Cosmos and Chaos
Eyecatch

第50章:微笑みの裏側

  • G
  • 3020字

「ねえ」
 遠くで少年の声がした気がした。
「ねえってば」
 しつこく少年はフェリックスに声を掛ける。フェリックスはぼんやりとそれが現実だと認識した。
「~~~」
 声にならない声を上げて目を開くと、白い顔がフェリックスを上から覗いていた。窓から射す西日が眩しい。
「四時」
 エドガーは無愛想にそう言うと、レベッカの馬車を出て行った。フェリックスは前髪を掻き上げると、まだ眠っていたい気持ちを制して外へ出る。早めの夕食を戴いて、フェリックスはレベッカの代わりに武器を持つ事となった。
「頑張って下さいや」
 フェリックスと同じ焚き火で食事をしていた、小人夫婦の夫、ダニエル・ヤングがフェリックスを励ました。
「心配せんでも、何かあったら起こして下さい。銃くらいなら私達にも使える」
 フェリックスは頷く。ダニエルの妻のエリザベスも愛想良く微笑んだ。彼ら夫妻は小人症であったが、彼等の近くでいそいそと仕事をしている二人の子供達は通常の背丈をしていた。フェリックスはその事にとても励まされた。自分がブルーナと結婚して生まれる子供も、アルビノになる可能性があるのではないか…。アルビノに対して劣等感を持っている訳ではなかったが、できれば自分の子供に自分と同じ苦労はさせたくなかった。
 と、ここで目が醒める。ブルーナは此処には居ない。もう会えないかもしれない。無意識に南の方を…自分達が進んで来た方向を見やった。ウィリアムズの城壁が見える筈も無かった。
「よく眠れたか?」
 もうすぐ陽が暮れる。団員達が各々の馬車に引っ込んで行く中、オズワルドがフェリックスに尋ねた。
「はい…でも、三時間ちょっとは短いです…」
 オズワルドはハハと歯を見せて笑う。
「いつでもこんな生活をしている訳ではないがね。明日の午前中には着く。そうしたらまた揺れないベッドの上で休めるよ」
 そう言うとオズワルドも馬車へ帰って行った。外に残されたのは、フェリックスとアンジェリーク、馬達だけ。
 アンジェリークは大きな剣を背中に担いで、自分の馬車の上に登っていた。フェリックスはどうするべきか少し悩み、彼女の隣の馬車、つまりレベッカの馬車の上に登ろうとする。車輪や窓枠に足を引っ掛けて登ろうとしていたら、失敗して大きな音を立ててしまい、中に居るレベッカに叱られた。
「扉の横に梯子があるでしょ」
 見てみると、確かに馬車には始めから梯子が取り付けてあった。顔を赤くして屋根へ乗ると、アンジェリークが必死で笑いを堪えていた。
《笑うなんてひどいな》
 俺は魔法の呪文に使う言葉を使って言ってみた。文法がウィリアムズ国で使っている言葉と違うとどうにもならないが、単語だけの問題ならこれで彼女とスムースに会話が出来るかもしれない。
 そしてその期待は当たった。
《凄い。私の言葉が解るの?》
 アンジェリークが目を輝かせた。
《ゆっくり話してくれれば、多分》
 アンジェリークは気さくで、話していて楽しい女性だった。年上の筈なのに、少女の様な幼さを持っていた。それでいて時々、フェリックスよりも少しだけ長い人生経験を積んだ、何かを悟った様な落ち着きも見せた。
 二人は各々の身の上話をした。見た所賊が襲ってくる心配は無さそうだったし、フェリックスが何故森の中に一人で居たのか、話を聞いていないアンジェリークがとても知りたがったのだ。
 フェリックスがオズワルドにした話を繰り返すと、アンジェリークはわくわくした表情を隠さなかった。
《陰謀に巻き込まれたのね!》
《あのねぇ、傍から見る限りは面白いかもしれないけど、当事者の身にもなってみてよ》
 此処でふと、フェリックスは少しだけ意地悪な気持ちになって尋ねてみた。
《俺の事話したんだから、今度はそっちの番だよ》
 アンジェリークが笑みを引っ込めた。フェリックスはまずい、と思った。昼間彼女は、自分の過去について触れられたくない様な素振りを見せていた。それを知っていて尋ねるなんて、やっぱり、やめておけば良かった。
《…私の名前はアンジェリーク・キュリー》
 アンジェリークは膝を抱き寄せると、フェリックスから目を逸らして言った。
《本当に、聴いた事が無いの?》
 フェリックスはもう一度、自分の頭の中の名簿を調べ直した。有名人…アンジェリーク・キュリー…言われれば、何処かで聴いた様な気がする…。
 そして数秒後、フェリックスはある日の情景を思い出すに至っていた。アレックスが自分に携帯ラジオを貸してくれと頼みに来たのだ。
『兄貴! ラジオ貸してよ』
『良いけど、学校に持って行くのか?』
『うん。今日は国際格闘技大会の決勝なんだ。アンジェリークが出るからどうしても実況を生で聴きたいんだよ』
『わかった。でも、授業中に聴くならバレない様にしろよ。俺のだからな…………』
《…ある》
 アンジェリーク・キュリー。アレックスが傾倒していた美少女格闘技選手。それしか思い浮かばなかったし、思い出した後はそうとしか考えられなかった。
《確か、去年くらいに引退して…》
《此処に居るのよ》
 アンジェリークは自分の膝に顔を埋めた。フェリックスは彼女の引退理由までは憶えていなかったが、アレックスがとても残念がっていたのは憶えていた。
《弟がファンだった》
 アンジェリークは少しだけ顔を上げると、フェリックスを見て微笑んだ。
《ありがとう》
 それきり、二人は会話を止めた。フェリックスはアンジェリークの引退理由や、どうして華々しい過去を封印したがるのか知りたかったが、嫌がる人間に無理矢理尋ねる事は出来なかった。
 時計を見ると七時を回っていた。あと数十分で交代だ。周囲に危険要素が潜んでいる感じもしない。今度も無事に役目を終われそうで一安心していた時、アンジェリークが鋭い声で言った。
《貴方って意地悪ね。っていうか、プライドの塊?》
 フェリックスはその言葉に血の気が引いた。あからさまな非難の言葉に傷付いた訳ではない。
《…嫌な事聴いて、悪かった。謝るよ》
 フェリックスはいつもの、他の誰にも真似出来ない美しい笑顔を浮かべて謝罪した。しかしアンジェリークは尚も彼の仮面を剥がしにかかる。
《その顔よ。凄く貴方らしくないと思うわ》
《会って間もない人間にそんな事言われたくないよ》
 フェリックスは言い返した後で一気に焦り出した。真っ向から反論するなんて「フェリックス」らしくない。
《どうしてそんなに自分を抑えているの?》
 さっきとは打って変わって、アンジェリークが優しく尋ねた。フェリックスは彼女に背を向け、肩を震わせている。自分が一番よく解っていた。大人しくて聴き訳が良くてお利口な「フェリックス・テイラー」は、自分の事であり、自分自身では無い事に。
《此処には「貴方」を否定する人は居ないよ》
 アンジェリークはそう言うと、馬車から身軽に飛び降りて馬車の周りを歩き始めた。フェリックスは溢れる涙を手のひらで拭いながら、嗚咽を堪えていた。
(どうして判った?)
 フェリックスは無言でアンジェリークに問うた。十メートル以上離れた場所を巡回するアンジェリークから返答がある筈が無かった。
(十年以上も隠してきたのに…)
 自分の醜い本性を見破られた。そのショックから立ち直れないでいる彼の頭の中に、アンジェリークが最後に言った言葉が木霊していた。
 此処に自分を否定する人間は居ない。
 それでも、ありのままの自分を曝け出すには、まだ勇気が足りない気がした。