第7章:面影

  • PG12
  • 2468字

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初登場ドランクが理想の最強ミステリアスお兄さんムーブしてたり。
霧の島の話までは入っています。


 もう、見失わないように。

「…ァッ……」
 鯰尾は恐怖に目を見開いた。
(息が…)
 鯰尾の首には、馬乗りになった安定の両手が巻き付いていた。立てられた爪が肌に食い込み、血が滲む。
(なんで!?)
 何も首を絞められるような事はしていない。パニックになった鯰尾は安定の手首を掴んで離そうとするが、体重をかけられていてはビクともしない。
 安定は唇を噛み、涙を浮かべた目で鯰尾を見ていた。鯰尾は脚を使って逃れようとしたが、安定の方が体格が良いし、半分縁側の外に脚を投げ出したこの体勢では上手くいかなかった。
(やばいやばいやばい、死ぬ…)
 窒息したらどうなるのだろう。
 戦いで肉体に受ける傷は、刀身本体にもダメージを与える。それは、歴史修正主義者達もまた、誰かの霊力によって具現化されているものであり、それらの攻撃が与えるのが霊的なダメージだからだ。
 鯰尾の首を絞めているこの手も、主の霊力によって具現化されたもの。先程のルールに従って考えるなら、この人間の身体の窒息は鯰尾の付喪神としての力や刀身にかなりの危害を与える。仮初の肉体の死が付喪神としての「死」に即時的に繋がるかどうかは解らないが、少なくとも暫く動けない状態にはなるだろう。
 致し方無しに鯰尾は自身の刀身を出そうと右手を挙げた。しかし、頭がくらくらしてなかなか出て来ない。
(こんな事で…)
 死んでたまるかよ。
 そう思った瞬間、目の前に鋭い刀身が現れた。

「!?」
 安定は、目の前に現れた刀身を避ける為に飛び退った所で我に返った。
「あ…」
 縁側には、倒れたまま咳き込んでいる鯰尾と、血が滴る刀身を構え彼を護る様に立つ骨喰の姿。
「鯰尾に何をする」
 安定は無意識に両手を顔に当てた。ぬるっとした感触に、頬が切られた事に気付く。
 先程までの血の煮えたぎる様な感覚は消えていた。今度は、鯰尾の咳き込む音がやけに大きく聞こえる。
「沖…田君…」
 ふらふらと二、三歩後退った。骨喰の射抜くような視線から逃れる様に、安定は走り出していた。

「鯰尾!」
 安定の背中が見えなくなると、骨喰は刀身を仕舞ってまだ苦しそうにしている鯰尾の隣にしゃがみ込んだ。過呼吸を起こしているらしい。一瞬悩んだが、骨喰は自分の呼吸器官で鯰尾の口を塞いだ。
 暫くすると呼吸は落ち着いてきた。ホッとした骨喰が口を離した途端、鯰尾は彼を突き飛ばして起き上がる。
「…兄弟?」
 骨喰は訳が解らずきょとんとする。鯰尾は口を拭いながら骨喰から離れた。目には涙が浮かんでいる。
「安定と何があった?」
「五月蝿い!!」
 肌蹴た浴衣の前を隠しながら、鯰尾は怒りをぶちまける。安定が何故自分を殺そうと思ったかなど、鯰尾自身も知らない。鯰尾は、骨喰に対して怒りの様な悲しみの様な感情を爆発させた。
「突然名前で呼ばないでよ!!」
「え…?」
 骨喰は先程の自分の行動を思い出す。部屋の前に人が増えた気配がして、目が覚めた。いつもの様に、相手を誘う鯰尾の声。傷を見られない為の前置きが済んだ後、突然声が止んだ。全く声がしないなんておかしい。それに、息遣いや衣擦れの音も、不規則なリズムで何かが変だ。
 邪魔をしない方が良いかと思ったが不安になり様子を見た。そしたら安定が鯰尾を襲っており、殆ど反射的に安定を斬り付けたのだ。いや、実際は斬るつもりはなかったのだが。
 その時、確かに自分は鯰尾の名前を呼んだ。
「それが…どうした…」
 腕の傷を抱え込む様にして泣いている鯰尾に困惑する。鯰尾は首を横に振った。
「骨喰…」
 自分を名前で呼んでいたのは、かつての骨喰だ。
 こんな風に、突然戻って来て、またすぐに居なくなるなんて、やめてほしい。こんなだから自分は過去から逃れられない。
「…あそこをやり直せば…」
 浴衣の袖を握り締める。
「明日出陣する場所!! 大坂をやり直せば失わないで済む!!」
「骨兄…」
 鯰尾の叫びの残響が消えない内に、高い声が聞こえた。二人が振り向くと、奥の部屋で寝起きしている乱が、ひらひらの付いたパジャマ姿で骨喰達の部屋の中から様子を見ていた。
「なま兄…大丈夫?」
「起こしたか?」
「ボクと薬研クンだけ…」
「すまない。鯰尾が魘されて眠れないだけだ。心配するな」
 骨喰が適当にあしらって乱を部屋に帰す。乱は納得していなさそうだったが、大人しくそれに従った。
 その様子を見ていた鯰尾は、かつての面影を重ねざるを得なかった。
『心配するな』
 大坂城が落とされる前。間もなく豊臣の天下が終わってしまうのではないかと杞憂の様な不安を抱いていた鯰尾を励ます骨喰。
『その時はその時だ。俺達の役目は、そうならない様に精一杯、主に仕える事だ』
 その言葉があったから、これまで堪えられた。炎にその身を焼かれても、最刃されてかつての敵の元に渡っても。
 またいつか、全てを受け止める様なその声を、言葉を、聴けると信じて。
「兄弟」
 骨喰は鯰尾の肩に手を置く。もう、鯰尾は逃げなかった。
「俺が記憶を失ってしまった事は、すまないと思っている」
 鯰尾は涙が止まらず、浴衣の袖を目に押し付けた。何故骨喰が謝るんだ。骨喰だって、好きで自分自身や鯰尾の事を忘れた訳じゃない。
「だけど、どうか、今此処に在る俺を認めてほしい」
 袖を顔から離す。骨喰の紫色の目が、じっと此方を見つめていた。
「過去を修正しても、また新たな悲しみが生まれないとも限らない。俺達がしがみつくべきは、もう過ぎ去ってしまった事じゃないんだ」
「骨喰…」
 骨喰は微笑む。骨喰は殆ど感情を表に出さない。彼の笑顔は、此処へ来て、初めて見るものだった。また涙が込み上げてきて、袖を濡らす。
『認めてほしい』
 自分はなんて愚かだったんだ。過去に囚われ、目の前に居る大切な者から目を逸らし、知らず知らずの内に傷付けていた。
 此処に居るのは、間違いなく、自分が探していた骨喰だったのに。
「ごめん、俺…」
「うん」
 骨喰はもう何も言わなかった。鯰尾の身体を抱き寄せ、冷えた身体を温めてやる。鯰尾は、この熱をもう二度と失うまいと、骨喰のパジャマにしがみついた。


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