第58章:子供の世界

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  • 4747字

 子供の頃から人をあまり信じられなかった。
「神様」
 今宵もいつもの様に父親は燻し銀の十字架を握って祈った。
「お許しください」
 自分の馬車の中で夜な夜な呪文の様に懺悔の言葉を口にしている事を、彼は他の仲間にひた隠しにしていた。
「ヴィクトー」
 彼は祈り終えるとまだ善悪の判断も付けられない程幼かったヴィクトーに刷り込んだ。
「俺が今祈っていた事は他の皆には内緒だ」
「何故?」
 父親は苦しそうに微笑む。
「俺がしている事は、皆で生きていく中では良くない事なんだ」
 あれから十余年、今なら彼の気持ちも解る。盗賊の頭が犯した罪を恥じ、神に懺悔している等、他の仲間に知れれば良くても追放、最悪殺されてもおかしくない。
 その矛盾を抱えた父の言葉に、ヴィクトーは彼を信用する事が出来なかった。まだ、終始一貫して盗賊として生きるマーカスに付いて回る方が、自分の良心等というものを気にせずに済んだのだ。
 それでも物心付いた時には母親が居なかったヴィクトーにとって、ネスターは唯一の親であり、子供としては彼に縋って生きていかなければならない事を、ヴィクトーは本能的に悟っていた。マーカスは、いざという時は自分さえも見捨てて生き延びる事を考えるだろうと。決して彼は自分の保護者にはなってくれない事を。
「今日から私が貴方のお母さんよ」
 ある日ネスターが、まだ十四、五の少女を馬車に連れて来た。
 自分の生みの母親の話もしてくれた事が無いのに。
 以来、ヴィクトーは完全にネスターに対して心を閉ざした。
 盗品の女を寵愛する父に、仲間達は陰で文句を言っていて、エドガーが生まれてからは尚更だった。美女にアルビノ。盗賊としては売り飛ばして金にしたかったが、相手は頭の後妻に息子。勝手にそうする事は出来ずに、ピリピリした緊張の中、微妙な力のバランスを保ちながら、七年程の歳月を過ごした。エドガーやあの[ひと]に冷たくする分、仲間はヴィクトーの事を可愛がってくれた。彼はネスターに懐いていなかったから。
 それでも彼等はやはり、ヴィクトーの事を本当に大切には思っていなかっただろう。だから自分の人生を棒に振ってまでヴィクトーを引き取る決意をしてくれたエリオットには、本当に感謝している。
 彼等に会うまで、ヴィクトーが心から信頼していたのは、エリオット以外に誰も居なかった。
「よっ」
 ヴィクトーは食堂で、一人ポツンと座ってスープを啜っている男子生徒に声をかけた。兄貴がアルビノのアレキサンダー・テイラーだ。
「此処空いてる?」
「はい。昨日はありがとうございました」
「どういたしまして。俺も一年時同じ事やったよ。同級生に置いて行かれてさ…」
 いつの間にか場所が学校の食堂ではなくなっていた。ヴィクトーは自宅で、例の三人と共に食事をしていた。ティムがフォークを置いて話し出す。
「九月三日、私は、成人の儀には出席するが、その場では計画の事は公表しない」
 あの時は誰も横槍を入れなかった。皆ティムのやろうとしている事を静観していた。「無茶苦茶だ」と思いながら。
「おそらくこの四人で集まるのはこれが最後だ」
 三人は頷いた。ヴィクトーは内心思っていた。ティムのやっている事は無茶苦茶だ。第一、こんなやり方で成功するものか。
 だが、ほんの一年前、ティムが計画についての手紙を出すまで、ヴィクトーも同じ様な事を画策していたのだった。だからアレックスに近付いた。フェリックス・テイラーを取り込む為に。
「それではまた」
 ティムが真っ白な手の甲を上に向け、三人の前に差し出した。ヴィクトーが白くてほっそりした手をその上に重ね、その次にアレックス、そしてブルーナが手を乗せる。
「また、コリンズで会おう」
 ヴィクトーはその時三人に微笑んだ。ブルーナが「どうかした?」という風に自分を見た事を覚えている。
(ガキのままごとだ…こんなの…)
 しかし、子供というものは自分の考えがどんなに馬鹿げているかに気付かない生き物なのだ。ヴィクトー自身がそうだった様に。
 ヴィクトーは最後まで、ティムが操る茶番に手を貸してやる事を決意して、彼の手を握った。
 どうして彼の事を信用したのか、自分でも解らないが、ティムのただ一つの目標に向かっている眼差しが…例えその真の目的を教えてくれていなかったにしても、気に入ったからかもしれない。

 手の感触が現実味を帯びてくる。ヴィクトーは少しずつ覚醒し、やがて薄目を開けた。
 少し首を浮かせて見ると、ベッドに突っ伏してアレックスが眠っていた。ヴィクトーの手は彼にしっかりと握られている。
 ヴィクトーは手に力を込めた。声を出そうとしたが、蚊の鳴く様な音しか出なかった。
 それでもアレックスは僅かな変化に気付き、顔を上げた。ブルーグレーの視線と黒い視線がかち合う。
「あ、あ、あ」
 アレックスは言葉に成らない言葉を口にした。そして椅子が倒れる程の勢いで立ち上がると、叫びながら部屋を飛び出す。
「エリオットさんエリオットさん! 先輩が!」
(此処病院だろ…静かにしろよ…)
 ぼんやりとした頭でそんな事を考えながら待っていると、直ぐに彼はエリオットとオズワルド、そしてフェリックスを連れて戻ってきた。オズワルドが診察する傍ら、エリオットはヴィクトーの頭をわしゃわしゃにする。
「良く生き返ったな。手術中に二回も心停止したんだぞ」
「へえ」
 ヴィクトーがエリオットの手を捕まえる。安心する温かさの手だ。
「俺実は不死身だったりして」
 そう言ったものの、ヴィクトーは突然戻ってきた激痛に声を上げずには居られなかった。呪いが発動した直後でもこんなに痛くはなかったのに、今のヴィクトーの頭は痛いという感覚以外何も無かった。
「フェリックス、痛み止めの点滴に替えるから持って来てくれ」
 オズワルドの指示でフェリックスが慌てて部屋を出ていく。少しして帰って来ると、左腕の点滴が抜かれ、別の針が刺された。十数分後、薬が効いてきて再びヴィクトーは話せる状態になった。フェリックスはそれを確認すると、部屋を出ていく。アレックスと顔を合わせていたくないのだ。
「エドを呼んで来ます」
 ヴィクトーは貧血と薬で相変わらず回りが遅い頭をなんとか働かせ、エリオットに質問した。
「マーカス生きてたりしないよね?」
「首の大動脈を切断されて何十分も放置されてたのに、生きてたらそれこそ不死身だな」
 代わりにオズワルドが答えた。
「君の怪我の具合を説明しておこう。呪いはフェリックスが解いたから、怪我はこれ以上酷くならないが、撃たれた時の瞬間空洞まで再現されていたから軽い怪我じゃ無いぞ」
「解ってますよ、一応軍人なんで。あれは俺が用意した銃ですし、ホローポイント弾を持って来たのも俺です。確実に致命傷になると思って」
 予想以上にマーカスがしぶとかったのか撃ち所が悪かったのか、結局自分で…愛する叔父を冥土へ旅立たす事になってしまったけど。まあ、それこそ頭を撃たれていれば自分も即死だったが。
「そうか。重要な事だけ伝えるとだな、胃をかなり損傷しているから暫く物を食べるのは無理だ」
「って事は俺は此処から移動出来ないと」
 ウィリアムズまでは車を使っても丸一日以上かかる。点滴をしたまま帰れない事も無いだろうが、体力的にも衛生的にも不安である。
「話を解っているじゃないか。君の調子に依るが、何ヶ月かは入院だね。他の内臓の損傷が軽度で済んだ事を喜びなさい」
 その時フェリックスがエドを連れて戻ってきた。エドはパタパタと駆け寄って来て、複雑な表情でヴィクトーを見下ろす。
 フェリックスは部屋には入ろうとせず、そのまま扉を閉めて立ち去ろうとした。それをオズワルドが呼び止める。
「此処に居なさいフェリックス。君は私の助手だろう?」
「今何て?」
 ヴィクトーは思わず聞き返した。
「こいつ医者じゃないだろ?」
「医者ではないな。医療助手だ」
 オズワルドがフェリックスに何かを見せる様に指示した。ヴィクトーはその時初めて、彼が白衣を着ている事に気付いた。
 フェリックスは手帳に挟んだ一枚の紙をヴィクトーに見せた。

Felix Roy Taylor[フェリックス・ロイ・テイラー]
生年月日:一一四七年一月十九日
資格:医療助手(薬学/魔法医学)
取得日:一一六四年九月九日
有効期限:無期限(終身)
注意:この資格はマイルズ国内でのみ有効である

「は?」
「やむを得なかったとはいえ、流石に無免許の人間に治療させたとなると問題だからね。手術時には無免許だったが、後からでも取っておいた方が言い訳しやすいだろうと思って、昨日取らせた」
 此処でオズワルドは、警察の事情聴取があるからと言って、ヴィクトーの事をフェリックスに任せるとアレックスを連れて出て行った。
「アレックスが罪に問われると思うか?」
 ヴィクトーが不安げにエリオットを見る。
「俺、あいつの減刑を頼む紙を書いて渡してあるんだけど…」
「大丈夫だ。ハーキマーさんがどうにかしてくれるよ。でも、流石にお前の罪は拭い切れないかもしれないぞ」
「あーそうか、俺が最終的な殺人犯なのか…」
 ヴィクトーは前髪を掻き上げる。マーカス…殺さずに済んでいただろうか。苦しまないようにと留めを刺したが、もし自分の様に蘇生出来て、もし改心するような事があったとしたら…。
 いや、とヴィクトーは一人首を振った。仮定の話は止めよう。そんな事したって何も変わらないんだから。
「…まあ、執行猶予程度にはしてくれるだろう。被害者が被害者だし、ハーキマーさんはこの国の権威らしいからね」
「…あの人何者なの?」
「エスティーズの医師で、この国で列車事故が起こった時に多数の人命を救った救世主で、この国に観光収入という莫大な財源を作ったエンターテイナー」
「…へー…」
 エンターテイナーはともかく、エスティーズ国の医師免許を持っているのはヴィクトーでも感心するレベルである。
「さて、俺も聴取行かなきゃな」
 エリオットが言った。
「お前は怪我をしてるって事で聴取も猶予されてるんだ。じゃ、また後でな」
「おう」
 ヴィクトーは点滴を付けてない方の手で拳を握り、エリオットの拳に当てた。
 ヴィクトーはベッドの横に立ったままのエドを見た。フェリックスはアレックスが座っていた円椅子に座り、ルーペを持って読書を始めている。
「座れば?」
 ヴィクトーがエドに勧めた。
「それとも椅子一つしかないのか?」
 エドは頷いたが、自分がどうすべきかは判っていた。フェリックスを立たせる訳にはいかないが、長話になりそうだったので、彼はベッドの端に腰掛けた。
「…でかくなったな」
 ヴィクトーは何を話そうか考えていなかったので、とりあえず素直な感想を述べた。最後に会ったのが、自分が今のエドよりも小さい時なのだから、当然である。
「兄さんもね。回りの人に比べたら小さいけど」
「遺伝じゃボケ。お前もそんなでかくはならんわ」
 エドの背中を小突く。エドがおかしそうに笑った。思えば、こうやって彼と普通に話すのは初めての事かも知れなかった。
「とりあえず六年前から今までにあった事を話そうぜ。でも今日は良いわ、眠いし。時間はたっぷりあるしな」
「僕等は無いよ。落ち着いたら公演やらなきゃだし、練習もあるし」
「それでも何ヶ月かは移動しないだろ?」
「それはそうだね」
 此処で少し会話が途切れた。二人とも何を話したらいいのか判らない。暫くキョロキョロして、ヴィクトーは部屋の隅で仏頂面をしているフェリックスに尋ねた。
「俺がどういう治療をされたかは先に聞いとこうかな。お話頂けますか先生?」
 ヴィクトーがからかい半分無口調で言うと、フェリックスは読んでいた本を閉じ、溜息を吐いた。
「話してる途中で寝たら痛み止め抜いてやるからな…」

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