第41章:天使の経歴

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  • 3070字

「ねえ」
 遠くで少年の声がした気がした。
「ねえってば」
 しつこく少年はフェリックスに声を掛ける。フェリックスはぼんやりとそれが現実だと認識した。
「~~~」
 声にならない声を上げて目を開くと、白い顔がフェリックスを上から覗いていた。窓から射す西日が眩しい。
「四時」
 エドガーは無愛想にそう言うと、レベッカの馬車を出て行った。フェリックスは前髪を掻き上げると、まだ眠っていたい気持ちを制して外へ出る。早めの夕食を戴いて、フェリックスはレベッカの代わりに武器を持つ事となった。
「頑張って下さいや」
 フェリックスと同じ焚き火で食事をしていた、小人夫婦の夫、ダニエル・ヤングがフェリックスを励ました。
「心配せんでも、何かあったら起こして下さい。銃くらいなら私達にも使える」
 フェリックスは頷く。ダニエルの妻のエリザベスも愛想良く微笑んだ。彼等夫婦は小人症であったが、彼等の近くでいそいそと仕事をしている二人の子供達は通常の背丈をしていた。フェリックスはその事にとても励まされた。自分がブルーナと結婚して生まれる子供も、アルビノになるのではないか…姉もアルビノだったし、遺伝する可能性は高い。できれば自分の子供に自分と同じ苦労はさせたくなかった。
 と、ここで目が醒める。ブルーナは此処には居ない。もう会えないかもしれない。無意識に南の方を…自分達が進んで来た方向を見やった。ウィリアムズの城壁が見える筈も無かった。
「よく眠れたか?」
 もうすぐ陽が暮れる。陽が落ちた後は、安全の為に移動はしない。団員達が各々の馬車に引っ込んで行く中、オズワルドがフェリックスに尋ねた。
「はい…でも、三時間ちょっとは短いです…」
 オズワルドはハハと歯を見せて笑う。
「いつでもこんな生活をしている訳ではないがね。明日の午前中には着く。そうしたらまた揺れないベッドの上で休めるよ」
 そう言うとオズワルドも馬車へ帰って行った。外に残されたのは、フェリックスとアンジェリーク、馬達だけ。
 アンジェリークは大きな剣を背中に担いで、自分の馬車の上に登っていた。フェリックスはどうするべきか少し悩み、彼女の馬車の隣に停めてあったレベッカの馬車の上に登ろうとする。車輪や窓枠に足を引っ掛けて登ろうとしていたら、失敗して大きな音を立ててしまい、中に居るレベッカに叱られた。
「扉の横に梯子があるでしょ」
 見てみると、確かに馬車には始めから梯子が取り付けてあった。顔を赤くして屋根へ乗ると、アンジェリークが必死で笑いを堪えていた。
 その横顔がブルーナに似ていた。
「…あの」
「ごめんなさーい。あとアンジェリークで良いですー」
「アンジェリーク」
 自分は何を言おうとしているんだろう。自分で彼女の名を読んだ声でハッとしたフェリックスは、言葉を切ってアンジェリークを見つめた。
 ブルーナの事を愛しているのに。
 でもブルーナは自分を愛してはいなかった。
「…なあに?」
 アンジェリークが困惑して尋ねる。
 別の誰か[アンジェリーク]を好きになるのは間違いじゃないだろう。
「いや…シャンズ国生まれって言ってましたけど、その訛りってアンボワーズ系の言葉じゃないかなーと」
 この世界には主に四つの言語系統がある。ウィリアムズやその周辺国では、国によって訛りがあるがエスティーズ国の言葉エスティーズ語が話される。南の島国トレンズでは独自のトレンズ語が、東の谷の向こうはシャンズ語が主流だ。アンボワーズは西の砂漠に隣接するオアシス国家で、文明が発達している国の一つなのでウィリアムズでも教養としてアンボワーズ語を学ぶのだ。
《凄い。良く知ってるわね!》
 フェリックスが咄嗟に言った事に、アンジェリークがアンボワーズ語で答えると目を輝かせた。
《聞き取れる?》
《ゆっくり話してくれれば、多分。魔法語って、アンボワーズ語が由来だから》
 アンジェリークは使い慣れた言葉になると、お喋り好きである事が判明した。
《八年程アンボワーズに居たの! まあ訳あって今はこの劇団のお世話になってるんだけど、アンボワーズ語が話せるのって団長さんとピエールくらいで…》
《あ、ピエールさんもですか。確かに名前がアンボワーズっぽい。団長さんも?》
《ノン! 団長はエスティーズ》
 アンジェリークは人差し指を立てて否定した。横顔はブルーナに似ているが、正面から見た顔や、喋り方は全く似ていなかった。
「~~~五月蝿い! ちゃんと見張りしなさい!」
 アンジェリークの声に起こされたのか、レベッカが馬車の中から天井に向かって何か投げ付けた音がした。フェリックス達は反省して辺りを見回したが、見た所賊が襲ってくる心配は無さそうだ。
《フェリックスはウィリアムズなんだっけ。遭難してた事情、詳しく教えてくれる?》
 フェリックスはやれやれ、と思った。食事の度に異なる団員から事情を聞かれ、何度目かの同じ説明を繰り返す。
《陰謀に巻き込まれたのね!》
 アンジェリークはわくわくした表情を隠さなかった。
《あのねぇ、傍から見る限りは面白いかもしれないけど、当事者の身にもなってみてよ》
 此処でふと、フェリックスは少しだけ意地悪な気持ちになって尋ねてみた。
《俺の事話したんだから、今度はそっちの番だよ》
 アンジェリークが笑みを引っ込めた。フェリックスはまずい、と思った。昼間彼女は、自分の過去について触れられたくない様な素振りを見せていた。それを知っていて尋ねるなんて、やっぱり、やめておけば良かった。
《…あたしの名前はアンジェリーク・キュリー》
 アンジェリークは膝を抱き寄せると、フェリックスから目を逸らして言った。
《本当に、聞いた事が無いの?》
 フェリックスはもう一度、自分の頭の中の名簿を調べ直した。有名人…アンジェリーク・キュリー…言われてみれば、何処かで…。
《……ある》
 アンジェリーク・キュリー。アレックスが傾倒していた、アンボワーズの美少女(として売り出されていた)格闘技選手だ。それしか思い浮かばなかったし、思い出した後はそうとしか考えられなかった。歳は確か自分より三つ上だった筈で、目の前に居るアンジェリークもそのくらいだ。
《確か、去年くらいに引退して…》
《此処に居るのよ》
 アンジェリークは自分の膝に顔を埋めた。フェリックスは彼女の引退理由を、アレックスが残念がる言葉と共に思い出す。
「アンジェリーク、相手の選手が死んだのは事故なんだから、引退までする事無いのに…」
《…弟がファンだったよ》
 気まずくなり、フェリックスはそう言う。
 アンジェリークは少しだけ顔を上げると、フェリックスを見て微笑んだ。
《ありがとう》
 それきり、二人は会話を止めた。
 時計を見ると七時を回っていた。あと数十分で交代だ。周囲に危険要素が潜んでいる感じもしない。今度も無事に役目を終われそうで一安心していた時、アンジェリークが言った。
《私の父…幼い時に生き別れたんだけど、父はアンボワーズ系なんじゃないかって言われてアンボワーズに行ったの。有名にもなった。それでも父は見つからなくて》
 はあ、と溜息を吐く。
《もう死んでるのかもしれないわね。人間って簡単に死ぬんだもの、私なんかでも殺せるくらい》
 そしてフェリックスを見る。フェリックスはかける言葉に迷い、それでも微笑んでこう言った。
《貴女が…殺したんじゃないよ。人が死ぬのは…》
 アンジェリークは目をパチクリさせた。この言い回し…何処かで聞いた事があるような…。
《『賢者』がその生を司っているからだよ。昔会った吟遊詩人の受け売りだけどね》

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