第51章:青馬の紋章

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 真昼だというのに、エリオットの後ろには長い影が伸びていた。マイルズは南中高度が低い為、ウィリアムズではまだまだ半袖シャツで過ごせる時期でも、此処ではジャケットが無ければ鳥肌が立つ。
 エリオットは衛兵隊の制服の上着を着込み、入国時に貰った地図を広げる事無く片手に持って、車にもたれて立っていた。
(ホテルってあれか…なんとも判りやすい…)
 ティモシー・ウィリアムズ首相からの依頼状を見せると、マイルズの門兵達はお上の許可も取らずに入出国情報を提供してくれた。通信技術の未発達なマイルズで情報開示をしてもらうとなると、通常は半日くらい待たされると聞くが、ものの数十分で用事が済んでエリオットは嬉しかった。マイルズの警戒体制の杜撰さに不安を覚えるが、他所の国の事だと割り切る。
 結果、ヴィクトー達はまだこの国に来ていないが、フェリックスは例のサーカス団と共に、公演場所のホテルに滞在しているであろう事が判った。マイルズには高い建物が余り無いので、遠くに見える細いホテルが国の城壁の近くからもよく見えた。
(とりあえず、フェリックス氏を保護しに行くか)

「よーしよし、良い感じだな」
 オズワルドは劇場の最前列の席に、翼を器用に畳んでせせこましく座っていた。舞台の上には、今回の演目の衣装を着た役者達が並ぶ。たった今舞台での通し稽古が終わった所だ。
「悪いがピエールとレベッカはもう一回舞台装置の確認に行ってくれ」
 ハーキュリーズの事故があったばかりなので、いつも以上に慎重になっていた。オズワルドの隣に居たディメトラも、彼の手に自分の手をそっと触れながら不安げな顔をする。
「…フェリックスは当日鬘を被ってもらうか」
 当初ハーキュリーズが着る予定で作りかけだった衣装をディメトラがなんとか仕上げ、同じ背格好のフェリックスが着て役者の中に混じっていた。
「染めても構いませんよ」
 結局マイケルとのダブルキャストで交互に演じる事になったので、マイケルの黒髪に合わせないといけないのだ。
 装置点検の二人が戻ったので、彼等はホテルへと帰る事にした。いつもは地下通路を通るが、今日は良い天気なので駐車場や厩の横を通っていく。
「リハーサルは夕方からにしよう。私は疲れた」
 オズワルドはフェリックスの父親よりも若いのに、妙に年寄り臭い動作でいそいそとホテルの門をくぐった。
「夕方になったらお客さんが来るよ。チケットの販売はホテルの人に任せてるけど、リハ前にちょっと様子見ない?」
 ピエールがマイケルとエドの背中を叩きながら言った。エドは自分を見に来る客がどれだけ居るだろうかと目を輝かせたが、臨時役者のマイケルは胃が痛そうな顔をした。フェリックスも顔には出していないつもりだが口が歪んでいる。
 皆がぞろぞろと歩く一番後ろを付いて歩いていたフェリックスは、その時ホテルの駐車場へと入って来た、グレーの背の低い車に目を留めた。
(青馬の紋章…!)
 その四輪駆動車の側面には、黒い馬のマーク、ウィリアムズ国の紋章が描かれていた。
(逃げなきゃ!)
「どうしたフェリックス!?」
 突然走ってホテルの中へと駆け込んだ彼に、その場に居た全員が呆気に取られる。
(どっちだ? 俺を再逮捕しに来たのか、保護しに来たのか)
 ティムの部下なら後者の可能性が高いが、裁判も無しに自分に死刑判決を下した、議会の息がかかった者なら見付かり次第即時射殺も有り得る。冤罪とは言え、今の彼は脱獄死刑囚なのだから。
「お久し振りですハーキマーさん」
 フェリックスの突然の行動に驚いて立ち止まっていると、後方から誰かがオズワルドに呼び掛けた。
「覚えていらっしゃいますでしょうか。あの時は私はまだ准尉で、例の計画の打ち合わせには参加しておりませんでしたが…」
 オズワルドが振り返ると、彼同様に驚いた顔をしている団員達の向こうに、グレーのウィリアムズの軍服を来た男が立っていた。
「申し訳無いが名前までは存じませんな。しかし貴方が六年前のあの日にあそこに居た事は覚えております」
 オズワルドが答えると、エリオットは微笑んで頭を下げた。
「エリオット・フィッツジェラルドと申します。今は法律上、ヴィクトー・レナードの父親です」
 オズワルドはエリオットの言葉の続きを待たずとも、彼の用件を把握していたが、一応彼の言う事を全部聞いた。
「ヴィクトーがエドガー君を殺害しようと企て、国外に出ました。恐らくこちらに向かっている筈です」
 オズワルドは頷く。
「こんな所で立ち話も何ですから、良ければ私の部屋で詳しいお話を伺いましょう」

 フェリックスは急いで荷物を纏めると、三階の自分の部屋の窓から飛び降りる事は可能かどうか検討していた。下には既に誰も居ない。
(何やってるの?)
 フェリックスの部屋からは厩が見える。そこに居るリリーが彼の不審な動きに気付いた。
(もっぺん逃げるの手伝って!)
 意を決して飛び降りようとした時、部屋のドアがノックされた。
「フェリックス、君を交えて話がしたい」
 オズワルドだった。フェリックスが黙っていると、彼は続ける。
「安心しなさい。彼は君を保護しに来た。私の顔見知りだ」
 そしてオズワルドの部屋に来る様に言われた。フェリックスは暫く迷った後、荷物をベッドに投げた。
(ごめんやっぱ今のナシ!)
 リリーにそう言うと、フェリックスはマントを脱ぎ捨てて部屋を出る。オズワルドを信用しよう。それでも、念の為にピストルはポケットに忍ばせておいた。
 オズワルドの部屋は他の団員の部屋よりも広い筈なのに、彼の翼と、五人もの人間が居る事で大分せせこましくなっていた。既にオズワルド、エリオット、レベッカ、エドガーは銘々に好きな場所に腰を落ち着けていた。
「貴方は!」
 フェリックスはエリオットを見てハッとした。自分が国を出る時に門を開いた衛兵ではないか。
「どうも。あの時は管理官に魔法を掛けられていまして、貴方を正しく導く事が出来なかった事をお許し頂きたい」
 エリオットが言い訳がましく頭を下げた。フェリックスは空いている場所に座る。
「私の本来の任務は貴方の保護ではなく、彼の捕捉なのですが…」
 此処でエリオットがオズワルドを振り向いた。
「六年前に貴方方があの場を離れてから今までに起こった事、これから起ころうとしている事をお伝えせねばなりません」
 オズワルドが頷いた。
「その前に、我が国の兵の一部が、貴方の意思に反してネスター・ラザフォード氏を含め多くの犠牲者を出すに至った事をお詫び申し上げます」
 エリオットはオズワルドと、その翼に抱かれる様に座っているエドガーに、改めて深々と頭を下げた。
「もう過ぎた事だ」
 オズワルドは許しているとも責めているとも取れない口調で、エリオットに顔を上げる様に言った。
「それに貴方一人の責任ではない。続きを」
「あの戦いで生き残ったラザフォードの者は三人居ます」
 エリオットが話し始めた。
「一人は戦いが始まって直ぐに単独で逃げたマーカス。確かネスター氏の弟でしたね。彼の所在は現在不明です。それから、ネスター氏の二人の御子息」
 エリオットはエドガーを見た。エドガーは実感が沸かない顔で彼を見詰め返す。エドガーは戦いの間ずっと、父親に盛られた睡眠薬の所為で眠っていた。あの日の事は全て伝聞形でしか知らない。ただ、目覚めたら知らない人達に囲まれていて、両親も兄も誰も居なくなっていたのだ。
「ヴィクトーの方はネスター氏が予めコリンズに逃がしていたのに、戻って来てしまった」
 オズワルドが言うと、レベッカが顔を赤くした。彼女はヴィクトーが戦場に戻ろうとしていたのを知りながら止めなかった。彼女自身も、あれ程酷い戦況になっているとは知らなかったのだが、彼に酷い物を見せてしまった後悔はあったのだ。
「エドのお兄さんだよ」
 オズワルドが言うと、エドが頷いた。
「七歳の時だもん、覚えてるよ。それで、おじさんが引き取ったんだ?」
 エリオットが頷く。
「養子にしてウィリアムズに戸籍を作りました。彼の今の名前はヴィクトー・レナード・フィッツジェラルドです」
 エリオットは溜息を吐く。
「ですが今はウィリアムズに居ません。ラザフォードの別の一派…もしくはマーカスに操られたのか、エドガー君と彼自身を殺す為に、こちらに向かっている筈です。そこに至る経緯を話せば長いので割愛しますが」
 エリオットは今度は目線でフェリックスを示した。
「フェリックス氏が国外で遭難する様に仕向けたのはヴィクトーです。フェリックス氏を保護するという名目で、フェリックス氏の弟のアレキサンダー氏と共にウィリアムズを出ました。私の魔法が解けたのはその後です。フェリックス氏が貴方方と共にマイルズに居るという情報は、私に送られてきた手紙と同じ手紙が向こうに届いているなら知っているでしょう」
 エリオットはティムがその情報を抜いた内容でアレックスに手紙を送った事を願った。当時まだ幼かったティムは、例の事件の事を…いや、彼だけではない。国民の多くが、エドガー保護作戦の事をラザフォード殲滅作戦だと認識している。あの事件でこのフリークサーカスがどういう役回りだったのかを知らないでいる。
「その情報は誰が?」
 レベッカが怪訝な顔をして尋ねた。エリオットは説明したが、ここでどうしても、フェリックスの国外追放と元王子との関係に触れない訳にはいかなかった。
「ウィリアムズ王子もとんだ馬鹿ね。一体何人が巻き込まれてるのよ」
 レベッカがフェリックスをちらりと見ながら、此処に居ない人物を責める。フェリックスは苦笑した。とりあえず、レベッカに自分が罪人でも何でもない事を証明出来て嬉しいが、彼女の機嫌は更に悪くなった様である。
 その横でオズワルドは頭を抱えていた。
「エドを逃がすべきか…しかし、今更公演を取りやめる事は難しい。他の国で販売した前売りチケットは殆ど売り切れだ」
 彼等の芝居を見る為にわざわざマイルズまで足を運ぶファンも多いのだ。彼等は既に、明日の舞台を見る為に自国を出発し、もうすぐホテルに到着しようと言うところだろう。
「…そうですね。まあ、公演中は私が場内外を警戒します」
「宜しく頼むよ」
「もしかしたらラザフォードの仲間を連れて来る可能性も無きにしも非ずですが、彼等がマイルズの門を正規の方法で通れる筈がありませんから、この国に居る間は相手は多くとも二人と考えて良いと思います」
「二人って?」
 フェリックスの声が大きくなった。
「アレックス君が操られている場合」
 エリオットが説明した。フェリックスはぞっとする。アレックスが自分やエドガーに凶器を向ける所等、想像したくなかった。
「とりあえず、門の者には彼等二人が来たら何かしら理由を付けて足止めしてくれとは頼みましたが…ヴィクトーの事だから何か上手い事を考えそうで」
 フェリックスは窓の外を見た。先程まであんなに天気が良かったのに、いつの間にか空には厚い雲がかかっていた。

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