第10章:兄と弟

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  • 3586字

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初登場ドランクが理想の最強ミステリアスお兄さんムーブしてたり。
霧の島の話までは入っています。


 アレックスとブルーナは再びアレックスの自宅へと戻って来た。夕食の時間にはまだまだ早過ぎる時刻だった。
「アレックス!」
 店に入ると、スーツの注文客の採寸をしていた四十過ぎくらいの女性が慌てた。
「もう帰って来たの?」
 様子からしてまだ客を持てなす準備が出来ているとは思えなかった。
「ちょっと予定が早まって。夕食はいつも通り店閉めてからで良いよ。兄貴に挨拶して来る」
 ブルーナはアレックスの両親に紹介してもらい、そのままアレックスに連れられて店の奥へとどんどん進んで行った。背後で客とアレックスの両親が微笑ましく会話するのが聞こえた。
「今日は弟君が連れて来たのか。いつもはお兄ちゃんの方なのに」
「アレックスにもやっと春が来て嬉しいですわ。フェリックスはもう少し落ち着いて一人の[]と長くお付き合いできるようになれば良いんだけれど…」
 それを聞いてブルーナは少し赤くなった。そうか、この状況だとアレックスのガールフレンドだと見られてもおかしくないのか。
 二、三人の従業員が慌ただしくミシンを踏んだり、仕立てた服にアイロンをかける傍を通り過ぎて、漸く二人は店の裏口に辿り着いた。アレックスが先に中庭に降り、ブルーナも続く。
 店の裏には、店とは打って変わって伝統的な、それでいて決して古びていない屋敷が建っていた。店と同じ三階建てで、周囲には、季節を終えようとしている薔薇の花壇や、色々な香りのするハーブが植えられている区画や、アレックスが剣技を磨くのだろうか、ボロボロの藁で出来た人形の様な物もあった。高級住宅街の真ん中に、此処だけ御伽の国の世界がある様な感覚を覚えた。
「多分兄貴は裏庭だと思う」
 そう言うとアレックスは左へ曲がり、家屋と隣の家との境界の塀の間を通って裏庭に出た。ブルーナも慌てて追い駆ける。
「こっちの方が可愛いよ」
 生い茂る薬草や庭木の枝の隙間から、長袖のシャツの袖を捲り、土だらけのズボンを履いたフェリックスの姿が見えて来た。アレックスがゆっくりと近付き、追い付いたブルーナも何となく気配を消して忍び寄る。
 フェリックスは誰かと話していた。
「これ、その服と同じ柄だから」
 フェリックスの横に、黄色い花柄のワンピースを着た少女が立っているのが見えた。大きな鍔の付いた帽子を被っているので、顔は見えない。二人はアレックスとブルーナには気付いた様子も無く、フェリックスが手に持った花を見て話を続ける。
「あら本当。じゃあこれを付けて」
 少女の依頼を引き受け、フェリックスは花に魔法を掛けた。花は瑞々しさを失わずに、その形を永久にこの世に残す力を手に入れた。但し、魔法を掛けたフェリックスが魔力を失えば枯れてしまうが、少女もそこまで長い期間、この花を欲している訳では無かった。
 フェリックスは手が汚れていないか確認すると、彼女の帽子に付いているリボンにその花を挿す。出掛ける少女を見送り、趣味の園芸を続けようと振り返った時に、漸く彼は二人に気付いた。
「あれ? ブルーナ?」
 慌てた様子でフェリックスが言った。少し顔を赤くし、何故アレックスとブルーナが一緒に此処に居るのか、全く見当が付かない様だ。
「こんにちは」
 今の少女とフェリックスがどういう関係なのか気になっていたブルーナは、それだけしか言わなかった。
「俺が夕食に誘ったんだ。二人とも同じクラスらしいから、紹介は要らない?」
 アレックスが内心勝ち誇って説明した。二人は曖昧に頷く。フェリックスは少し怒ったような目でアレックスを見た。
「何処で知り合ったの?」
「だから、新学期の教科書を取りに行った時に。前に言ったじゃん」
 アレックスは兄の様子が可笑しくて大笑いしかかったが、それを堪えてブルーナを家に連れて入った。アレックスは先程の少女の事を知っていた。隣の家に住むフローラだ。アレックスとフェリックスの幼馴染で、別に恋愛関係にある訳ではない。どうせさっきは出掛けるフローラに、たまたま庭で花の手入れをしていたから帽子に似合う花でも見繕ってくれと頼まれただけだろう。
 それでも効果は十分だった。ブルーナは完全にフローラをフェリックスのガールフレンドだと勘違いしたらしく、怒った様な拗ねたような顔をしている。元々は二人でフェリックスの前に現れて、フェリックスを驚かせるだけのつもりだったが、フローラの御蔭で事態はアレックスの方にかなり好都合となった。
(後でフローラに菓子折りでもプレゼントしてあげなきゃ…)
 ウキウキ気分で三階の自分の部屋までブルーナを案内し、中に入れるとアレックスはしっかりと扉に鍵を掛けた。
 何もかも兄にくれてやらない。
 アレックスは、何かにつけて兄に劣る自分が嫌いだった。兄弟喧嘩をしても勝った覚えは無い。身長も未だに兄に並べない。フェリックスはもう何人もの女性と付き合った事があるが、アレックスは告白すら一度もされた事が無い。歌を歌えば天使の歌声、絵を描けば見事な芸術作品、とちやほやされるのはいつもフェリックスの方だった。学校の成績もフェリックスはいつも学年で一番。アレックスも平均よりはずっと良い点数を取っていたが、両親がよりフェリックスの方を褒め称えるのはしょうがない事であった。
 しかしそれは、兄が恵まれているのではなく、自分が恵まれていないのだと思っていた。先にも述べた様に、兄を妬む気持ちは無かった。実際はアレックスも、周囲の子供達と比べれば決して劣っている等とは言えない才能の持ち主であったのだが、フェリックスの超人的な才覚の前には、凡人と等しき物にしか映らなかった。
 しかし、ティムに出逢ってその考えが変わった。ティムは一国の王子であるというのに、とても兄の事を羨ましがっていた。その時に気付いた。フェリックスが恵まれ過ぎているという事に。
 その日から、アレックスはフェリックスに少し距離を置く様になった。双子の様に仲が良かった兄弟の絆に、フェリックスが気付かない小さな罅が入っていた。アレックスのフェリックスへの妬みは日に日に増していき、もう少しで憎しみへと変貌しそうな状態にまでなっていた。兄が少しでも嫌な目に合えば良いのに。自分を羨ましがる様な事があれば良いのに。
 そしてアレックスは、とうとう兄の弱点となるべき存在を見付けた。ティムが選んだ差し金…何故この人なのだろうかと思っていたが、なるほどティムは良く兄の事を観察していた。
「あの人は?」
 顔を赤くしているブルーナを自分の椅子に座らせ、アレックスはベッドに腰掛ける。ブルーナが言っているのは、フローラの事だろう。
「幼馴染なんだけど、兄貴とあんな仲だったなんて、初めて知った」
 自分もフローラをフェリックスのガールフレンドだと勘違いした風を装って答える。此処でブルーナが静かに涙を流したので、アレックスは予想外の事態に驚愕した。
「どうしたの!?」
 ブルーナは必死で答えた。自分の本心に嘘を吐きながら、涙の理由を誤魔化した。
「せっかく少し仲良くなったのに、彼女が居るならこれ以上取り入れられない…」
 アレックスにとって、この言葉が嘘であろうが真実であろうが、どうでも良かった。問題は此処から先の、自分の出方だ。
 フェリックスはブルーナの事が以前から好きだったのだろう。だからティムはブルーナを選んだ。だがあの日の会話の様子から察するに、ブルーナがフェリックスに想いを寄せる様になったのは計画が始まってからの事だ。
「大丈夫だって」
 アレックスは立ち上がってブルーナの肩を抱いた。今やブルーナは本格的に泣き出していた。ハンカチで顔を抑え、肩を震わせて泣いている。
「計画の為だ。奪えば良いじゃないか」
 アレックスのその言葉に、ピタ、とブルーナが肩を震わせるのを止めた。まだハンカチで顔を抑えているが、きっと泣き止んだに違いない。
「別れさせて、また取り入れば良い」
「でも、それじゃ、彼女が…」
 可哀想、という言葉は詰まって出なかった。可哀想な事があるものか。彼女が居るのに誑かされた自分の方がよっぽど可哀想だとブルーナは思った。
「彼女は俺が誘惑して引き離す」
 本当は引き離す必要も無いのだが、ブルーナを納得させる為に言った。
「俺と兄貴は同じ顔だからね」
 そこで漸くブルーナがハンカチを取り、アレックスを見詰めた。アレックスは今だ、と思い、後先も考えずに言ってしまっていた。
 いずれにせよチャンスは今しかない。
「それはあくまで計画の為で、本当は俺と付き合おうよ。ティムは兄貴の心を縛りたいだけで、ブルーナの心を縛る必要性は、無いんだから」
 ブルーナは暫くアレックスの顔を見詰めたまま、その言葉の意味を噛み締めていた。混乱する頭がやっと内容を理解した時、アレックスが唇を自分の唇に押し当ててきたが、ブルーナはそれを拒む事はしなかった。

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