第28章:裏切り
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私が不毛な土地に足を踏み入れてから数十年。不気味な森に「書物」を破壊しに行く機会を覗っていたら、いつの間にかそんなにも時が過ぎ去っていた。その間、私達は砂漠で盗賊達と戦いながら暮し、盗賊達の数が減って来ると、元々貿易路だった事もあり、森の周囲の土地は開拓され、栄え始めた。
不幸の始まりはある日突然起こった。
「誰かが下敷きになったぞ!」
「荷物をどけろ! 皆手伝ってくれ!」
シャイニーとの間に三人の息子と二人の娘を儲け、森の近くに家を構えて生活していた私は、馬車から沢山の荷物が崩れ落ちる音を聴いて家の窓から外の様子を覗った。すると、それに気付いた末娘が泣きながら窓に駆け寄って来る。
「お父さん! 下敷きになったのお母さんなの!」
「何だって!?」
私は慌てて外に出た。シャイニーは末娘と買い物をしている途中、通りかかった馬車の荷物を留めている綱が切れて荷物が娘に落ちて来る事に気付き、娘を庇って代わりに下敷きになったと言うのだ。
近所の住民達の介抱も虚しく、頭を強く打ったらしいシャイニーは一度も目を醒まさずに、賢者としての役割を終え、『書物』の法則に則ってあの世へと旅立って行った。
(望んでいた様な形ではないが、やっと死ねたな…)
そう思いながら彼女の埋葬を済ませ、家に帰って来ると、三十近くになる長男が言った。
「…訊いても良いですか、お父さん」
「何だ?」
長男は一瞬黙って心を決め、それから一気に吐き出す。
「どうしてお父さんもお母さんも年を取らないんです? それに、今だから訊けますが、お母さんが大事にしてらしたあの剣と鏡と冠は一体何ですか?」
私は溜息を吐いた。いつか聴かれる事は承知していた。今では、私よりも息子の方が年上に見える始末。近所の住民達からも気味悪がられ始め、そろそろ家族に説明し、身を隠さねばならないと考えていたところだった。
「そうだな…全て教えよう」
「…という事だよ」
私が生まれ、『賢者』に選ばれ、シャイニーと出会い、恋に落ち、『書物』を破壊しようと思うに至った経緯を説明するのにかなりかかった。日暮れ頃に帰って来たのに、もう日付が変わったのではないか? 窓の外は深い闇に閉ざされていた。
「…お父さんはその『書物』とやらを破壊しようとしているのですね?」
「そうだ。あの三つの宝物はその為にシャイニーが毎日力を貯め込んできたものだ」
「その『書物』とやら、この世界の…いや、全ての世界の『秩序』を定めているものなのでしょう?」
「まあそうだな」
「それを壊したら何が起こるんです?」
その問いに私は答えられなかった。
「…さあな」
長男が唾を飲み込んではっきりとこう言った。
「私は賛同できません、お父さん。世界のルールが無くなった時にどうなるか見当も付かないなんて。世界自体が崩壊してしまうかもしれないのに」
「うーむ、まあそうだが…」
「それにお母さんが亡くなった今、その目的を果たす必要が無くなったではありませんか?」
「うーむ…」
私は唇を噛んだ。
確かにシャイニーは死んだ。
…いや、「書物」に殺されたのだ。「書物」がわざとあの馬車の荷物を留める綱を緩く結ぶ様に、商人の動きを調整したのだ。
「…それでも私は『書物』を破壊しないと気が済まないな」
「そうですか」
言うと長男は立ち上がり、長女に三つの宝物を取って来るように言い付けた。
「おい、何をするデンドリティック、トラピッチェ!?」
「私はお父さんに賛同出来ないと言っているんです。だったら、力ずくでも阻止します」
長男に指示され、私は二男と三男に無理矢理家から放り出された。一番懐いていた、まだ幼い末娘が驚きつつ、道に倒れ込んだ私に駆け寄って来る。
「この宝物は貴方には渡せません」
私は娘の手を借りて立ち上がり、長男に向かって怒鳴ろうとしたが、長男は手でそれを遮ると私を脅した。
「なんなら、お父さんが『化け物』である事を言いふらしても良いんですよ? どうなると思います? いずれにせよ、この町からは追い出されるんですよ、貴方は」
「くっ…」
長男だけならまだしも、シャイニーに似て腕っ節の強い他の息子達も私の意見には反対の様だった。武器も何も持っていなかったその時、一人で対抗し、宝物を奪い返す事は出来なかった。
「パパラチアはどうするんだ?」
長男が家の扉を閉めようとしながら末娘に訪ねた。
「…そうか」
パパラチアが黙って私の腕にしがみ付くのを見て、長男は家の扉を閉め、厳重に鍵をかけた。
「サード…」
私は一度だけ、長男の名前を扉の前から呼んでみたが、返事は無かった。そっと扉に耳を当てて中の様子を窺うと、息子達が宝物をバラバラに保管し隠そうとしている事が解った。長女のクリソプレーズも、向こうに加担するのか。
「お父さん…」
パパラチアが不安そうに私を呼んだ。私は彼女に微笑むと、何処へ行くともなく歩き出す。
「追い出されてしまったな…。心配する事は無い。もう少し、森に近い所に引っ越そう。いっそ、森の中でも良い」
私はパパラチアを連れて森へ入り、結局そこに定住した。シャイニーが居ない私等、当時の『書物』には取るに足らない存在だったのだろう。実際、シャイニーに死なれ、息子達に裏切られた私は、娘と二人で単に隠居しているだけの様だった。『書物』は森を操り、上手く私から隠れていた。
「『迷いの森』にこんな可愛いお嬢さんが住んでらっしゃったなんて、知りませんでした。…そちらの方は?」
「ああ、親戚ですの。お互い天涯孤独になってしまって」
数年後、冒険家を名乗る男が森にやってきて、パパラチアと仲良くなった。彼とその仲間は、彼がパパラチアと結婚する事を決めたので、森に移り住む事となった。
「賑やかになったな…」
後に小国・コランダムとなる原型だった。
「町の様子はどうだい?」
結局彼にだけは私の正体を明かし、時々森の外に出る彼にそう尋ねた。
「三つも新しい国が出来てますよ。クォーツ国にカルセドニー国にベリル国。王はそれぞれデンドリティック・クォーツ、サード・カルセドニー、トラピッチェ・ベリル」
「…姉さんはどうしてるかしらね…」
パパラチアがお茶を淹れながらそう呟いた。
「姉さん?」
「クリソプレーズという名だ」
私が答えると彼は今度調べて来てくれると約束した。その後の話で、暫くサードと共に西の国に居たらしいが、いつの間にか何処かにフラフラと居なくなってしまったらしい。
「時が経つのは早いわね、お父さん」
数十年後、ベッドに横たわる老女の隣で彼女の言葉に耳を傾けていた。
私は彼女の顔を見詰めただけで答えなかった。何故なら、既に彼女は息を引き取っていたから。
宝物を奪われ、森に逃げ込み、何も考えずに生きてきたが、パパラチアの死で昔の思いが甦った。
年老いて死にたい。
シャイニーは「書物」に殺された。
…やはり私は「黄金比の書物」を破壊したい。
気付けば私は旅道具を手に森の外に出ていた。しかし、「書物」が森を動かしたのだろう。昔住んでいた町に出てきたつもりが、どうやら反対側の方角に出て来てしまった様だ。
「すまない、此処は何処か教えてくれ」
通りがかった農夫に尋ねると、ベリル国だという答えが返ってきた。トラピッチェは此方側に国を作ったのか…。
「この国の東には何がある?」
「何って、砂漠と、ちょっと行けば切り立った山さ。そんだけだよ。盗賊がでるよ、おい、行くつもりか?」
農夫の言葉を無視して私はベリル国を横断すると、砂漠へ一人、足を踏み入れた。とにかく、一人では何も出来ない。仲間を探さなければ。出来れば、サードの様に正義感の強くない仲間を。
「相変わらずねえ」
しわがれた声がしたので振り向くと、パパラチアによく似た老女が此方を見詰めていた。
「宝物は兄さん達とトラピッチェが隠してるわよ…私、良く考えたんだけど、お父さんに賛同するわ」
「…クリソプレーズ…」
生き別れた筈のもう一人の娘が、盗賊として、私が知らない間に息子達と戦っていた。
シャイニーも娘達もとうに居なくなった。息子達には裏切られた。それでも、私は「書物」に一矢報いたい。その為には、三人の息子が奪っていった三つのシャイニーの力が込められた宝物が、どうしても必要なのだ。