第1章:一目見た時から

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 どうしても子供が欲しかった。

(なんてこった…)
 レイモンドの両親が死んだのは、彼が十三の時だった。死因はなんとも呆気ない。二人とも毒ガス自殺だった。所謂心中である。
(…なんてこった)
 何故両親は自分も連れて行ってくれなかったのだろう。
 自宅で冷たくなった両親を発見した少年が最初に思ったのはそれだった。
 しがない魔法使いだった両親が遺してくれたのは、小さな家と僅かな財産、そしてアレキサンダー・レイモンドと言う名前だけだった。
 彼は何故彼等が自殺したのか解らなかった。今も解らないが、その方が良いのかもしれない。理由が解らない内は、自分の所為だと責める事もしなくて良い。
 それにしても、親ならもっと子供に何か遺して逝ってほしかった。これからどうやって生活していけと? 両親は親族と疎遠だったから、当てに出来る親戚も思い浮かばない。レイモンドは家を売り、孤児院で生活する事を決めた。
 幸い彼は頭が良かった。レイモンドは高校への進学を希望していたが、それにかかる費用は奨学金で賄えた。決まりで中学を卒業したら孤児院から出て自立しないといけなかったが、奨学金とアルバイトでどうにかできるだろう。
 彼女に出逢ったのは、高校の制服を作りに行った時だった。
 自分とは無縁に思えた高級洋装店のドアを開けたのは、単に此処が新しい住まいに一番近い制服の取扱店だったからだ。
「いらっしゃいませー」
 笑顔で迎えてくれたのは、自分と同じ年頃の、少しぽっちゃりとした少女だった。客が同年代の見目好い少年と見て、彼女はちょっとだけ頬を紅潮させる。
「サンドラ、『せ』は伸ばさない事…何をお求めですかムッシュー」
 彼女の父親と見える店の主人が、彼女を窘めてからレイモンドに問う。
「制服を…プライス学院の…」
「承りました。ローラ、サンドラ、採寸して」
 店の奥から少し年上の少女が出て来て、サンドラと呼ばれた娘と共に採寸を始める。
「え、袖の長さって此処から測るんじゃないの?」
「違いますわお嬢様。もっと付け根の方から…」
 が、とにかく手際が悪い。恐らくローラがこの店に入ってすぐ、サンドラも親に仕事を習い始めてすぐなのだろう。
(この人は親から受け継げる物がある…)
 そう思うと複雑な気分になった。無表情を装うのは苦手なので、笑って誤魔化す。
「ああっほらお客様が笑ってるじゃない! すみません要領悪くてーお時間大丈夫ですかー?」
「いや」
 勘違いして謝るサンドラが、今度は本気で可笑しくて彼は笑った。
「気にせず、続けて…」
 変に間延びした話し方をするお嬢様達が採寸を終え、店の主人と受け取り日時を確認すると、彼は店を後にした。店の前で振り返り、立派な看板を見上げる。
「テイラー洋装店…」
 また此処で服を作ってもらう機会があるかどうか解らないが、此処にはちょっと面白い女の子が居る事を、彼は覚えておく事にした。

 制服を受け取りに行った時は、彼女は店に居なかった。何となくがっかりしながら街を歩いていると、公園のベンチに彼女は居た。
 しかしその隣には男も居た。
「なーんかさー」
 男はレイモンドより一つか二つ上だろうか。何処かの高校の制服を着ているので、それ程歳は離れていない。
「合併とか言ってるけど、別々でやった方が良くねー?」
「どうかーん」
 間延びした口調の男に、これまただらだらした調子でサンドラが同意する。レイモンドは何となく気になって、二人から見えない位置から会話を盗み聞きした。しかし、少し離れている為途切れ途切れにしか聞き取れない。
「…それ何ー? そんな帽子、昔の伯爵夫人でも被ってないよー」
 男が話しながらノートにデザインしていた物を見てサンドラが笑う。
(何か楽しそう…)
 レイモンドは自分が嫉妬している事に気付いていなかった。
「ばーか。鍔がでかくて何が悪い。日除けに最適だ」
 男はノートを閉じ、サンドラに向き直って尋ねた。
「サンドラは俺の事好き?」
「うん」
 この部分だけがやけにはっきりと聞き取れてしまったが為に、レイモンドはその後の言葉を聞き逃した。
「でも兄貴みたいな感覚」
「俺もサンドラを恋愛対象には見れねーよ。あ、悪い意味でなく」
「うん解ってる」
 この辺りでレイモンドは再び耳を澄ませ始めたが、今にでもその場を立ち去りたかった。しかし、まだ二人の会話を聴きたい気持ちの方が強かった。
「だからお互い結婚なんてまっぴらだよな。何が許婚だよ」
 男が急に声のトーンを落としたので、レイモンドには『結婚』と『許嫁だよ』の二言しか聴こえなかった。
 レイモンドは破裂しそうな心臓の鼓動に耐えながら二人を見守った。そして彼は頷くサンドラの笑顔を見た。
「…っ!」
 レイモンドは遂にその場を離れた。
(許婚か…)
 流石はお嬢様、自分とは次元が違う。
(…って何ショック受けてんの俺)
 一目惚れなんて馬鹿らしいよ。恋愛はもっと相手を見極めてからやるべきだ。
 レイモンドは首を横に振ると、自分のちっぽけなアパート目指して駆け出した。

「んー?」
「どしたー?」
 サンドラは隣の帽子屋の跡取り息子兼許婚のアーノルド・ハッターの問いに、首を横に振った。
「今誰かが見てたと思うんだけどー多分気の所為ー」
「そうかー」
 言うとアーノルドは立ち上がる。
「よし、そうなりゃ決まりだ。あの帽子屋は俺が継ぐ」
「あの服屋は私が継ぐ」
「店の合併はしない!」
「結婚もしない!」
「継いでしまえば俺の物」
「私の物」
「その為には…?」
 アーノルドが問い、二人は見つめ合ってニヤリとした。
「「互いに互いより良い相手を見付けてさっさと結婚する!」」
 これだ! とアーノルドは拳を握る。
「親父達はそこら辺の馬の骨じゃ許してくれないだろうからな。…つか、お前本気でそのつもりあるのか?」
「えーなんでー?」
 全然状況を理解していないサンドラに、アーノルドが腕を振って苛立ちを表現しようとする。伸ばしている前髪が一緒になって揺れた。
「お前何で高校行かないんだよ!? 自分の店で修業出来るからってーそれじゃ出逢いが無いだろ!」
「でもアーノルドの服飾学校行ったらやっぱ仲良いのかなって思われちゃうかもー。折角親の前では仲悪い振りしてるのにー」
「…そりゃ確かに…でもーじゃーどーすんのー?」
「お客さんの中から探すとかー?」
「でー? どーですかー良い人来ましたー? 来そうですかー?」
 サンドラは無意識に人差し指を下唇に当て、とある客の事を思い出していた。
 自分と同い年なのに、何倍もの人生経験を詰んで来た様な表情の、長身でハンサムな少年。笑うとぐっと幼く見える男の子。
 アーノルドはサンドラの様子を見て、微笑むと軽く挨拶だけしてその場を立ち去った。

 レイモンドとサンドラが再会したのは、レイモンドが学校に慣れてきた十月半ばであった。
「あっ貴方!」
 商店街の人混みの中で突然声をかけられ、レイモンドは飛び上がる程驚いた。振り向くと丸顔のサンドラが…いつか見たアーノルドと腕を組んで歩いていた。
「うちに制服を作りに来て頂きましたよねー?」
 サンドラは腕を解き、レイモンドの方を真っ直ぐに向く。レイモンドは彼女の目を見る事が出来なかった。
「はい」
 サンドラは彼にまた会えた事が嬉しくてつい声をかけたが、特に用事がある訳でもなく、会話に詰まってしまった。そこにアーノルドが助け船を出す。
「じゃあうちにも来たかなー? こいつの店の隣の帽子屋ー」
 アーノルドはレイモンドが頭に乗せた制帽を指す。レイモンドは頷いた。
「どう? やっぱり二軒の店回るより一度に両方買える方が便利ー?」
 アーノルドが言っているのは、現在の制服購入システムの事だ。レイモンドはシャツやパンツはテイラーの店で買い、帽子はハッターの帽子屋で買った。これが面倒かどうかを聞いているのだ。
「いえ、別に…隣の店ですし…」
「やっぱそーだよねー」
 アーノルドが腕を組んでうんうんと頷く。
「いやさ、俺達の両親が二つの店をくっつけたがってる訳。…ついでに俺達も」
 ベラベラと家庭の事情を漏らすアーノルドを、サンドラは横目で見た。
(あんまり言うと問題なんじゃ…)
 その視線に気付いたアーノルドはサンドラにしか見えない位置で親指を立てる。
(大丈夫だ! 俺に任せろ!)
 良く解らなかったがサンドラは彼のやる事を見守る事にする。
「でも俺達はそんなのまっぴらごめんな訳でー色々お客さんに意見聞いてんだー」
「そうなんですか」
 レイモンドは買い物袋を持ち直した。サンドラと彼は結婚するつもりがない。それが彼の心を急に軽くした。漸く、彼はサンドラの顔を見た。薔薇色の頬で彼女はレイモンドを見ていたが、今度は彼女が目を逸らす番だった。
「お名前聞いて良いー? こうやって会えたのも何かの縁だしー」
 言ってアーノルドは自分とサンドラの名前と住所、電話番号を手帳に書き、そのページを破ってレイモンドに渡した。その隣のページに、レイモンドの情報を書く。
「あ、あんたもアレキサンダーか」
 アーノルドの言葉に、受け取ったメモをちゃんと見ていなかったレイモンドが首を傾げる。アーノルドが説明する前に、サンドラが勇気を出した。
「私もアレキサンドラって言うの!」
「まあそういう事。ややこしいからミドルネームの方で呼ぼうかなー。レイモンドだからレイちゃんね」
 勝手にあだ名を決められたが、特に却下する必要性も無かったのでレイモンドは何も言わなかった。
「俺はパース服飾学校に通ってんだー。共学だけどほぼ女子校みたいな感じでさー男友達少なくて。こいつも高校行ってないから交遊関係狭いしー、良かったら友達になってくんない?」
 レイモンドは友達という言葉に反応した。レイモンドは両親が死んで孤児院に入る際、今まで通っていた学校は距離的に通えなくなってしまったので転校した。一年半程新しい中学で過ごしたが、部活に入る気にもなれず、難関校への進学を目指している事もあり、積極的に他人と関わろうとしなかった。両親に見捨てられた、裏切られたという思いから、少し人間不信気味になっていたのもある。高校でも友達と呼べる人はまだ見つかっていない。
 レイモンドは僅かな逡巡の後に頷いた。

 アーノルドは手帳の別のページにレイモンドの名前や住所を書き写すと、千切ってサンドラにくれた。
「ありがとう!」
 林檎の様な頬っぺたでサンドラが礼を言う。歩きながらアーノルドはニヤつきを隠せず、サンドラを小突く。
「お前顔に色々出過ぎー。でも向こうも脈アリな感じだったな。良いじゃん男前だし、プライス学院だってよー将来はエリート?」
 頑張れと応援してくれる兄の様な幼馴染みにサンドラは飛び付いた。傍から見ればどう見てもお似合いのカップルなのだが、本人達にその気は全く無い。
 往来で二人がじゃれ合っていると、誰かが後ろからアーノルドを突き飛ばした。
「あんた達やっぱりそういう仲なの!?」
「キャロル! 誤解だよー」
 アーノルドの彼女であった。アーノルドはサンドラに手を振り、キャロルは彼女を睨んで二人でその場を立ち去る。買い物の荷物持ちの約束を途中で投げ出されたものの、サンドラは全く怒っていなかった。彼女の手には彼の電話番号があったから。

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