第2章:Anyone but me

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  • 3925字


「寒くない? スツルム殿」
 透き通る様な女の声がした。
「平気だ。ドランクは?」
 野太い声が返す。女の声がふふっと笑った。
「女の人は皮下脂肪があるからと思ってたけど、代謝も低いし、体も小さいから男と大差無いね」
 真っ暗な洞窟の中。不思議な光に包まれて、気付けば性別が入れ替わっていた。身体の変化が大きかったスツルムと、背中の開いた服を着ていたドランクはあられもない姿になってしまったので、今はジータ達が服を調達しに行ってくれている。
「寒いのか。すぐ戻ってくるだろうから、辛抱しろ」
「どうかな~。団長さんとか見た目かなり変わっちゃってたし、他の人が信じてくれるかどうか」
 ドランクが半分冗談で適当な事を抜かすと、ぐい、と肩を掴んで寄せられた。温かい。
 隆々とした筋肉に頬を当てる。真っ暗な中で目を開けていたって仕方が無い。瞼を閉じると、互いの鼓動だけが世界に響いた。
 それを聴いているのも悪くないが、まるで世界に二人だけ取り残された様な気分になって心細い。いつからだろう。スツルムの存在だけで自分を成り立たせる事が出来なくなったのは。
 それだけ自分が盲目ではなくなったのだ。それは良く言えば成長であり、悪く言えば老いであった。
「お喋りして良い?」
「勝手にしろ」
 いつもそんな許可取らないくせに、とスツルムは小さな背中を撫でる。
「僕ねえ、本当は犬も苦手なんだあ」
 それを聞いてスツルムは目を丸くする。ユーステスに誘われて訪れた犬と触れ合える島で、珍しく楽しそうに戯れていた姿を見たのは、そう遠い過去ではない。
「演技してたのか? ユーステスの為に」
「違うよ~。嫌いじゃないんだけどね、悲しい事思い出すから」
「わざわざ話して思い出さなくても」
「思い出したから話してるんだよー。弱みはこういう場所じゃないと口に出せないじゃない?」
「……続けろ」
 妹の頭を撫でる様なつもりでぽんぽんと叩くと、思いの外ドランクは痛がった。力加減が難しい。
「昔、庭でスライムを見つけてさ、部屋に持ち帰って飼ってたの。でもある日家の人に見つかっちゃって、スライムは捨てられて……代わりに血統書付きの綺麗な仔犬を渡されたワケ」
 スツルムは黙ってドランクの肩を抱いている。
 ドランクの実家が相当裕福である事は、コンビを組み始めて一年も経つ頃には勘付いていた。本人は隠し通しているつもりでも、ふとした時に育ちの良さや、世間から外れた金銭感覚というのは顔を覗かせるものだ。
 しかしそれを確認する事はしないと決めた。お金目当てで一緒に居るのではないかと、ドランク本人にも、第三者にも思われたくなかった。
「でもさあ、たかがスライム一匹で文句言えないでしょ? あいつは一応魔物だし。代わりに連れて来られた犬も可愛いし」
 まあ、その子も病気になって一年程しか生きてくれなかったんだけど、と吐いた溜め息がスツルムの胸にかかる。着ていた服は引き伸ばされて、所々破れていた。
「……僕は、僕じゃない誰かの人生を歩みたかったんだ」
 ドランクがスツルムの背中に腕を回した。いつもなら片腕で抱き締められるのに、今は太い胴がそれを阻む。
「でもそんな事言えないくらい恵まれすぎていた」
 あの館では、欲しいものも、欲しくないものも、何でも全てが揃えられていた。毎日美味しい料理がたらふく食べられた。踏破するのに時間のかかる廊下にも、常に塵一つ落ちていなかった。すぐに着られなくなる子供服ですらオーダーメイドで作らせて――そして、まるで壊れた玩具を買い換えるかのように、誰かを失う度に別の誰かが充てがわれた。
 言えない。とても言えない。「愛すべき人はもう要りません」なんて言えない。それを言ったって彼女達は戻って来ない。そして新しく充てがわれた人達も、きっと愛すべき素晴らしい人である、とは確信が持てた。
 頭ではそう解っていた。それでも抵抗したのだ。誰も幸せになれない決まり事で体裁を保つのがそんなに大切なのかと――終ぞ声は届かなかったけれど。
「だから、せめて兄が居れば。あるいは女に生まれていたら。って、叶いもしない夢を見て耐えてたの」
 ただ一人の人を愛する事も、自分より弱い誰かを守る事もできず――気付けば暗闇の中に居た。
「女にはなれたな」
「それね。まあでも、最初から女だったら誰に嫁がせるかとか、それはそれで面倒だからなー」
 そもそも、とドランクは頬を離す。
「家督は長男が継ぐものだとか、名家の血筋がどうのとか、そんなの、やめちゃえば良いのに」
 やめたら良いのに。したら良いのに。そうドランクが言うのは、本人がその通りに出来なかった時だ。
 それくらい「名家の長男」という責任は重く、ドランクには耐えられないものだったのだろう。彼は優しすぎるから。
 もう母親に合わせる顔が無い、なんて言っておきながら、心の何処かでは、何かあれば実家に戻る必要があると信じているのかもしれない。そうしたら「ドランク」の顔も、家出してからの善行も悪業も全て忘れた様に振る舞うのだろう。
 無論、スツルムの事も。
「やめれば良いだろ」
 それは少し寂しくて、スツルムは珍しく自分に都合の良い事を言った。
「お前の勝手にすれば良い」
 貧民は自らの努力で富を成す権利がある。ならば、富豪が望んでその富を手放す権利もある筈だ。
「……うん? だからそうしてるよ?」
「そうか?」
 しかし、ドランクは結局、それにしがみついているのかもしれない。
「『もう二度と実家には戻らない』と、今此処で誓えるのか?」
 暗闇の中、ドランクの表情は見えない。しかし少しだけ、膝の上に乗せられていた手に力が入った。
「スツルム殿ってさ、飢え死にしそうになった事ある?」
「流石にそこまでは……」
「人間の根本的な欲求が満たされないってねえ、本当に恐ろしい事なんだよ」
 そんな時に食べ物を恵んでくれた人は、無条件で慈悲深い神様に見えた。
「あんな苦しい思いは二度としたくない」
 誰かを失った時の、胸が張り裂けそうな気持ちとはまた別の苦痛。ショック死でもしない限り、悲しみそのもので死ぬ事はないが、飢えには何日も苛まれた挙げ句に本当に殺されるのだ。
 だから食べていく為になら何でもした。明日の朝食代を賄う為に、何人でもこの世から消した。
 自分さえ良ければそれで良い。自分が形骸的にでも「人生」を歩めるなら、誰が――自分でさえも不幸になっても構わない。
 これじゃあの家に居た頃と何ら変わりないと気付きつつも、一度植え付けられた飢えへの恐怖心を克服する事は叶っていない。それほど食欲というのは御し難い本能なのだ。人間の死に方で最も苦しいのは溺死だと思うが、間違いなく二番目は餓死だとドランクは考える。
「君にもさせたくない」
 けど、もう人殺しで稼ぐのはごめんだ。傭兵の仕事が出来なくなって路頭に迷った時、不本意ではあるが、頼りに出来るのは実家くらいしか無い。
 罵られようが家に入れてもらえなかろうが、頭を下げて懇願すればその日食べるパン代くらいは恵んでもらえるだろう。腐りきっているとはいえ、ノブレス・オブリージュまで放棄する程、落魄れてはいない筈だ。
「……だから逃げ道を残しておきたいのか」
「使えるコネは使っていかないとね」
「お前の悪い癖だな」
 何もかもを捨てたつもりになって、その全てにまだしがみついている事に気付いていない。
 別に頼る先なんて山程ある。独り立ちしたスツルムの弟妹達、傭兵ギルド、ジータの騎空団、アポロニアにオーキス……皆なんだかんだでお人好しだから、食べ物でも仕事でも与えてくれるだろう。勿論、普段からそれを当てにしている訳ではないが。
 結局ドランクは、何かと理由をつけて手放したくないだけなのだ。スツルムは、疾風怒涛となってから随分稼いでいたつもりになっていたが、ドランクの様子を見るに実家の資産は桁違いなのだろう。とすれば、その生活に戻れる術を失いたくはない、というのは解らなくも無い。
 だけど、きっと。
「別に無理に嫌いにならなくても」
 嫌な事も沢山あったのだろう。しかし、そこに居た人々を、ドランクは憎みきれていないのだ。
「帰りたいと思うなら、認めろ」
「……スツルム殿は手厳しいね」
「今頃気付いたのか」
「いいや、前から思ってたけど」
 帰りたい。最初にそう思った時に戻っていれば良かったのだ。そうすればこの手が血に汚れる事など、死ぬまで無かっただろう。
「……いや、やっぱり駄目だな」
 その代わり、スツルムと出会う機会を失う事になっていた。
 人殺しになってまで彼女と出会うべきだったのだろうか? 考えたって時は戻せない。殺した人は生き返らないし、その罪も何もしなければ消えない。
 どうしたら贖える? この命一つ差し出すだけでは到底足りない。第一、復讐として拷問なり虐待なり何でもしてくださいと言ったところで、何も解決はしないのだ。
 その答えを見つけるまで、「僕じゃない誰かの仕業です」と白を切り続けるか?
「……駄目だよね、それは」
「そうか」
 スツルムはそれ以上は何も言わなかった。
 ドランクのしてきた事は許されるべきではない。それでも、スツルムも、ジータ達も、ドランクの味方をすると決めたのだ。ドランクにこれから先、道を誤らないという覚悟がある限り。
 暫くすると、二人分の足音が響いてくる。
「スツルム! ドランク! お待たせ!」
「はわわ、本当に入れ替わっちゃってますー」
 灯りを持ったジータがルリアと共に服を持ってきてくれた。ドランクは立ち上がる。
「走って持ってきてくれたんだ。ありがとう。じゃあ着替えよっか……」
 ドランクは自分の分を受け取る。そして、思わず溜め息を吐いた。


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