Cosmos and Chaos
Eyecatch

第57章:チェンジ

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  • 3015字

 読み合わせが終わると、フェリックスは割れんばかりの拍手をした。
ブラーヴァ[すばらしい]
 食堂のセッティングを元に戻しながら、フェリックスはアンジェリークに囁いた。例の件以来ろくに口をきいてくれない彼女だが、今回は頬を染めて、急に机の移動に力を入れ始めた。
「あんなのが好みなの?」
 フェリックスが側を去ると、その様子を見ていたレベッカがアンジェリークに尋ねた。
「うーん、なんだっけ…じゅんしい?」
「純粋?」
「そうそれでーす。彼は純粋で可愛いでーす」
「私にはガキにしか見えないけどね」
 笑顔で答えたアンジェリークを置いて、レベッカは片付けを終えてアンネに指導を受けているピエールの元へ歩み寄った。アンネはレベッカとオズワルドの丁度中間くらいの歳で、いつもフワフワしたピンクの扇子を顔の前に構えている、金髪の貴婦人だ。
 しかし、彼女の目当ては彼女等ではなく、その隣で演技指導を眺めているフェリックスだ。
「よろしくてマリーちゃん、稽古の最中に時々腕を振っていましたけれど、とても女性の仕種には見えませんでしたわよ。さあ、マイケルに腕を差し出す場面からやって下さいな」
 言われたピエールは指示に従い、ピエール扮する天使がヒーローの手を取って異界へと導く場面の動きをしてみせた。
「ああ駄目ですわ! そこはもっと優雅に柔らかく」
 言ってアンネは自ら手本を見せた。しかし、実は彼女には両手足が無いのである。それでも彼女は扇を魔法で動かす事によって、あたかも本物の腕が在るかの様に振る舞う事が出来た。
「こう?」
「そうです、素晴らしいわ」
 そんなレッスンに見入っていたフェリックスの腕を、レベッカが軽く突いて振り向かせる。
「暇なら用事を頼みたいの。身嗜みを整えて三十分後にロビーに来て頂戴」
 何の用事だろうと首を傾げつつ、フェリックスは自分の部屋に戻って服を着替える事にした。確かトランクにアレックスが用意してくれたさらの服が一着残っていた筈だ。
 あの人はちょっとおっかない。あまり気が乗らないが、助けてもらった恩を考えると言い成りになるしか無かった。
 ベッドに投げ出したままのトランクを開けると、レベッカに借りた拳銃が転がり出て来た。フェリックスは服を着替え、髪をホテルに備え付けのブラシで整えると、マントと拳銃を掴んでロビーへと向かった。
 ソファーに腰を下ろして待っていると、きっかり三十分後、小綺麗なスーツを着て髪を纏め、右手に大量の荷物を持ったレベッカが姿を現した。フェリックスの前のテーブルに荷物を置くと一息吐く。
「荷物を運ぶの手伝って欲しいのよ。三十分程歩くけど大丈夫かしら?」
「勿論です」
 何か難しい事を依頼されたり、嫌な事をされるのではないかと内心ひやひやしていたフェリックスは拍子抜けして安堵する。

「あと、これ、お返しします」
 フェリックスが拳銃を差し出すと、レベッカは首を振った。
「あげるわ。私ももう使わないかもしれないし。用事が済んだら少し外で撃ち方と弾の替え方を教えるわ」
 そう言って立ち上がると、彼女は布で包まれた人間の頭程の立方体を右手に抱え、残りの紙袋の荷物をフェリックスに任せた。
 彼女が向かった先は、彼女の実家であった。ホテル周辺の繁華街を抜け、汽車の線路に沿って歩いて行くと、その場所はあった。
「私の生家よ」
 レベッカが示した場所は、線路がカーブを描いている所だったが、彼女の指の先にはただの空き地があるだけだった。同様の空き地が向かって右、二人が来た方向に暫く伸び、反対側は民家が立ち並んでいる。
「十四年前に私の両親と左腕を押し潰した家が此処に建っていたの」
 レベッカは何の感情も篭っていない声で言った。フェリックスは返答に困り、彼女の次の言葉を待った。
「汽車が脱線して突っ込んで来てね。たまたまこの国に逃れて来たボスがその列車に乗っていて、私は手術を受けて助かった。ボスはエスティーズ国の医者だったそうよ。マイルズは御覧の通り科学技術がそれ程発展してないから、ボスが居なかったら私も死んでる所だわ」
 そして、と彼女は空き地の前で立ち止まると、すぐ左の民家を示した。
「ギリギリ無傷だったこの家に住んでいたのがハーキュリーズ。私が回復したら、ボスと彼と三人で見世物小屋を始めたの」
 フェリックスは薄々予想していた、レベッカが持つ箱の中身に確信を持った。これはハーキュリーズの遺骨だ。
 レベッカは「Marshall」と表札のある家のドアの前に立つと、その扉を叩いた。

「姐さんと何処行ってたの?」
 ホテルに着くと、ロビーで待ち構えていたピエールが、レベッカの姿が見えなくなってから腰に手を当てて訊いてきた。
「ハーキュリーズさんの実家。遺骨とか遺品とかチケットを御両親に届けに」
 答えるとピエールはなあんだ、と言ってソファーに倒れ込んだ。
「単なる荷物持ちね。俺はてっきり姐さんにリンチされてるんじゃないかと…」
「えっ、そっちの心配?」
「姐さんが君の事を快く思ってないのは解るだろ? 皆ハーキュリーズが死んで淋しいからフェリックスを可愛がるけど、姐さんはそれでハーキュリーズの影が薄くなるから気に入らない訳」
「そうか…」
 年上ぶった口調で(と言ってもティムと数ヶ月しか変わらないが)説教するピエールに、フェリックスは納得する。忘れてしまいがちだが、彼女は亡くなったハーキュリーズの恋人だったのだ。フェリックスはブルーナが死んだら、と想像すると身震いした。
 しかし、ふと思う。今の状況はそれと変わり無いのではないか? そして自分は、ブルーナが居ないからといって恋しさに身を焦がし死んでしまうような想いはまだしていなかった。それは単に、非日常的な事が起こり過ぎて感覚が麻痺しているのかもしれなかったし、自分のブルーナへの愛が思った程強くはないのかもしれなかった。フェリックスは何かに怖くなり、その事を考えないようにした。
「ところでそれ何ー?」
 ピエールがフェリックスが手に持つ小袋を指差した。
「ああこれ? 帰りに市場で買ってきたんだ。薬草だよ」
「何に使うの?」
 フェリックスは口の両端を吊り上げた。
「髪の毛染めようと思って。あともうちょい短くしたいな」
「切ってやろうか?」
「お願いする」
 フェリックスはソファーでくつろぐピエールを立ったまま眺めた。ピエールは頭上にクエスチョンマークを浮かべてフェリックスを見詰め返す。
「ん? どうかした?」
「いや…」
 フェリックスは意味有り気に含み笑いをすると、ピエールに部屋まで付いて来るように言った。
 先程ハーキュリーズの実家で、レベッカはある決断をしたのだ。
(やっぱりこれは、公演での挨拶までのお楽しみにしておくべきだな…)

「なんで染めちゃったの?」「真っ白で綺麗だったのに」
 夕食のテーブルで、フェリックスは返答に困っていた。今や彼の髪はアレックスよりも短く、真っ黒である。ただ黒が好きだし、此処には染色に反対する両親が居ないので思い付きで染めたのだが、まさか双子にこんなに残念がられるとは思っていなかった。
「なかなか似合うと思うがね」
 オズワルドが言うと、双子達は新しいフェリックスから素敵な点を見付け出そうと目を細めた。
「顔が綺麗だからどんな髪形にしてもかっこいいわ」「そうね、ワイルドな感じで素敵」
 そんな義妹(義姉?)達のやり取りを、エドガーはフェリックスの向かいでどうでも良さそうに聞いていた。