Cosmos and Chaos
Eyecatch

第14章:同僚

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「やっぱり昨日はヴィクトーの家に泊まったんだね」
 小学校の時の担任の夫が、ルークリシャを新しい学びの場へと誘いながら確認した。
 ルークリシャは医術学校を卒業した後、ヴィクトーが知らない間にフェリックスにヘッドハンティングされていた。フェリックスやヴィクトーの身体の謎を解くには、単に医術のみ、魔術のみを知っているだけでは不可能であろう。フェリックスはどちらも知っているエキスパートを自ら育成しようと考えたのだ。幸い娘達が居なくなった部屋に泊めてやる事が出来るから、フェリックスは妻の教え子を自宅に下宿させつつ、自分の研究の傍ら彼女に魔法を手解きするつもりなのだ。
 ヴィクトーにこの事を内緒にしていたのは、単に研究室に入って来て驚く彼の顔が見たかっただけなのだが、ルークリシャは先にヴィクトーの自宅を訪ねてしまったらしい。作戦が失敗してフェリックスは少し残念がる。
「ヴィクトーさん…?」
 ルークリシャが聞き返したのでフェリックスは怪訝な顔をした。違うのかと尋ねようとしたが、丁度研究室の前に来たので彼女に紹介する。
「俺の研究室。今は呪文研究が主だから、本しかないけどね。俺達の体の研究は魔法医学チームの部屋を借りるけど、実験時間以外は基本的に君にも此処に居てもらう事になるかな」
 フェリックスがカードを通し、研究室の扉を開けた。
「君のカードでもこの扉は開けられる様になってるから」
 二人が足を踏み入れると、動きを感知して電灯が自動的に明かりを点す。尤も、透視能力で物を見ているフェリックスは、部屋のドアを開ける前からヴィクトーが机に突っ伏している事を知っていた。
「泊めたんなら一緒に来れば良かったのに」
 ヴィクトーの後ろから声を掛けたが反応が無い。フェリックスは近くにあった重たそうな本で彼の頭を叩いて起こす。痛いので良い子は真似しない様に。特に角で殴るのは危険度が増すので絶対にやめましょう。今フェリックスは思いっ切り角で殴りましたけどもね。
「…ってーな! まだ始業時間じゃないだろ寝かせてくれても…」
 と起き上がりながら振り返ると、黒い瞳と目が合った。ヴィクトーは慌てふためいて机の上の本を何冊か床に落とす。
「何で此処に居んだよ!?」
「あ、この事は話してなかったんだ?」
 フェリックスの言葉にヴィクトーは彼の黒いシャツの胸倉を掴むと、立ち上がって研究室の外に連れ出した。
 ルークリシャは一人残され、とりあえず床に落ちた本を拾った。難しそうな魔法の本ばかりだ。自分は魔法医学の免許も取ったが、彼等の専門的な研究を本当に手伝えるのか不安である。
 それよりも、先程の男性の方が気になった。ヴィクトーと言うのか。そういえばフェリックスが、研究するのは自分とヴィクトーの身体能力についてだと言っていた。
(何処かで会った気がするんだけどなー)
 ルークリシャは腕を組んで必死で記憶を辿る。フッと脳裏を過ぎったのは、父が大怪我をした時に学校まで迎えに来たラフな恰好の彼の姿だった。だが、何故彼が自分を迎えに来たのかは解らなかった。
(今さっき見た顔もあの時から全然変わってない。老けないって本当なんだ)
 医師として人体の不思議に感嘆する。暫くすると、フェリックスとヴィクトーが二人とも怒った様な顔をして戻って来た。

「どういう事だ!?」
 ヴィクトーは男子トイレにフェリックスを連れ込み、彼を壁に拘束した。
「そっちこそどういう事だよ」
 睨むヴィクトーに負けじとフェリックスも瞳孔の開いた目を彼に向ける。
「ルークリシャちゃんの記憶を弄ったね?」
 フェリックスの指摘にヴィクトーは閉口する。フェリックスは今朝自宅を訪ねて来た彼女のおかしな言動から、この結論を導き出した。
「どういう事情か知らないけどね、うちの研究室に犯罪者なんか置いときたくないんですけど」
「そりゃお前が黙っててくれれば良い」
 ヴィクトーは壁から手を離してフェリックスを解放する。
「…とにかく何でルークリシャが此処に?」
「俺達の研究課題のエキスパートを養成しようと思って。彼女は魔法医術師だしあんたとも親しいから適任だと思って引き抜いたんだが」
 ヴィクトーの苦しそうな表情に、フェリックスは自分が間違っていた事を知った。
「そうじゃなかったんだな。悪かった」
「俺が苗字を変え職を変えた時点で何かあったって気付けよ」
 責める様な口調になるが、ヴィクトーはフェリックスに責任は無いと重々承知だった。彼にルークリシャと決別した事を伝えていなかったのは自分だ。
「だけど今更帰せないよ。アカデミーの会員になってもらったし、彼女は国軍病院に就職決まってたのにわざわざ内定蹴って来てくれたんだから」
「解ってる」
 ヴィクトーは相変わらず険しい表情のままトイレを出た。フェリックスも後を追う。
(指を銜えて黙って見ていろという事か…)
 ヴィクトーは法律を犯した罰は既に天から下されたと思った。研究室には若い男も居る。目の前に居る愛しい人が、自分との深い関係を忘れた状態で、他の男を誘惑したり誘惑されたりするのをしっかり見ろという事だろう。気が狂う程恋い焦がれて苦しんで、最終的に、彼女に掛けた魔法を解いて悔恨の人生を歩むか、彼女を道連れにして心中するか、孤独に打ち拉がれて己の進むべき道を見失うか…。ハッピーエンドの選択肢は彼の為に用意されていなかった。

「…飽きた」
 午後。腕や頭に測定器を付け、不透明な箱の中に入っている物を当てる透視実験を行っていたが、小一時間程でヴィクトーが音を上げた。
「まぐれで一回当たっただけじゃん」
 魔法で透視を行っていないかルークリシャに監視されながらの実験だった。ルークリシャの見詰めるコンピューターのモニターを覗き込んでヴィクトーは言う。フェリックスは先程同じ実験を終え、百発百中で正解して、今は研究室に戻って休憩している。
「これはもう俺には透視能力無いって事で良くね?」
 ヴィクトーは横を向いて、壁に取り付けられたカメラに向かって話し掛けた。この実験は録画されている上、リアルタイムで別の部屋の助手が見守っているのだ。
「テイラー先生も百回やったから同じサンプル数やって」
 フェリックスの助手の返答は情け容赦無い。
「はいはい。あと半分以上かよ…」
 ヴィクトーが早く実験を終わりたいのは、単調な作業が延々と続くからだけではなかった。
 実験が終わるとヴィクトーは測定器を剥ぎ取り、後片付けもせずに部屋を出た。休憩スペースで缶珈琲を買い、一気飲みして実験室に戻る。元々沢山の機器を使っていた訳ではなく、ルークリシャは片付けを殆ど終わらせていた。実験道具の百個の箱は既に助手が持って行ったらしい。ルークリシャの傍に居るのが息苦しくて飛び出したものの、片付けは手伝わねばと思って急いで来たのに間に合わなかった様だ。
「お疲れヴィクトー。皆も。解析は明日にして今日は解散しよう」
 フェリックスが姿を現した。手ぶらで通勤するヴィクトーは皆に挨拶してそのまま帰ろうとしたが、フェリックスが彼の肩をちょんと叩く。
「ルークリシャちゃんはどうしたら良い?」
 そして小声で尋ねる。ヴィクトーも小さく答えると、そそくさと立ち去った。
「連れて帰ってくれ」
 自宅に戻るとヴィクトーは洗面台に直行した。自分がどんな顔をしているのか確かめたかったのだ。
 長めの銀の髪を振り乱し、紅潮した頬に汗を光らせる青年が居た。ヴィクトーは暑さで生温くなった水道水で顔をバシャバシャ洗うと、今度は前髪から水を滴らせたまま困惑の目で己を見詰めた。
(想定外だ…)
 ヴィクトーは自分は優秀な策士だと自負していた。彼は有り得ない仮定の話をするのは嫌いだが、起こる可能性のある事は余す所無く考えてから作戦を立てているつもりだった。
 だがヴィクトーの予想を超えて、ルークリシャは再び彼の前に現れた。更にその上同僚になるだと?
 しかし、彼の魔法も良く効いている様だし、フェリックスもヴィクトーを警察に突き出すつもりは無いらしい。フェリックスの言う通りルークリシャを実家に帰す事も出来ないし、現状を維持するしか無かった。ヴィクトーにとってはかなりの精神的負担だが、ルークリシャが彼の事を思い出さない内はこれで上手くやっていけるだろう。
 ヴィクトーはやっとこさタオルで顔を拭いた。タオルを干しながら、今も甘く痺れる左親指を見る。
(もしも…)
 珍しい事に、ヴィクトーは有り得ない仮定の話を脳内で綴り始めた。
(ルークリシャが俺とは何の関係も持たない女の子で、俺が普通にこの国で生まれ育った男だったら…)
 鏡の中の水色の目が語りかける。そうだ、今の二人は限り無くその状況に近い。
(何の躊躇いも無く恋に落ちる事が出来るのに)