第61章:アンジェリークが語るには

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  • 3329字

 アレックスが事情聴取を終えてホテルへと戻ると、アンジェリークと廊下で擦れ違った。というか、隣の部屋だったらしい。
「フェリックス?」
 アンジェリークが間違えてそう呼んだ。
「あー、ごめんなさーい、人違いでーす」
 が、すぐに気が付いて謝られる。
「兄は病院に居ますよ」
 アレックスがファンだと言う事を伝えると、アンジェリークは彼を夕食に誘った。
 アンジェリークの部屋は乱雑としていた。まるで何年もこの部屋に住んでいたかの様である。
 ベッドの上に散らかっていた服を脇にどけ、アンジェリークはそこに腰掛けた。一つしかない椅子には、アレックスに座るよう勧める。ロビーに電話をかけ、暫くするとホテルの従業員が二人分の食事を運んできた。
「…引退されて、残念です」
 アレックスがスープに口を付けながら言うと、アンジェリークは苦笑した。
「兄さん、逃亡中どんな様子でしたか?」
「そうですね…」
 アンジェリークもスープで手を温めながら答える。
「…優しかったですよ」
「そうですか…」
 アレックスは下を向く。アンジェリークは机の上に置いていた、小さな銃を手に取った。あの後劇場内を片付けていたら見付けた、レベッカがフェリックスにやった銃。弾は二つとも入っていなかった。彼は一体誰を撃ったのか。
 答えはすぐ目の前に居た。アレックスが黒い目を見開いてアンジェリークの手元を見ている。
「それ…」
 その顔付きでアンジェリークは悟った。
「………っ」
 アンジェリークは何か言おうとしたが、その前に部屋の扉がノックされたので、会話を中断して立ち上がる。
「はーい?」
「本を返しに…!」
 フェリックスが先程読み終えた小説を手に廊下に立っていた。しかし部屋にアレックスの姿を認めると、彼女にそれを押し付けてさっさと去ろうとする。
「待って! お話したい」
 アンジェリークが彼を引き留め、フェリックスがあれやこれやと理由を付けて立ち去ろうとしていると、アレックスと同じ部屋に泊まるつもりだったエリオットが帰ってきた。
「フェリックス君。あ、丁度良い、サーカスの方ですね?」
「はい」
「少しお尋ねしたい事が。フェリックス君、君とアレックス君と話す事もあるんだ。場所お借りしても?」
 部屋の中にアレックスが居るのが見えたのか、尋ねる。
「どーぞ。お入り下さい」
 フェリックスは逃げようとしたが結局エリオットに服の襟首を掴まれて強引に部屋の中に入れられた。
「さて…お話を中断させてしまいましたかね?」
「いーえ、どーぞ、お先にお話し下さい」
 アンジェリークの言葉に甘え、エリオットが切り出した。
「アレックス君と俺は明日には此処を発つ。俺は仕事があるし、アレックス君も学校があるしね。フェリックス君はどうする?」
「帰りません」
 フェリックスは即答した。アンジェリークが複雑そうな顔をして、パンを千切っていた手を止める。
「…代役がありますし」
 一拍置いてフェリックスが苦し紛れに言った。そう言われると、エリオットも強引に連れて帰るべき理由が見付からない。フェリックスなら二ヶ月くらい学校を休んでも直ぐに追い付くだろう。
「…じゃあ、二ヶ月後に迎えに来よう。その頃にはヴィクトーも動かせるだろうし。それで良いかいアレックス君?」
 アレックスは尋ねられても頷くしか出来なかった。
「じゃあ親御さんにも、ティモシー首相にもそう言っておくよ。それで、お尋ねしたい件なんですが、『ロザリオ』という物をご存じではありませんか? ヴィクトーが、彼の父親が信仰していた宗教を知りたがっていて。十字のモチーフが付いたネックレスの様な物ですが」
 アンジェリークがハッと顔を上げた。フェリックスも彼女を見る。
「知っている…訳ではないのでーすが」
 アンジェリークは食事を中断して、先程フェリックスに返してもらった本を取り上げた。
「この本に記述がありまーす。この本だけじゃーありません。他にも色々」
 言って彼女はベッドの下からトランクを取り出すと、その中に入っていた沢山の小説を見せた。どれもアンボワーズ語のタイトルが付けられ、見知らぬ小説家の名前が踊る。
「あたしも父の…故郷を探していまーす。これは父の形見でーす。アンボワーズ語を覚えてから読みましたがー解らない事が多ーくて、フェリックスにも読んでもらっていまーした」
「それは何処の国の本で?」
 エリオットが尋ねたがアンジェリークは首を振る。代わりにフェリックスが答えた。
「アンボワーズ生まれの団員も、これらの小説を一つも知りませんでした。そもそも、出版年がアンボワーズ暦ではないみたいなんです」
 アンジェリークが先程の本の製作年が書かれているページを開いて見せた。エリオットが眉を顰める。アンボワーズで使われている暦で考えると、ゆうに今から数百年後に世に出る予定の本と言う事になってしまうが、そんな馬鹿な話がある訳が無い。歴史の古いエスティーズ暦で考えてようやく今から数年後という所だ。
「でもアンボワーズ語は魔法語として用いられる他はアンボワーズ国でしか公用語として使われていない筈だが…」
「そうなんです。内容も変なんですよ。違う作者が同じ『France[フランス]』という国を舞台に書いているんです。そういや」
 フェリックスが一瞬アレックスを見て、直ぐに目を逸らして言った。
「アレックスは地理得意だろ。『フランス』って国、何処にあるか知らない?」
「『フランス』…」
 アレックスにも、エリオットにも聴き覚えのない国の名前だった。
「今直ぐには思い浮かばないけど、帰って学校で調べて来ます。綴りを言ってもらって良いですか?」
 アレックスはメモしようとポケットの手帳とペンを出した。それと一緒に、身分を詐称する為に使った身分証が床に落ちる。床に座り込むような体勢だったアンジェリークがそれを拾い上げ、そこに書いてあった名前を見て口に手を当てた。
《お父さんのだわ!》
《本当に!?》
 アンジェリークがフェリックスにそれを見せた。シャンズ国のフェリックス・キュリーの物だった。
「これ…頂戴…?」
 アンジェリークが嬉々としてアレックスに尋ねた。アレックスは聴取が終わり、もう必要の無い物なので頷く。直接彼女の父の故郷に結びつく物ではないが、形見である事には違いない。アンジェリークはトランクのポケットに大事そうにそれを仕舞った。

 話を終えると食べ終わったアレックスとエリオットは部屋を出て行った。フェリックスはアンジェリークが座っていた場所に腰を下ろすと、溜息を吐く。机の上にあの銃が乗っている事は、さっきから気が付いていた。
《アレックスと俺の事話したの?》
 その銃を返してもらいながら尋ねた。アンジェリークは首を振る。
《肝心の話をする時に貴方が来たわ。何があったの?》
 フェリックスはすぐには答えなかった。アンジェリークが隣に座る。
《ちょっとね…》
 フェリックスがアンジェリークの瞳を覗き込んだ。アンジェリークは照れて下を向く。
 フェリックスはブルーナの事を思い出していた。隠し事をされていたと解った時のあの苦い思い。一方的に振ってしまった後の後悔。どちらも凄く辛かった。でも、それらはこれから国に帰って彼女達に再会する事によるあらゆる苦痛に比べれば、取るに足りない事だろう。
(弟を殺そうとしたフェリックス。王子殺しの罪が晴れても、結局同じさ)
 フェリックスは瞼を閉じた。
《忘れたいんだ》
 思い出せば思い出す程、ブルーナとの復縁は不可能だと思えてくる。他にも色々な事を忘れたい。優等生としての自分も、殺人鬼としての自分も。舞台に出ている時の様に、自分の人格を、背景を、その時々で変えられたら良いのに。
 フェリックスが目を開けると、今度は彼女が顔を覗き込んでいた。
《ねえ》
 いつの間にかフェリックスの頬に流れていた涙を指で拭うと囁いた。
《あたしは、フェリックスが例え誰に銃口を向けたのだとしても、貴方の事が好きよ。だって》
 アンジェリークは一呼吸置いて続けた。
《貴方、こうやって誰かの為に泣けるじゃない》
 言い終えるか否かのタイミングで、アンジェリークはフェリックスに肩を掴まれると、その唇で口を塞がれてしまっている事に気が付いた。

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