Cosmos and Chaos
Eyecatch

第10章:不幸

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「もーびっくりしたじゃない」
 北門近くの病院の庭のベンチにヴィクトーは座っていた。隣には着替えたルークリシャ、エドと呼び出されたエリオットは彼等の後ろに立っている。
 さっきの言葉を発したブルーナは、フェリックスと共に今しがた帰国した所だった。ヴィクトーが重傷を負ったと聞き病院まで飛んで来たのに、意外と元気そうな彼を見てほっとしつつ人騒がせな、と溜息を吐く。
「まあでもやっぱ神経切っちまった」
 突き刺した時に一瞬意識が飛ぶかと思う程の痛みを感じ、その後は親指に痺れが残っていた。今は痛み止めで左手全体がそんな感じだが、傷が癒えても親指の痺れは取れないだろうとの事。
「手の甲を斬ろうかと思ったんだけど出血量が少なくてバレるかと思って」
 しかしヴィクトーは余り気にしていなかった。右利きだし、他の四本の指は無事だし、慣れれば親指が動かなくても日常生活に支障は無いだろう。
 それに、と彼は隣を見た。ルークリシャはヴィクトーの左腕に自分の手を絡ませ、ずっと彼の左手の包帯を見詰めている。
(こいつの命には代えられんしな)
 ウィリアムズまでの道程で何があったのか、かい摘まんで話し合った後、テイラー夫妻は子供達を迎えに行く為馬車に乗って北門を後にした。貧血の為安静を要するヴィクトーは結局仕事を休む事になった。エリオットは退役済みだが、ラザフォード出没の件で対策会議に特別召集されたので北門へ向かう。ローズバッドも勤務時間で誰も居ない家にルークリシャを送る為、ヴィクトーは立ち上がった。
「エドはどうする?」
「適当に宿取る」
 エリオットに書いてもらったヴィクトーとエリオットの家の地図があるので、今日は兄も動けそうにないし、初めてのウィリアムズを観光でもしようとエドは考えた。
「そうか。じゃあな」
 そしていそいそと駐車場に行こうとする兄に尋ねる。
「何でそんなに急いでんの?」
「帰って早く手入れしないと刀が錆びる。あと、腹減った」
 優秀な策士である兄の、普段他人に見せる澄ました態度からは想像しにくい無邪気な返答にエドは微笑んだ。彼がエドを[ちか]しい人間と受け入れてくれている証拠だった。
 兄を見送り、エドは貸し馬車乗り場へと向かった。そこで見慣れた顔に出会い、驚嘆する。
「ディミトラ!」
「エド?」
 最期に会った時より少し老けた彼女は声で会話していた。
「お兄さんを訪ねて来たの?」
「うん、まあ…ディミトラはウィリアムズの出身だったんだよね」
「ええ。今日は父の命日だからお墓参りよ」
 エドが彼女が持つ花束を見詰めていたので、聞かれる前にディミトラは答えた。
「可哀相に、お父さん、無縁仏になっちゃってたの」
 彼の墓の前…と言ってもジェンキンス家の墓ではなく集団墓地の前でディミトラは言った。
「…どうして?」
 何となく聞くべきなのだろうかと思い、エドは言った。
「私はね、父と二人でマイルズに行った時に、父から逃げたのよ」
 ディミトラが花を供えて遠い目をする。その表情は笑っている様に見えた。
「父は暴力を振るう人でね。母もとっくに逃げていたわ。でも、本当の不幸は私が逃げてからよ…」
 此処で彼女はエドを振り返った。
「今日が何の日か知ってる?」
「えっと、ウィリアムズ国の革命記念日でしたっけ。兄が言ってました」
「当たり。父は十五年前、酷い事件を幾つか起こして死刑囚の牢に入れられていた。でもね、彼を逃がしてくれた人が居たのよ…」
「…誰?」
「当時のこの国の王子様」
 エドは数時間前、同じテーブルで食事をしていたアルビノの同胞の顔を思い出した。彼が? 兄やフェリックスを自分の身勝手な計画に巻き込んだ人物とは知っていたが、死刑囚まで引き込んでいたとは。
「でも父には天罰が下ったのね。せっかく檻の外に出たけど、王子様から与えられた任務を熟している途中で心臓麻痺で死んだわ。私もマイルズに居る時にニュースで知った事だけど。親族は誰も彼の遺体を引き取らなかったみたいね」
 ディミトラが踵を返し、貸し馬車乗り場へと戻ろうとしたので、エドもそれを追った。
「父が私の声を奪っていたのだけど、私は父の人生を狂わせたのよ」
 都心へ向かう馬車に二人で乗り込み、ディミトラは感情の篭らない目で言った。エドは黙って彼女の掠れた声を聴いていた。
「父は母も私も居なくなって、仕事や対人関係での[わだかま]りをぶつける相手を無くしたの。だから彼は他人に暴力を振るう様になった」
 馬車が走り出した。暑いので外の風を入れようと、ディミトラが窓を開ける。
「私はこの世に生まれながらにして悪い人は居ないと思う。何が人を悪くするかと言うと、神様が気の合う人間同士を近くに配置してくれない事かしらね」
「でも完全に他人を理解出来る人なんか居ないよ」
 エドの言葉にディミトラは微笑んだ。
「そうね。だから人間って不幸なのよ。独りでは生きていけないのに、誰もが独りぼっちなのね。でも、それを越えて共に居ようと思う人を見付けて、仲良くなる努力をするのが私達に与えられた課題だわ」
 エドは何の事を言われているか解って俯いた。先日ゴシップ紙に取り上げられて自分の元を去って行った恋人の顔を思い出す。
「本当に好きならパパラッチなんかに負けてちゃ駄目よエド。貴方がどれだけ想っているか、ちゃんと伝えなくちゃ」
 エドは顔を上げ、人生の先輩に苦笑した。