあ、あれだけ動けるようになれば安心だね」
 ヴォルケは肩を竦める。まったく、人が良いんだか悪いんだか。
「技術はともかく、体力はついたみたいですね。声も出る様になってきましたし」
 最初の頃は休み休み戦っていたドランクも、最近では朝にやって来て、夕方辞すまで一度も座り込まない日もあった。
「得手不得手や専門があるとはいえ、傭兵は体力が命だからね」
「前々から言ってましたもんね。青い髪のエルーンが神出鬼没なのは、一つの紛争の最初から最後まで戦場に滞在出来ないからじゃないかって」
「あの様子だと十中八九そうだろうよ」
 その分、大がかりな魔法でカバーしてきたのだろうが、傭兵を続けていれば似たような技だけでは通用しない場面に遭遇する。その時にスツルムの事を守れるように、とはいかずとも、せめて足手纏いにはならないでほしい。
「さて、最後まで闘おうじゃないか」
 ドランクは屋外でどんな魔法を見せるつもりなのだろう。楽しそうに笑うドナの横顔を、ヴォルケは複雑な心境で見つめていた。
 自分が貧弱なせいで、好きな女の子の顔に傷を残した。その後悔を背負うのは、自分だけで良い。