第29章:逃亡

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  • 2992字

「ティム、俺じゃない!」
「知っている」
 ティムは通路の扉を閉めると、フェリックスの扉の前につかつかと歩み寄った。まだ顔色が悪そうだが、声は思っていたよりも元気そうである。
「やっぱり自作自演かよ」
「御名答」
 ティムはしばらく鍵の束をがしゃがしゃやって、お目当ての鍵を見付けるとフェリックスの独房の鍵穴に差した。フェリックスが扉を開け、手錠をしたまま両手でティムを殴ろうとする。
「やめておけ。殴れば本当の罪人だぞ」
 ティムは手に持っていた袋でフェリックスの拳を避けると、手錠の鎖を掴んで引き寄せた。再び鍵の束をがしゃがしゃやって、フェリックスの魔法を封じる手錠を外す。

「やっと髪が括れる…」
「その必要は無い」
 ティムはフェリックスに鋏を手渡した。
「アレックスに変装して逃げろ。色々と手違いがあった。国外追放にするつもりだったのだが議会が勝手に…」
「良い訳なんか聞きたくない」
 フェリックスは言いつつも指示通りに髪の毛を切った。アレックスくらいの髪の長さにすると、鋏を返す。
「っていうか、ティムが正直に白状すれば俺の有罪は取り消されるんじゃないの?」
 ティムはフェリックスの方を見ずに答えた。
「そうすると私の計画の進行上都合が悪い」
 フェリックスはティムの胸倉を掴んだ。そのまま拳で殴ろうとしたが、なんとか思い留まる。
「あんた、俺を何だと思ってるんだ!?」
 乱暴にティムを突き放す。病み上がりのティムはバランスを崩し、その場に倒れた。
「ティム!」
 フェリックスは慌てて手を差し伸べる。ティムは傷付いた顔でその手を拒絶すると、自力で立ち上がり、フェリックスに袋の中に入っていた服を渡した。
(なんでティムの方がショック受けた顔するんだよ…)
 ティムの考えが解らずに、仕方無くフェリックスは服を受け取る。ティムが自供してくれない限り、自分が無罪放免になる可能性は薄そうであるし、結局彼は逃げる道を選んだ。
「へえぇぇぇ」
 横で見ていたジェンキンスが面白そうに呟いた。
「良い事聞いちまったなぁ」
「冥途への土産だジェンキンス。貴方の処刑は時間通りにきっちり行われるから覚悟しておけ」
 ジェンキンスはそれを聞くとムッとした表情になったが、尚も目を輝かせて二人のする事を見ていた。
「これを飲め」
 囚人服からティムが持って来た衣装に着替えると、ティムが茶色い液体の入った瓶を投げて寄越した。
「何これ、毒?」
 フェリックスが冗談めかして尋ねる。
「馬鹿言え。肌の色と眼の色を変える薬だ。自分で調合したから安全の保証は出来ないが、上手く効けば丸一日くらいは持つだろう」
「これで死んだら今度はティムが此処に閉じ込められろ!」
 ティムがフェリックスの言葉に苦笑した。フェリックスが瓶を開けて中身を一気に飲み干すと、徐々に肌の色が白から健康的な褐色へと変わっていった。
「目の色は変わってる?」
「大丈夫だ。あとは髪だな」
 ティムはフェリックスの後ろに回り、少ししゃがませて髪の毛に黒いペーストを塗っていく。余分をタオルで拭き取ると、本物より少しだけ背の高いアレックスがそこに居た。
「ほぉー」
 扉の奥からジェンキンスが感心した様な声を出す。
「移動魔法は使えるな?」
「自信無いけど、一応…」
「アレックスが刑務所の外で待っている。馬と旅の荷物と一緒にだ。窓から見えると思うが」
 ティムが椅子を窓の下に持って行こうとしたが、フェリックスは首を振った。
「俺の目が悪い事知ってて言ってる?」
 ティムは無言で懐から眼鏡を取り出した。
「私のだ。持って行け。あとこれも」
 椅子に上って窓からアレックスの姿を確認するフェリックスに、ティムは袋の中から取り出した細い剣を差しだした。
「これ装飾用[アクセサリー]じゃん。まともに斬ろうとしたら折れるぞ」
「無いよりマシだ。実戦用の剣は買うのに手続きが面倒だからな」
 フェリックスは眼鏡をポケットに仕舞い、ティムから剣を受け取ると、椅子から飛び降りて腰に提げた。
「アレックスから荷物と馬を受け取ったら北門へ行け。そこから後の事は北門に居る私の手の内の者が伝える」
 フェリックスは頷いた。
「では、幸運を祈る」
 それを合図に、フェリックスは呪文を唱えた。
「ボウジェ!」

 次の瞬間、フェリックスは刑務所の近くの路地に立っていた。アレックスは直ぐ近くの表通りに立っているが、人目に付きそうな場所にいきなり姿を現すと怪しまれると思い、わざと少し離れた場所に現れたのだ。狭い通路目掛けて移動するのはなかなか難しかったが、成功してフェリックスはほっと一息吐く。
「アレーックス」
 刑務所の塀にもたれかかっていたアレックスを小声で呼ぶ。アレックスは自分そっくりな人間の姿を確認すると、少しだけ微笑んだ。
「これ、服とか非常食とか旅の道具。兄貴の部屋、まだ警察が調べに来てるから、新しく買った。サイズ合わなかったらごめん」
「この際何でも良い。ありがとう」
 フェリックスはアレックスからトランクを受け取ると、額に白い模様の入った馬に跨った。アレックスの馬ではないので、おそらく王室の物だろう。
「ベッドの下とかに怪しげな物隠してたら、兄貴の面目丸潰れだな」
 精一杯明るく言ったつもりなのだろうが、アレックスの目は全然笑っていなかった。
「殺人犯扱いされただけで十分名誉棄損。それに、怪しげな物は昨日もう取られたよ」
「うーわ…」
 二人は見詰めあうと、手を差し出してしっかりと握手した。ティムやアレックスの言動からして、自分が国外に逃がされるというのはフェリックス自身にも解っていた。どの程度安全な逃げ道なのか想像が付かないが、国の外は無法地帯である。これが最後の挨拶になるかもしれなかった。
「元気でな」
 フェリックスは手を解くと言った。アレックスも計画に一枚噛んでいるとは言え、やはり、突然憎み切る事なんて出来ない。
「また直ぐ会えるよ」
 そこで向こうの角から人が曲がって来たので、アレックスは馬のお尻を押してフェリックスを急かした。
「早く行って!」
 フェリックスは頷くと、心の中で馬に話し掛けた。
(北門に向かって走って。道が解らなかったら説明する)
 馬は軽く鳴くと土煙を上げながら通りを駆け出した。
(はいはい。全速力で行くわよ!)
 ティムが触れる事で他人の思考を読み取る事が出来た様に、フェリックスは人間以外の動物と会話する事が出来た。アレックスにも、両親にさえも秘密にしてきた、本人にも謎の能力である。
 フェリックスは馬に礼を言いながら、後ろを振り返った。アレックスは既にその場から立ち去っていた。
(言い忘れてた。俺の家の前は、通らないでくれる?)
(了解)
 フェリックスは前を向くと、なるべく周りの景色を見ない様にした。アレックスだけではない。両親や、友人や、この街並みとも永遠の別れとなるかもしれない。それより何より、フェリックスはこの世で一番大切な物を、この国に残していくのだった。
(せめて、ブルーナと仲直りしてから行きたかった…)
 それとも、この方が良かったのかもしれない、とフェリックスは考え直した。復縁してからではブルーナの精神的ショックが大きくなるだろう。そう考える事で、フェリックスは喪失感を和らげようとした。
(…そろそろ着くわよ)
 馬がフェリックスに知らせてくれた。感傷に浸る間に、彼は北門の目と鼻の先まで来ていた。

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