第50章:脱線

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  • 4226字

 食事の際に飲んだ酒ですっかり出来上がったオズワルドに連れられ、フェリックスはホテルの隣にある劇場に案内されていた。
「えーっと、何処まで話したかね?」
「蝙蝠の羽を植え付けられた所まで」
「そうだそうだ。まあ、そこからなんとか私は逃げ出す事が出来た。命からがらと言うか、正直に言うと何人もを殺めたよ」
 劇場へ向かう、出演者専用の地下通路は暗く、オズワルドの表情は見えない。
「暫くあちこちを転々としていて、この国に来たのは偶然だった。そしてたまたま私が乗っていた列車が脱線事故を起こしたのだよ」
「レッシャ…?」
「ウィリアムズには無いかね。定期的に運行する、物や人を運ぶ車だがね、線路が敷いてあって石炭や電気で動く」
「なるほど。それでそれが線路から外れて…」
「ベッキーが住んでいた家やその周囲の建物に突っ込んだんだ。丁度、カーブの先にある家だった」
 地下通路を抜けて地上に出ると、劇場の裏口が見えた。オズワルドが鍵を開けようとして、首を傾げる。
「どうやら先客が居る様だ」
 構わずオズワルドが中に入るので、フェリックスも後に続く。
「その事故でベッキーの両親を含め沢山の人が亡くなった。私は無事だったので真っ先に救助に当たったのだが…」

 オズワルドは気付いたら自分の乗っていた列車の床が傾いていたのを覚えている。
「脱線か!」
 まだ若かった彼は窓から外に飛び降りると、事故の状況を把握した。
「…なんて事だ…」
 建物が数棟、薙ぎ倒されていた。列車の方も先頭車両は壊滅的だった。
「…私は医者だ! 通してくれ!」
 怪我人を助け出そうと群がっていた人々は、背中に翼の生えた、しかし国際医師免許を提示する人物に困惑した表情で通り道を作った。
「重傷の怪我人や瓦礫は下手に動かさないように! すぐに外に出せる怪我人から救助してください!」
 暫くして近くの病院からも医師が集まってくる。
「貴方がエスティーズのお医者様ですか?」
 その内の一人が尋ねた。
「私共の国は医学があまり進歩していません。報酬は後で必ずお支払いしますので、どうかこの事故の救助の指揮をお願いできませんか」
「報酬なんて要りませんよ」
 オズワルドは坦々と作業しながら答えた。
「指揮をするのは構いませんが、一応言っておくと私の専門は免疫です」
 ホッとした表情でその医者が作業に加わるのを見届ける。今助け出した患者の応急処置を終え、次に助けるべき怪我人を見付ける為に周囲を見渡すと、男の子の声が聞こえた。
「ベッキー! 目を覚ませ! ベッキー!!」
 十歳くらいの少年が、瓦礫の下に向かって叫んでいた。オズワルドがそちらに向かって覗き込むと、オレンジ色の髪の少女が気を失って倒れていた。
「お医者様! ベッキーを助けて下さい!」
 この時オズワルドに縋り付いてきた少年がハーキュリーズだった。

「ベッキーの左腕は瓦礫に挟まれていて、切断するしか無かった。運良く切らずに済んでいたとしても、体操は二度と出来なかっただろう…ああ、ベッキーとハーキュリーズは体操クラブに入っていたんだ」
 劇場の裏手の控室の鍵を開けながらオズワルドが補足した。だんだん酔いも醒めてきたらしい。
「ベッキーは孤児院に入って、暗い子供になってしまった。まあ、私はそれ以前の彼女を知らないから、ハーキュリーズに聴いた話だがね。私は人命救助の報酬の代わりにマイルズ市民権と病院での職を貰って、暫く彼女や他の患者のカウンセリングの様な事もしていた」
 舞台を見てみるかい? とオズワルドが誘うので、狭い控室に居ても特に見る物も無いので、フェリックスは頷く。
「一年…二年後だったかな? とにかく、ベッキーに自信を付けさせなければと思った。彼女は歌が得意だとハーキュリーズが教えてくれて、まあ、路上で小さな見世物をやったのが始まりだ。ハーキュリーズは手品やら何やらを一生懸命覚えて、商売に出来るくらいの腕になった所で、私達四人は国を出て巡業する事にした」
「四人?」
 舞台へと続く通路を歩きながらフェリックスが問う。オズワルドとレベッカとハーキュリーズと、あと一人は誰だ?
「ディミトラだよ。彼女は孤児で、失声症でな、ベッキーの孤児院で出来た友人だ」
 オズワルドが舞台裏に繋がる扉を開けた。劇場の方でランプの灯りが揺らめいている。
 アンジェリークが舞台に腰掛け、足をぶらぶらさせながら台詞を読んでいた。入って来た二人に気が付くと、びっくりして台本を閉じ、此方を向く。
「お邪魔だったかね?」
「いえ」
 言ってアンジェリークは劇場の方を再び向いた。フェリックスも、気まずい例の件を思い出す。
 その様子を見たオズワルドが面白そうに微笑んだ。
「そういえば私はディミトラに衣装合わせをすると言われていたんだった! すまないがアンジェリーク、フェリックスに舞台の仕様を教えておいてくれ」
 そう言うと颯爽と去ってしまう。フェリックスは追い駆けようとしたが、ランプはオズワルドが持っていた一つしか持って来ていない。仕方無い魔法で灯りを、と思ったら、アンジェリークが切り出した。
「あの…ありがとう…」
 フェリックスは彼女を振り返る。
「あたし…貴方の言葉で救われた…。だから、私も、フェリックスの事を助けたい、です」
 そう言うと舞台から飛び降り、観客席側の出口から出て行ってしまった。
 突然抱き締めた事を怒ってなくて良かった、とは、フェリックスは思わなかった。
 アンジェリークはブルーナに似過ぎていた。性格も見た目もかなり違う様に見えるが、隠れて努力をしている所や、目を合わせようとしない所が、フェリックスにブルーナの事を思い出させるばかりだった。

「うっかったー!!」
 合格者の受験番号が書かれた掲示の前で、はた迷惑にも両手を天高く突き上げて喜んでいたのはボイスだった。
「おめでと」
 一緒に見に来たフェリックスはその手を叩く。とにかく、自分も名門プライス学院に合格した安堵の気持ちで一杯で、ボイスの大声を窘める余裕は無かった。
「お前もな。フェリックスは受かったからには首席っしょ」
「俺が?」
「中学も首席卒業だし、他に誰が一番になるんだよ?」
 ボイスにそう言われて、一応入学式の挨拶を考えていたのだが、フェリックスに新入生代表の仕事の依頼は来なかった。
(って事は俺の上に誰か居るのか)
 中学まで一番以外を取った事が無かったので、入学式では少しだけワクワクしながら新入生代表の挨拶を待った。一体どんな奴なんだろう。
 壇上に現れたのは、黒くて長い髪の、やたら肌の白い少女だった。
 フェリックスの心臓が大きく脈打った。隣に座っていたボイスが彼を小突く。
「おいあれ」
 フェリックスは頷いた。ウィリアムズ国の人間の肌の色は黄から黒まで幅があるが、あそこまで白いとなるとアルビノか移民としか考えられない。
「っひょー。珍しい偶然だねー」
「こらそこ、静かに」
 教師に諌められてボイスは姿勢を正す。フェリックスは彼女の挨拶に全身全霊を傾けていた。
「……新入生代表、ブルーナ・ブックス」
(ブルーナ・ブックス…南区の本屋の名前と一緒だ)
 偶然かもしれないが、フェリックスが良く行く本屋の娘だと考えるのが自然だろう。
 入学式が終わってクラス分けが発表されると、フェリックスはボイスやブルーナと同じクラスではないかと期待したが、残念な事に彼は知り合いの全く居ないクラスに編成されていた。クラス分け名簿を良く良く見ると、ボイスとブルーナと、ついでにマクドネルが同じクラスだった。
(…ブルーナ・ブックス…何とかして知り合いになりたい)
 ボイスに会いに行く振りをして彼女を近くで見れるだろうかと考えたが、高校に来てまでマクドネルと顔を合わせたくなかったので、結局一年間、彼女の教室に行く事はなかった。どうして知り合いになりたいのか、また知り合ってどうしたいのかもこの時は良く解らなかった。

(面白くなさそうに笑うなあ…)
 ある日、フェリックスは珍しく図書室に来ていた。基本的に本は買う派なのだが、此処は窓から向かい側の校舎のブルーナの教室が見える。彼女は数人のクラスメイトに囲まれ、勉強を教えている様だった。
 フェリックスは無意識に窓に向かって手を伸ばしていた。彼女に触れようとでも思ったのだろうか。しかし、窓ガラスに指先が当たって爪が硬い音を立てると、正気に戻って手を引っ込める。
(何やってんだ俺?)
 フェリックスは首を振ると踵を返した。その直後に、ブルーナの横に立っていた女子生徒が甲高い声を上げる。
「今テイラー君がこっち見てなかった!?」
「えっうそうそ?」
「何処?」
 彼女達が自分の側を離れてくれたので、ブルーナはほっと一息吐いた。
(ったく、私はあんた達の家庭教師じゃないわよ…)
 そしてそっと教室を出る。さっさと帰ろうと彼女は急ぎ足で、いつもの癖で下を向いて歩いていたから、当のフェリックスと廊下で擦れ違った事に気付かなかった。
「……」
 フェリックスは自分の気持ちに当惑していた。彼女が視界に入っているとつい見詰めてしまう。居ないとその姿を探してしまう。学校の外では想いを馳せる。
 この頃にはフェリックスはこれを恋と呼ぶのだと知っていた。
(でもだからどうなんだろう)
 そもそも何故彼女なんだろう。フェリックスは彼女の顔と名前と声を知っているだけだ。趣味も性格も殆ど知らない人間をどうして好きになるのだろう。特段彼女が美人な訳でもないのに。
 フェリックスが教室に荷物を取りに戻ると、机の中に二通の手紙が入っている。片方は男子からの嫌がらせの手紙だったので、内容には目もくれずにぐしゃぐしゃと丸めてごみ箱に投げ入れる。もう一方には可愛いデザインの封筒の中に、愛を打ち明ける内容の便箋が入っていた。
(こいつらも一緒だ)
 付き合ってくれるのなら第一校舎の裏で待っている。手紙にはそうあった。
(もし俺が行かなかったら、この人は何時間待つつもりなんだろうな)
 しかし彼はそれで彼女の愛の重さを量る気は無かった。結局彼は愛に飢えていたのだ。食べても食べても満腹にならない、厄介な好物であった。
 彼は荷物を纏めると、校舎裏へと向かった。待っていた女子生徒が顔を輝かせる。
 彼も微笑んでいたが、その心はちっとも喜び等感じていなかった。
 ただ、時々図書館に行って、向こうの校舎のブルーナを眺めている時だけが、フェリックスにとって幸せな時間だった。

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