鞄の中身

  • G
  • 5238字

「ボイス、あーんど」
「アレックスの」
「「鞄の中身拝見し隊!」」
 言わされてアレックスは溜息を吐いた。ボイスが中学を卒業してから一緒に遊ぶ機会も少なくなっていたが、久々に呼び出されたと思ったらこれである。正直、ボイスの馬鹿な遊びに付き合うのが面倒になってきたこの頃だ。
「まずは放課後デート中のフェリックス君を直撃!」
 中央市場を歩いている兄と恋人、ブルーナに向かってボイスが突撃する。しょうが無しに、首に巻いたマフラーが落ちない様に押さえながら、アレックスはその後を追った。

「鞄の中身?」
 ブルーナと寄り添って歩いていたフェリックスは二人に公園まで連れて来られ、その用件の下らなさに呆れた。
「アレックス…嫌なら嫌って言えば良いんだぞ。ボイスに釣られてお前まで馬鹿な真似する事はない」
 こんな阿呆な事を弟が言い出した筈が無いと、アレックスの肩に手を置いて助け舟を出す。アレックスは曖昧に頷きながら、不自然にならない様そっと兄の手を外して側を離れた。
「今俺の事馬鹿って言ったー?」
 ボイスは既に興味津々のブルーナと共にフェリックスの鞄を漁っている。別に見られてまずそうな物は入っていないので、フェリックスは放っておいた。
「そういう質問をする事自体が馬鹿だね」
 辛辣な言い様にボイスが口を尖らせる。
「アレックスも手伝えよ。つかこの指定学生鞄の何処にこんな量の本が…」
 既に十冊くらい、ベンチに分厚い本が並べられているが、まだまだ出てきそうだ。
「魔法で容量増やしてる。重さは変えられないから、重いぞ」
「納得」
 本を一通り出し終わると、今度は細々した物をブルーナが集め始める。筆記用具、手帳、ハンカチ、制服のネクタイ(普段は着用義務無し)、そして…
「これは何?」
ピンク色の封筒。どう見てもラブレター。
「今朝机に入ってた」
 フェリックスが答えるなりブルーナはその手紙をビリビリと破る。フェリックスが抗議の声を上げた。
「あっそれまだ読んでないのに!」
「読む必要無いでしょ」
 ボイスが破れた封筒の差出人名を読み、コメントする。
「一年のデューイか。あのおっぱい大きい元気な子だろ?」
「兄貴の好みそうだね」
 フェリックスは黙れと二人に無言で命じたが、聞く訳が無い。その間にブルーナの機嫌は益々悪くなる。
「兄貴って割とアンジェリーク・キュリーみたいなタイプ好きだよな」
「そういや昔付き合ってた子の殆どがちゃきちゃきしたボインだった気が…」
「へーえ」
 そこで漸く二人もブルーナの険悪そうな雰囲気に気付く。
「どうせ私はブスで貧乳で根暗ですよ…」
「誰もそんな事言ってないだろ!」
 フェリックスが彼女を宥めながら、自ら鞄をひっくり返す。最後に出て来たのは、本革の財布だ。
 財布は意外と薄かった。フェリックスはこう見えても浪費家だ。特に本に出すお金は惜しまない。フェリックスはベンチから落ちそうになったそれをすんでの所でキャッチするとズボンのポケットに突っ込んだ。
「ほら俺のを見せたんだからお前等の番だ」
 フェリックスはボイスを睨んだが、ボイスの鞄は殆ど何も入っていなさそうな程ぺったんこだった。
「…お前、教科書は?」
「全部置き勉」
「馬鹿な事やってないで勉強しろよ」
 ウインクして親指を立てるボイスを一蹴し、アレックスを見る。アレックスは何か言われる前に鞄の蓋を開けた。スポーツマンの彼はフェアじゃない事が好きではないのだ。
「でも兄貴みたいに面白い物なんか入ってないぜ」
 彼の鞄に入っていたのは、確かに普通の高校生が携帯している物ばかりだった。筆記用具、教科書、ノート…大きな水筒、タオル、替えのジャージ類が入っているのは、スポーツ校ならではという感じである。
「…面白くないね」
「なにをう」
 ボイスの言葉にアレックスが少し機嫌を悪くした。何故か他人に改めて言われると腹が立つ。
 クスクス笑うフェリックスに、別れ際、ボイスが囁いた。
「ああいう時はな、『そんな事言ってない』だけじゃなくて『そんな事関係無く誰よりお前が好き』とか『世界で一番美しい』とか言った方がグッとくるぜ」
 フェリックスは横目で親友を睨みながら、その言い回しは参考にする事にした。自分の方が手練れだと思っていたのに。確かに自分は褒められる一方で逆に褒める経験に乏しい。

 ボイスとアレックスはフェリックス達と別れて、北に向かって歩きだした。
 中央市場を抜け、北区の高級住宅街へ。他に鞄の中身を見せてくれそうな当てが無いし(ブルーナにはやんわりとしかしはっきり断られた。無理強いするとさっきラブレターを破った様に容赦無く殺されそうだったのでやめた)、暑いしアレックスの家に行くつもりなのだ。
「フェリックスと喧嘩でもしたか?」
 ボイスの問いにアレックスは空虚な笑いで否定する。実際、喧嘩はしていない。だが二人の間に溝が出来ている事に、誰より二人の近くに居るボイスは気付いていた。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
 二人が店のドアを潜ると、両親と従業員の他に、もう一人出迎えてくれた人物が居た。
「お、アレックスじゃん」
「先輩」
 ヴィクトーがアレックスの母親に出来上がったばかりのスーツを着せられ、セーラがその仕上げをしていた。
「あらぁ、アレックスのお知り合いでしたの?」
「はい。お世話になっております」
「お世話してるのは貴方の方じゃないかしら。しっかりした先輩に仲良くして貰えて良かったわねえ」
 最後はアレックスに向けて言い、母は猫を被ったヴィクトーとの会話を切り上げた。
 アレックス達はヴィクトーの支払いが終わるまで店内で待ち、彼がスーツを持って帰ろうとした所を捕まえた。
「先輩、[うち]おいでよ、たまには俺の!」
「良いけど、何だよ?」
 アレックスは別にヴィクトーの鞄の中身を見たい訳ではない、と言えば嘘になるのだが、格好悪いので、ボイスに「あの先輩を狙え」と言われたから引き留めたのだと心の中で言い訳した。
「いや特に何も無いけどさ」
 ヴィクトーは店を突っ切り、案内されたアレックスの自宅に感銘を受けた。
「これは…」
 なんて古い建物だろう。なのに、王族の住まう城よりも何処か上品で威厳があり、良く手入れされていた。これ程美しい建造物をヴィクトーは見た事が無かった。
「まあまあどうぞどうぞ」
 玄関を開け、アレックスの友人がヴィクトーにスリッパを勧める。ボイスにとってアレックスの家は自分の家に等しい。その逆もまた真なり。
(こいつは確か…ボイス・ウッドだったか、フェリックスによくくっついてる)
「此処俺ん家なんだけど」
「げふう」
 ヴィクトーが考えながらスリッパを履いている隣で、低い姿勢で居た所をアレックスに蹴飛ばされてボイスが廊下に倒れる。そうされるのを楽しんでいるのだ。
「俺の部屋で待っててー」
 言ってアレックスは茶菓子を取りにキッチンへ。ボイスは通い慣れた廊下と階段を突き進み、ヴィクトーを三階のアレックスの部屋へ導いた。
「俺、ボイス・ウッド」
 階段を一段飛ばしに上りながらボイスが言った。
「アレックスの兄貴のダチ。あんたは? …どっかで会ったことあるっけ?」
 ボイスも思い出してきたのか、部屋に入り背の低いテーブル越しに向かい合って座りながら尋ねる。
「ヴィクトー・フィッツジェラルド」
 その名を聞いてボイスは一瞬背筋が凍った。中学の頃、北の森地区一体を恐怖に陥れていた問題児だ。
「あぁ! 北の森のフイッツジェラルド!?」
「昔の話は止めようぜ」
 荒れていた時期を思い出してヴィクトーが笑う。
「何でアレックスと友達に?」
 ボイスはアレックスが悪い事でもさせられているんじゃないかと心配になった。変な事をさせているのはお前だ。
「ちょっと縁があって。心配すんな、もう悪い事はやってねーよ」

「先輩何でスーツなんか?」
 暫くして温かい茶と高級そうな菓子を盆に載せたアレックスが来た。
「就活だよ就活」
「もうそんな時期!?」
 時の流れの速さにアレックスは驚いた。
「そんな時期だよ。ところで何で俺を呼んだんだ?」
「これこれこういう事をやってましてー」
 流石はボイス、若干ビビりながらも元不良少年に本日の遊びの内容を伝える。ヴィクトーは笑って承知した。
「こういうの楽しいよな」
 言いながらテーブルに中身を並べる。彼は友人の家に呼ばれた事自体が初めてなので、端から少しワクワクしていたのだ。
 教科書、ノート、筆記用具、この辺りは誰の鞄にも入っている。タオルや着替えの類は床に並べた。続いて財布、ビニール袋。
「ん?」
 最後に鞄の外側のポケットを探っていたヴィクトーの指に、覚えの無い物が当たる。
「何か入ってる」
 引っ張り出して確認すると、手紙だった。
「何それ?」
 無邪気なアレックスが手を伸ばしたが、途中でそれが何であるか気付いて手を引っ込める。
「…ラブレター?」
 ボイスがニヤニヤしながらヴィクトーを見ると、彼の表情は固く目が据わっていた。
「あの…先輩…怒らない」
 で、と言う前にヴィクトーはビリビリと、ブルーナがやったよりも細かくその手紙を破り捨てた。
「どどどどうしたの?」
 ボイスが尋ねるとヴィクトーは
「男から求愛されても嬉しくない!」
と吠えた。
 ヴィクトーは正直な所、女性よりも男性にウケが良かった。小柄だし、童顔だし、色白だし…学校がほぼ男子校な事も拍車をかけている。
「つーか鞄勝手に開けて突っ込んだのかよ。あー! 差出人見ときゃ良かった」
 粉々のラブレターを睨み付けるヴィクトーの剣幕に、アレックスは心底破いてくれて良かったと安心した。告白主が殺されかねない。
「ま、こんなもんかな。片付けるぞ」
 一通り怒りが収まったところでヴィクトーは荷物を元に戻す。
「先輩訊いて良い?」
「彼女居ないの? とか言う愚問ならお断りだ」
 図星のアレックスが口をすぼめる。
「何々、色恋沙汰?」
「どうもいらっしゃるらしいんですよ良い感じのお方が」
 食い付いたボイスにアレックスが耳打ちする。ヴィクトーは苦々しい顔をした。
「おや否定しない」
「告白しないんですか?」
「…あいつはそんなんじゃねーよ」
 ヴィクトーはクッキーに手を伸ばしながら、寂しい目で言った。
 ヴィクトーは恋人が欲しかった。自分を愛してくれる人が欲しかった。
 手に入れようと思えば快楽なんて幾らでも手に入るという事を、ヴィクトーは知るのが早過ぎた。彼が相手をしてきた女達は、ヴィクトーの顔だとか、声だとか、体だとか、血統なんかを愉しんで欲していただけなのだ。それらは紛れも無くヴィクトーの物ではあるけれども、ヴィクトー自身ではないのだった。
 だが彼女は違う。
 違うからこそ、自分の人生に巻き込んではいけない。
「…まあ、俺は別に一生独身でも良いからー」
 空気が重くなってしまっている事に気付き、ヴィクトーが少し話題を変えた。アレックスの部屋に置いてあるクッションを枕にして寝転がる。冬仕様の毛足の長いカーペットがふかふかして気持ち良い。
「え、先輩いつも彼女欲しいって言ってるのに、結婚はしたくないんだ?」
「うーん、よく解らないけど…」
 ヴィクトーは無意識に父親の顔を思い出していた。
「…子供は一人くらい欲しいかな」
 人生の伴侶は必要無い。ただ、自分に似た子供が欲しい。その為には、彼のステータスに目が眩んだ馬鹿な女を捕まえるのも悪くは無いかと思っていた。まだ、この時は。
 部屋が暖まってきた上におやつを食べて眠くなってきた三人の耳に、隣の部屋の扉が開く音がした。フェリックスが帰って来たのだ。ブルーナの声も聞こえる。すかさずボイスが壁に寄り、耳を付けて隣の様子を盗み聞きしようとするが、二人は元々大きな声で話さないし、一緒に宿題か何かやっているのだろう、殆ど音がしない。
「…さて、帰るかな。夕飯の支度もあるし」
 ヴィクトーはらしくも無い話をしたな、と思いながらアレックス達に裏口まで送ってもらった。
「凄いなこの花壇」
「兄貴が育ててるんだ」
 冬に咲く花々が色鮮やかな庭を見て、ヴィクトーがまたも感動した。これ程までに美しい色を生み出す事が出来るのに、当の本人には色が無い訳か。皮肉である。
 三階を見ると、出窓に座って談笑しているフェリックスとブルーナの姿が見えた。二人は此方には気付いていない様子で、しばし黙って見つめ合った後、キスをしていた。
「絵になるねえ、フェリックスは」
 ボイスが口笛を吹きながら、冷たい風に身を震わせて先に家に入った。アレックスは涙を堪えながら、狼狽した顔でヴィクトーを見る。
 ヴィクトーはそんな後輩の様子を見て言った。
「またいつでも俺ん家来いよ」
 そして彼は木枯らしに吹かれながら帰路に就いた。例えそれが成就しようがしまいが、本気で恋を出来る友人達を羨みながら。この時はまだ、ヴィクトーが過去を捨てて誰かを愛せる程、傷は癒えていなかった。だが、彼が魂の伴侶に出会うのは、そう遠くない未来まで迫っていた。

このサイトではクッキーを使用しています。
詳細