Cosmos and Chaos
Eyecatch

第58章:Angelique leaks[アンジェリークが語るには]

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  • 3665字

《アンジェリーク》
 食堂から部屋へ戻る途中の階段で、フェリックスはアンジェリークを待ち伏せしていた。
《びっくりした! 何の用よ?》
《ハーキュリーズさんはどうして亡くなったの?》
 アンジェリークはこれを聞いて激昂し、自分の部屋へと歩きだしながら言った。
《貴方わざとね! 知る必要なんか無いのに、好奇心でしょ! そんなに人の傷をえぐるの楽しい?》
《楽しかないけど》
 フェリックスはその後を追った。いくらアンジェリークが速歩きしても、脚の長さでフェリックスにすぐ追い付かれてしまう。
《俺は無意識に無神経を装って[むご]い事を言う癖があるみたいだから、誰かを傷付ける前にその癖を指摘してくれた人に言ってしまうのが良いかなと思って。さて今『む』って何回言った?》
 丁度アンジェリークの部屋の前まで来たので、立ち止まった彼女は鍵を回しながら答えた。
《三回》
 怒っているのか笑いを堪えているのか判らないむくれっ面でフェリックスを見る。フェリックスが微笑みを…いつもの人を虜にさせる笑みである…作ると、彼女は憂いの溜息を吐いた。
《入りなさいよ》
 アンジェリークの部屋は乱雑としていた。まるで何年もこの部屋に住んでいたかの様である。フェリックスは女の子の部屋は整理整頓されているものだと思っていたので、少しだけショックを受けた。まあ、汚い部屋の状態で彼氏を家に入れる乙女はそう居ない。
 ベッドの上に散らかっていた服を脇にどけ、アンジェリークがフェリックスに座るよう勧める。
《その笑い方やめなさいよ》
 アンジェリークが椅子を移動させつつ、フェリックスを見ずに言った。まるでフェリックスの笑みを怖れている様な言い方だった。実際、彼女はその裏に残酷な性格が息を潜めている事を見破っていたので、怖かったのだ。
 アンジェリークはフェリックスが怖かった。甘いマスクに甘い声で、さりげなく毒を吐く白い悪魔。白いのは見た目だけではない。アンジェリークは彼の心が白い事も知っていた。何かは解らないが、フェリックスはただ一つの欲望を満たそうとしているだけだ。その目標へは一点の曇りも無い。
 フェリックスが自分を見詰めている事に気付いて彼を振り向いたアンジェリークは、彼の深紅の双眸に完全に捕らえられてしまった。彼はあの人と同じ眼をしているのだ。アンジェリークはそれが一番怖かった。
(お父さんの眼が…!)
 彼女の父親の瞳は、彼女と同じ緑色だった。しかし、それらは全く違う性質の眼だった。彼女は父親と眼が合う度、まるで自分の幸福は彼の手に全て掌握されている様な気がしてならなかった。そういえば、父の名もフェリックス[幸福]と言った…。
 彼女の父は、彼女が幼い頃、しょっちゅう旅に出ていて、彼女はもう彼の顔すら覚えていなかった。ある時ぱたりと連絡が途絶え、もう、旅の途中に何処かで死んでしまったのだろう。彼女は父の顔こそ覚えていなかったが、彼のあの人の心を捕える眼と、娘の頭を撫でる時の優しい手のひらの感触だけは忘れる事が無かった。父はとても優しかったのだ。しかし同時に、アンジェリークは彼に恐怖と冷淡さを感じていた。
《どうしたの?》
 椅子の横で突っ立ったまま動けなくなっていたアンジェリークに、フェリックスが心配して問いかけた。
《何でもない》
 彼女は慌てて椅子に座り、いつもの調子を取り戻した。
《それで何だったっけ? もう面倒だから全部答えてあげるわよ》
 こうなったら自棄である。此処で答えなければ、また今度自分か誰かが同じ事を訊かれるだろう。彼が行動を別にしようと決心するまで。
《ハーキュリーズさんの死因》
《事故よ。彼が空中ブランコ乗りだったってのは知ってる?》
《初耳。ブランコから落ちたの?》
《違うわ。もっと恐ろしい事故よ…》
 彼女はその時の様子を思い出したのか、真っ青になって答えた。フェリックスの真実の良心が彼を呵責した。自分は彼女を苦しめている。いつもは建前で申し訳無く思うが、今日は本心からそう思った。
《ブランコごと落ちたの。金具が劣化してたのよ。この事故が練習中だったのが不幸中の幸いだわ。本番の最中だったらと思うと…》
 フェリックスは何も言わなかった。もう止して自分の部屋に帰ろうかと思ったが、彼が切り出す前にアンジェリークが口を開いた。
《他に質問は?》
 フェリックスは聞きたい事が残り二つあった。どちらから聞くべきか一瞬悩み、軽く聞ける話題から入る。
《団長さんの背中の翼、あれ何?》
《それは本人に聞いた方が面白可笑しく身の上語ってくれるわよ。そうね、でも、これも恐ろしい話だわ》
 アンジェリークは言うと少し身を乗り出した。
《団長の出身はエスティーズ国。科学技術がとっても発展してる事で有名らしいわね》
《うん。工業に関してはウィリアムズとどっこいどっこいだけど、特に医療技術が発達してるらしいね》
《団長はそこで免疫学を研究していたんだけど、ある時勤め先の病院で気を失ったかと思うと、目覚めたらあの羽が移植されていた》
《それってつまり…》
 フェリックスが唾を飲み込む。
《人体実験ね。それも違法な》
 アンジェリークがフェリックスの言葉を継いだ。
《あの羽は団長が研究していた巨大蝙蝠の羽らしいわ。団長は隙を見て脱走して、このマイルズまで命からがら逃げて来た。そして今に至る》
《確かに怖い…と言うか酷い話だな》
《でしょ。詳しくは本人に聞いて。私絶対エスティーズの病院には行かない》
 この話題を終えると《他には何か?》とアンジェリークが言った。そしてフェリックスが最後の質問を口にする。
《恋人とか居るの?》
 アンジェリークはこの質問が全くの想定外だったので、三秒程思考停止してから漸く《はぁ?》と言う事が出来た。てっきり、また《何故格闘家を辞めたのか》と訊かれると思っていたからだ。
《何それ口説くつもり?》
《そのつもり。で、居るの居ないの?》
《ぽい人は祖国に居るけど…多分もう破綻してるわ。最後に会ったの八年くらい前だし》
(って何真面目に答えてんのよあたし!)
 アンジェリークは自分で自分にツッコミを入れる。
《ていうかこの質問そっくりそのまま返すわよ》
《何それ口説いてんの》
《違ーう!》
 目の前にちゃぶ台があったらひっくり返しそうな勢いでアンジェリークが言うと、フェリックスは可笑しそうにクスクス笑った。
《俺も居たよ。国にね。でも別れた》
 フェリックスはその時の事を思い出した。隠し事をされていたと解った時のあの苦い思い。一方的に振ってしまった後の後悔。どちらも凄く辛かった。でも、もう気付いてしまったのだ。半永久的な別れをした今、自分の心がそれ程傷付いていない事に。
《未練がありそうな顔してるわね》
《本気だったからね。大ありさ》
 フェリックスは瞼を閉じた。
《忘れたいんだ》
 国であった事を思い出せば思い出す程、彼女との復縁は不可能だと思えてくる。まず、今後また会える機会があるのだろうか。ブルーナが自分を本当に愛していたのかどうかも怪しい。その上、隠し事が原因で終わった恋だ。フェリックス自身が己の隠し事を…胸に悪魔を飼っている事を彼女に知らせ、それでも彼女が自分を求めると言ってくれない限り、また破局が訪れるだろう。フェリックスは自分の本性を見たブルーナが何と言うか怖くて、ずっと自分を押し殺していた。では、彼女が確かにフェリックスを愛していたとして、それは本当に自分自身を愛していたと言う事になるのか? 彼女は自分の美しい仮面を愛していただけなのでは?
 アンジェリークが隣に移動してきた気配がした。フェリックスが目を開けると、彼女が顔を覗き込んでいた。
《ねえ》
 アンジェリークはまたもや決定的な言葉を口にした。
《貴方愛されたいだけなんでしょう?》
 フェリックスは突然アンジェリークの肩を掴むと、強引にベッドに押し倒した。が、相手は怪力を芸として売る女である。すぐに形勢は逆転し、フェリックスはいつの間にか部屋の外に追い出されていた。
《畜生!》
 フェリックスは魔法が解らない人間に内容が知られる事が無い言葉、アンジェリークの国の言葉を使って悪態を吐いた。フェリックスが把握する限りでは、このサーカスで魔法が使えるのはアンネだけだが、彼女の部屋はこのフロアではない。
《愛されたくて何が悪いかよ! お前も世界から嫌われてみろ! 存在する事を否定されてみろ!》
 フェリックスはらしからぬ…実際はこちらが本性なのだが…荒々しい言葉遣いで叫んだ。肩で息をしながら、さっきのお返しとばかりに、アンジェリークの部屋の扉に向かって吐き捨てた。
《満足か!? 俺の仮面を剥ぐのがそんなに楽しいか!?》
 ドアの向こうから返事は無かった。フェリックスは少し冷静になると、静々と自分の部屋に戻った。
 不思議な気分だった。自分の本性を指摘されて腹が立った。しかし彼女が憎くなった訳では無かった。
 実を言えば、誰か仮面を剥いで、醜い憎悪の塊である自分を見ても受け入れてくれる人を探していたのである。