第33章:生き別れの兄弟

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  • 4739字

 ヴィクトーは馬車の車輪にもたれかかる様にして座り、ぼんやりと自分の横に広げた絵本を眺めていた。主人公の少女が、冒険を終えラストシーンで母親らしき女性に温かく迎えられている。
(…母親って、どんな人なんだろ…)
 溜息を吐いて彼は絵本から視線を逸らすと、両手を上に突き上げて伸びをした。そろそろ大人達が、近くを通りかかった旅一座への襲撃を終えて戻って来るだろう。
「リーオ!」
 不意に頭上から声がした、と思ったら、すとん、と十代後半の少年が馬車の屋根から飛び降りて来た。ヴィクトーの父親の歳の離れた弟、つまりヴィクトーから見れば叔父に当たるマーカスだった。暗い銀髪を肩の辺りまで伸ばし、邪魔なので顔の横で二つに括っている。
「何見てんの? 絵本? お前まだそんな歳かよ」
 ヴィクトーの横に落ちている物を見て、マーカスが嘲笑う。ヴィクトーは少しムッとして答えた。
「昨日盗って来た品の中に混じってたから、あの[ひと]が読んだらどうだって言ってきたんだ」
「お前、字、読めないじゃん」
 この時彼は字が読めなかった。辛うじて、父親の名前と韻を踏み、偉大とされる先祖の名前から取った自分の名前の綴りを知っている程度だった。
「ほんとそれ!」
 ヴィクトーはあの女の事を思い出してイライラしながら立ち上がると、絵本のイラストを汚れた靴で思い切り踏み付けた。
「教えてやろうか? 読み書き」
 マーカスがいつもする質問を今日もまた繰り返した。ヴィクトーは首を振る。
「字が読めたら色々便利だぞ。それに魔法をやろうと思ったら字が読めないときついぜ?」
「別にいいよ。数字は読めるし、歌も歌える。それ以外の魔法や字が無くったって生きていける」
 ヴィクトーは絵本の上から足をどかすと、一歩踏み出して腰に挿していた小刀を投げた。それはマーカスの左腕の横ギリギリを通過し、背後の樹の幹に突き刺さる。
 樹の幹にはちょうど、変な色をした蛇が地面から這い上がって来た所だった。ヴィクトーの小刀は蛇の頭を貫通し、マーカスが振り返った時には既にピクリとも動かなくなっていた。
 マーカスが口笛を吹き、蛇に近寄る。
「お手柄。この蛇の毒って高級材料なんだぜ」
「俺のだマーカス」
 マーカスが伸ばした手を払いのけ、ヴィクトーは蛇を樹の幹から引っぺがした。ふと、背後で足音がしたので、二人は馬車の方を振り返る。その足音の主を確認し、ヴィクトーは眉根を寄せた。
 髪も肌も真っ白な、五歳かそこらの子供がよちよちと歩いて来て、ヴィクトーが踏み付けた絵本に手を伸ばしていた。ヴィクトーの異母弟のエドガーだった。
「おいチビ」
 まずその子供に向って行ったのはマーカスだった。エドガーはビクッと体を震わせると、マーカスを見上げて怯えた表情をする。
「お前には俺達が盗んだ物を使う権利は無い」
 冷徹に言い放ち、エドガーが拾った絵本を乱暴に奪い取る。泣き出しそうなエドガーの目の前で、マーカスは魔法でその絵本を燃やした。温かい家庭のイラストが灰となって消え失せた。
 ヴィクトーはマーカスの事が好きだった。ヴィクトーは自分の、父親の名と韻を踏んだファーストネームが嫌いだった。父親があまり好きではなかったからだ。マーカスだけがそんなヴィクトーの心情を汲んで、偉大な先祖から取ったレナードという名前を略して「リオ」と呼んでくれた。自分の属している一派に、自分以外にはマーカスとエドガーしか子供が居ない所為もあり、ヴィクトーとマーカスは仲が良かった。
 しかし、今、ヴィクトーは眉に寄せた皺をますます深くしていた。マーカスは時々、冷酷過ぎる面があった。ヴィクトーは特段エドガーが好きな訳ではないし、どちらかと言えば苦手なのだが、彼はヴィクトーよりももっと幼いのである。そんなエドガーに対してマーカスは…他の大人もそうだったが…幾分手厳し過ぎた。それがエドガーの生い立ちや容姿に原因がある事は、時々大人達がはっきりと口にするので、ヴィクトーも理由を知っていた。
「エドー? 何処に居るのー?」
 若い女の声が聞こえた。マーカスはあからさまに嫌そうな顔をすると、再び馬車の屋根に跳び乗って何処かへ行ってしまった。自分も早く馬車に跳び乗れるようになりたい、とヴィクトーは思った。そうすれば、エドやあの女の様に、あまり顔を見たくない奴と顔を合わせる事を避ける事が出来る。
「エド!」
 金髪の美しい女が馬車の陰から姿を現した。女の姿を見ると、エドガーが彼女に駆け寄って行く。
「お母さん!」
 金髪の女はエドを抱き締めると、自分達を睨み付けているヴィクトーに気付いて罰が悪そうな顔をした。
「ヴィクトー、お父さんが呼んでるわ。盗品の整理を手伝いなさい」
 ヴィクトーは軽く舌打ちした。
「言われなくったって、今から行く所だったし」
 女の方をなるべく見ないようにしながら、ヴィクトーは彼女の横をすり抜けて行った。
 彼女はヴィクトーの本当の母親ではない。ヴィクトーは自分の産みの母親を知らない。ヴィクトーが生まれて間も無く死んだのか、賊を抜けたのか…とにかく、誰も彼女の話をしないし、ヴィクトー自身もどうしても気になる訳ではなかったので、話題に出さない事にしていた。元々盗賊と言う職業柄、平均寿命も長くないし、年取った者から順に死んでいく筈だという秩序も存在しないのだ。
 その後ヴィクトーの父親のネスターは、盗品だった女に一目惚れをして、結婚してしまった。ヴィクトーが物心付くか付かないかの頃で、その相手がさっきの女である。ヴィクトーは彼女の事を母とは呼べなかった。十歳の子供の母と呼ぶには若過ぎるというのもあったし、元々何処かから攫われて来た女なので、父親以外の仲間は彼女の事を賊の一員とは認めていなかった、というのもある。
 ヴィクトーが自分に苦手意識を持っているのが伝わるのか、女の方もヴィクトーが苦手の様で、互いにあまり干渉する事はなかった。時々、父親の命令や何かで、女が母親面をする時があり、その時だけはヴィクトーは不快感を顔に表した。その女とはただそれだけの関係だった。
 馬車の列に沿って歩くと、前方にマーカスが立っているのが見えた。彼の視線の先には、襲撃を終えて盗品を持ち帰って来た仲間達の姿が見える。
「おー二人とも。仕分け手伝ってくれ」
 先頭の荷馬車の御者台に座っているのは、マーカスが少し老けた感じの顔をした父のネスターだった。三十を越えているがまだまだ若い風貌である。
「ヴィクトーはこの子をいつもの馬車へ」
 ネスターは馬車を止めると、荷台からヴィクトーより少し年上くらいの少女を引っ張り出した。マーカスが口笛を吹く。
「可愛いじゃん。踊り子? 一人だけ? 他にもいっぱい居たんじゃないの?」
「居たんだけど、テッドがミスって手榴弾暴発させておじゃんだよ。まあ一番可愛い子が残ってくれて良かった」
 少女はその会話で襲撃の様子を思い出したのか、顔に手を当てて泣き始めた。父親と叔父の会話をあまり聞かないようにしながら、抵抗しない彼女を引っ張って、ヴィクトーは攫ってきた人間を閉じ込めておく為の馬車へと向かった。彼女を檻に放り込み、鍵を掛けるとその前に座り込む。暫くは彼女の方は見ないで、死んだ蛇の血塗れの頭を動かして遊んでいた。どうせ早く戻ったって、仕事の手伝いをさせられるだけだ。
 ふと気が付くと、少女が泣き止んでこっちを見ていた。
「ねえ」
 少女が檻の柵を掴んで請うた。
「助けて…」
 ヴィクトーはさっと手を引っ込めた。少女がヴィクトーの持っている鍵に手を伸ばしたからだ。少女は再び泣き出しそうな顔でヴィクトーを見た。
「…出来ない」
 ヴィクトーは震える声で答えた。
「俺達だって、生きる為にやってるんだ」
 そう言うとヴィクトーは馬車を飛び出し、父親の元に駆け戻った。
「親父!」
 他の盗品の仕分けをしていた父親に、ヴィクトーは蛇の死骸を差し出しながら尋ねた。
「これであの子買える?」
 それを聞いた父親が爆笑する。隣で作業していたマーカスはニヤニヤしながらこっちを見詰めた。
「残念だなヴィクトー。これじゃちょっと足りない。…そうだな、この蛇十匹くらいだ、あの子の値段は」
 そう言いながらネスターは腰に付けた袋から金貨を何枚か取り出してヴィクトーの手のひらに乗せた。
「代わりにその蛇買うよ。明日、今日盗んだ物と一緒に闇行商に売る」
 その後、ヴィクトーは少しだけ仕分けを手伝い、適当に隙を見て仕事を抜け出した。森の奥へと入り込み、樹の中の一本に登って腰を落ち着ける。
(自分はそうやって助けたくせに…)
 日が暮れかけていた。刻々と迫る闇の中に自分の父親と義母の姿を思い浮かべながら、ヴィクトーは少女を助けられなかった悔しさを噛み締めていた。

 それから一年以上が経ったある日の事だった。ネスターの一派はとあるフリークサーカスを襲撃した。
「金ならそちらの要求する額を出そう。だから見逃してくれないか?」
 そのサーカスの団長は背中に蝙蝠の翼を持っていた。オズワルドだ。ネスターは彼との話し合いに応じる事にした。
「おめーらは全員馬車で待機しろ。そっちの仲間の武器も下げてくれ。サシで話し合おう」
 ネスターの要求を団長は飲んだ。ネスターと彼以外の人間は全員馬車の中へ入る。
「助けてほしいんだ」
 外には二人きりになった事を確認すると、ネスターは小声で囁いた。
「アルビノの息子が居るんだ。このままだといつか仲間に殺されちまう。あんた達の所で引き取ってくれないか」
「…解った」
 オズワルドは困っている人間を放っておけない質だった。
「どうやって此方に引き渡す? 普通に此処で渡してもらっても良いが…」
「…それは盗賊の掟破りとして俺が責められる。俺が頭領から下ろされたらそちらの安全が保証出来ない。此処で取引が成立した事にしよう。後で必ず返すから、少し此方に金でも何でも渡してくれ」
「それで?」
「後から奪い返しに来てくれ。どさくさに紛れて息子は連れ去られたという事にしよう。あんた達の戦い方なら十分通用する。今さっきだって負けるかと思ったよ」
「それでも少し不安だな」
 ネスターは暫く逡巡し、やがて決断した。
「何なら近くの国の軍隊に応援を求めてくれ」
「良いのか? 逮捕される可能性があるぞ?」
「構わん。逮捕されるだけの悪事はやってきている」
 ネスターは構えていた剣を腰に戻し、両掌を見詰めた。血と欲と汚い金で汚れたこの白い手。
「頼む」
 この手ではあの子を…エドガーを守ってやれない。
「了解した」
 言うとサーカスの団長は、馬車の金庫から金貨の詰まった革袋を持って来た。ネスターの一族が数ヶ月は食べていけるだけの貨幣が詰まっていた。
(自分もまっとうなやり方で金を稼ぐ事が出来たら…)
「私達は一月十九日に再度貴方達と会おう」
 袋を抱き締め、ネスターは頷く。
「俺達はこの近辺をうろついている。出来たら襲撃は夕方にしてくれ。丁度皆が起き出してすぐの時間だし、もう一人息子が居るんだが、そいつは別の国に逃がしてやりたい。当人の方はぐずらない様に薬で眠らせておく」
「解った」
 団長はネスターの気持ちを察して、そう言うと馬車の御者台に乗った。
「幸運を祈る」
「ありがとう」
 ネスターはサーカス団の馬車が見えなくなるまで待った。見えなくなった所で仲間に取引が成立した事を伝える。現金は全て頭領のネスターが管理する約束だから、誰も金貨の袋には手を伸ばさなかった。
 ネスターは自分の馬車に戻ると、エドガーに添い寝していた妻をそっと起こした。
「話がある」
 そして彼は自分の計画を妻に伝えた。夫同様にエドガーの身を案じていた彼女は、その計画に反対しなかった。

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