Cosmos and Chaos
Eyecatch

第69章:馬鹿言わないで

  • G
  • 4248字

「急患だ! 直ぐにオペの準備を!」
 病院には電気が点いていた。国内の一般家庭にはまだ電気は普及していないが、一部の病院等は自家用発電機を備え付けているのだ。
「ハーキマー先生がいらっしゃった!」
「怪我人らしい。担架で手術室まで運んで!」
 当直をしていた数少ない病院のスタッフが慌ただしく動き出す。
「フェリックス!」
 待合室で待機していたエドガーが彼の姿を見付け、酷い怪我をしたのはフェリックスだろうかと心配して駆け寄った。が、オズワルドに追い返される。
「ベッキーと一緒に待っていなさい」
 その時エドは、担架に載せられて病院の奥へと運ばれる、血塗れの人物の顔を見た。
 伏せられた切れ長の目、高い鼻、何でも飲み込めそうな大きな口に青白い肌。最後に見た時はもっと幼い顔だったが、今も大して変わらないその顔が誰か、エドは間違えなかった。
「兄さん…!」
 エドはその後を追おうとしたが、レベッカが肩を掴んで制止する。
「兄さん!!」

「そちらの方々は?」
 手術室にはオズワルド、エリオット、フェリックス、病院のスタッフが三名、そしてヴィクトーが入った。当直の内科医がオペの準備を他のスタッフと大急ぎでしつつ、オズワルドに尋ねる。
「こちらの方は患者の家族の方で、ウィリアムズ国のフィッツジェラルド少佐だ。応急処置は彼が」
 オズワルドはエリオットとフェリックスに手術用の服を着る様に指示しながら説明する。
「そしてこちらはテイラー君。ウィリアムズの学生だが、薬学と魔法医学に精通している。患者は呪いで、他人に放たれた弾丸が当たった影響を自身にも被った形だ。通常の治療では傷が塞がらないかもしれない。君は魔法医学は?」
 オズワルドよりも少し若い内科医は首を横に振る。
「では彼に呪いの解析は任せる。投薬は彼の指示を聞いて、作業は私達がする」
「ハーキマー先生がそうおっしゃるなら。執刀も先生、お願いします」
「私も専門は免疫なのだがねぇ」
 オズワルドは大きな翼ごと覆い隠す事の出来る特注の手術服の仕上げにマスクを付け、手袋を嵌めた。
「針を刺したりといった事はこちらでやるから、どのタイミングでどの薬剤をどれだけ投与するべきか指示してくれ」
 オズワルドに見詰められ、フェリックスは緊張して頷く。
 劇場で泣いていたら、オズワルドに無理矢理馬車に乗せられた。手術に立ち合い、ましてや自分が治療の指示をするなんて、間違った投薬が原因で死んだら責任が取れない。彼は馬車に運び込まれる虫の息のヴィクトーを見て協力を拒否した。しかしオズワルドが
「馬鹿言うな! 他の者の命を糧にして生きる者が、自ら命を断つ方が何倍も無責任だと思うが? やらなければ彼は死ぬんだ! やって死んでもそれは仕方が無い事だ!」
と物凄い剣幕でフェリックスを責めたので、彼は従うしかなかった。

「では始める」
 暫くの間は、手術は順調に進んでいた様に思えた。しかし、やがて内科医が絶望的な叫びを上げる。
「どうして血が止まらないんですか!?」
「むう…やはり呪いか…」
 傷を縫えども縫えども出血が収まる気配が無い。とうとう血圧をモニターする機械が警告音を立てた。心臓マッサージで再び心拍は回復したが、非常に危険な状態だ。
「何か手立ては無いのかフェリックス」
 執刀するオズワルド達の邪魔にならぬ様ヴィクトーを観察していたフェリックスは、部屋の壁際で口に手を当て、青ざめているエリオットを見た。
「フィッツジェラルドさん、この人に呪いをかけたのは誰ですか?」
「ラザルス王だ」
(なるほど仕組みがややこしい訳だ)
 ウィリアムズ一族もラザフォードに並ぶ魔法の名門だ。特に王族という職業柄、オリジナルの魔法理論を隠していてもおかしくない。フェリックスの膨大な知識を総動員しても、この呪いは解けそうになかった。
「呪いの呪文って知ってます? もし呪いをかけられた場に居て、覚えていたら一部でも聞かせて下さい」
 エリオットは全てを覚えてはいなかったが、分かる限りの全てをフェリックスに教えた。しかしそれでもフェリックスには道が見えなかった。無意識に首を振ってしまい、それを見たエリオットが苦しげに言う。
「もう駄目なら、あまり長引かせないでやって下さい。ヴィクトーはさっき自分がレナードではなくラルフだと言いました。彼の望みが死んで自分の歌をこの世から消す事なら、それで…」
「馬鹿な事言わないで下さい!」
 怒鳴ったのは意外にもフェリックスだった。その場に居た全員が驚く中、彼は床にまで流れ落ちているヴィクトーの血で、まだ汚れていな部分に何かを書き始めた。

 ティムは増える一方の仕事を片付ける作業を中断した。そろそろ寝なければ明日の公務に差し障る。
 相当疲れていたので、部屋の床に血文字で何やら書かれているのを発見すると、また質の悪い脅迫か何かだろうと不機嫌になった。
 一応内容は読まなければいけないので、文字を踏まない様に近付く。見覚えのある筆跡に、ティムの顔色が見る間に変わった。

ヴィクトー・フィッツジェラルドがラザルス王の呪いによって死にかけている。
彼はやむなく彼の歌を使ったのであり、義父のエリオット氏は大変傷心していらっしゃる。
御父上に呪いの解除方法を教えていただきたい。紙に書いて血文字に投げ入れればこちらに自動返送される。
フェリックス・テイラー

 ティムの目に留まったのは、二つだけだった。ヴィクトーが死にかけている。そしてフェリックスが自分に助けを求めてきた。
 友を失う不安と、友が自分を許してくれたかもしれないという期待で複雑な想いを押し隠しながら、彼は父親に電話をかけた。

「ティムはすぐ呪いの解除方法を返送してきた。もっとも、待ってる間にもう一回心臓が止まったけどね」
 全く嬉しくなさそうにフェリックスが話を締め括る。
「呪いを解除したら出血が止まったから、なんとかあんたは助かった訳さ」
「ああ」
 ヴィクトーは眠そうな声で相槌を打った。痛み止めの点滴が無くなったので、フェリックスがまた別の点滴に付け替える。
「まあ、助けてくれてありがとよ」
 フェリックスはヴィクトーと目を合わせず、何も言わなかった。エドガーが暮れていく窓の外を眺め、立ち上がる。
「また明日来るね」
 ヴィクトーは返事をしなかった。彼は再び眠りに落ちていた。

 再び目を覚ますと、辺りは暗くなっていた。ただ、フェリックスが部屋の隅で小さなランプとルーペを頼りに本を読んでいた。
「聞き忘れてたんだけど、今日って何日?」
「九月十日午後九時二十分」
 フェリックスが丁寧に時刻まで教えてくれた。彼は本を置き、円椅子をベッドの横まで持って来る。
「気分は?」
「まあまあなんじゃないの。それよりお前こそどうなんだ」
 元々の色が白い所為か、それともランプの明かりが頼りないだけか。フェリックスの顔の方がよっぽど病人の様に見えた。
「不眠症が再発してるだけだ」
 言って椅子に座り込む。
「此処で寝ずの番をしてくれる訳?」
 ヴィクトーはフェリックスの疲れ様に、心配の情を含めてそう言った。
「アレックスに合わす顔が無い」
「何で?」
「見てなかったのか? 俺は…あいつを…」
 殺そうとした。本気で憎かったから、本気で撃とうとした。今でもあの時撃っていれば良かったと思う心がある。しかしギリギリの所で、フェリックスの良心か理性かは知らないが、彼を抑制する力が働き、彼は弟を傷付けなかった。
「アレックスだけじゃない。親にもどんな顔すりゃ良いか…」
「帰らないつもりなのか?」
 ヴィクトーは彼が叫んでいた事を思い出し、確認する。フェリックスは切れ切れに話した。
「多分…少なくとも学校は辞めるつもり…」
「医者になるのか?」
 フェリックスは頷いた。
「でも今持ってる免許じゃ他の国では医師資格と認められないから、帰ったとしても医術学校に編入するか、エスティーズの国際医師免許を取らないといけない」
「つかマイルズの医師免許試験っていきなり受けて通るレベルなのかよ」
「うん。筆記と面接だけだったけど、なんか目茶苦茶簡単だった。ウィリアムズの医師基準より大分甘いみたいだ」
 フェリックスの余裕の答えにヴィクトーは口を曲げる。
「でも可笑しいだろ?」
「何が?」
「身内を殺そうとした奴が、他人の命を救う医者だって」
 フェリックスが自身を嘲笑する。
「ハーキマーさんに勧められたのもあるけどさ、なんか、やっとやりたい事を見付けられた気がする。折角だし国際免許を狙おうかな。ハーキマーさんみたいに国を出る時には姿が変わってるかもしれないけど」
 フェリックスがへらへらと笑う。
「…本当にそれで良いのか?」
 フェリックスはヴィクトーの問いに少し緩まった表情を再び固くした。
「お前さ、ティムやブルーナやアレックスと仲違いしたまんまだろ? そのままエスティーズに行って、その後どうするんだよ?」
「もう良いよあんな奴等…」
 ヴィクトーはフェリックスにそう言われる三人が可哀相に思えたので、彼が知らないと思われる事を教えてやった。
「ブルーナはお前に愛想尽かされて泣いてたぞ」
「何でブルーナが泣くのさ。騙されてたのは俺なのに」
「ブルーナも途中からはマジでお前の事好きだったよ。もっかい会って話してやれ」
 フェリックスは押し黙る。
「ティムもだぜ。あいつはお前を仲間に入れる事を最重要事項と考えてた。俺等は所詮捨て駒かって、何回か思う事あったし」
 フェリックスは相変わらず無言である。
「それに親御さんに挨拶もしないで行くのか?」
「両親は俺が居なくたってアレックスが居れば十分さ」
 声を震わせながら、フェリックスがやっとの事で言葉を紡ぐ。
「本当は俺がアレキサンダーって名前を付けられる筈だったんだ」
 深紅の瞳が潤みだす。父の名前を貰えなかった。ただそれだけの事だが、父が彼を自身の子供だと認めたくなかったから土壇場で変更したのではないかと疑う時がしばしばあった。
「…まあどうしても会いたくないってなら俺には強制出来ねえよ。俺はティム側の人間だからまた時々同じ事言うかもだけど」
 ヴィクトーは寝返りを打ち、カーテンが開いたままの窓の外を見た。
「今日はBluna[ブルーナ]が綺麗だぜ」
 空には青い月が浮かんでいた。この世界には二つの月があり、もう一つは赤みがかっていて、Crimoon[クリムーン]と呼ばれている。
「赤い方はもう沈んじまったのかな?」
 ヴィクトーが振り返ると、フェリックスは読みかけていた本を手に、部屋を出て行く所だった。