Cosmos and Chaos
Eyecatch

第15章:永遠の恋人

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 二週間程、同じ様な日々が続いた。午前中はヴィクトーとフェリックスが歌の研究をする傍ら、ルークリシャが前日分の実験データの考察や、魔法の勉強をする。午後からは超能力の実験だ。ヴィクトーはなるべくルークリシャに関わらない様にしていたが、同じ研究をしている以上ある程度の接触は避けられなかった。
 特にルークリシャは医師である。測定器の装着等は彼女に一任されている為、ヴィクトーに直に触れる事もあった。毎回、ヴィクトーは坦々と作業を進める彼女の指にゾクゾクしながら、理性を保つのに必死である。酷い時は「思い出してくれ!」と叫びながら魔法を解きそうになった。自分で記憶を消しておいてそれは間抜けだと思い、これまで何とか持ち堪えてはいるが。
「ヴィクトーさんって私の事嫌いなのかな?」
 彼の冷淡な素振りに不安を覚えたルークリシャは、休憩時間に同僚の若い男にそれを吐露した。
「さあ…」
 曖昧に返事をしながら、男は彼女に熱い視線を送っていたが、ルークリシャの視線の先には有名なミュージカルの挿入歌を歌っているヴィクトーが居た。ヴィクトーは顔に似合わず歌の上手い奴で、鼻歌に歌詞を付けた程度にしか歌っていないのに助手の何人かはその美しいテノールに聴き入ってしまう程だった。
 そのミュージカルは、ルークリシャが中学生の時にエドガー・ラザフォードが主演で映画化され、ウィリアムズでも一世を風靡した。確か彼女も見に行った。
(誰と行ったんだっけ…)
 両親とではなかった。誰かに誘われて二人で行ったのだ。その後相手の家に泊まった覚えもあるのに、誰なのか思い出せない。昔の恋人? いいや、ルークリシャは今まで一度も誰かと付き合った事等無い。それに中学生の娘が男の家に外泊する等、両親が許すだろうか?
「上書きが可能って事から解除に持っていけないかな?」
 ヴィクトーはふと歌うのを止め、向かいに座って彼の歌を聴いていたフェリックスに問う。ヴィクトーが言っているのは、つい先程まで研究していたラザフォードの歌の話だ。
「うーん、不可能じゃ無いけど、そうすると歌本体の魔法を使わざるを得ないね。でも歌の方の魔法構造は知られたくないんだろ?」
「歌の魔法構造イコール歌の歌い方だからな。歌とは関係無く独立した解除魔法を組み立てないとまた悪用されるって事か」
「そうだね」
 そういえばルークリシャが勉強をしている午前中、彼等が研究している不思議な音楽は一体何なのだろう。時々ヴィクトーが研究の為に歌う旋律に、彼女は聞き覚えがあった。
 もやもやとあれこれ考えながら研究を再開する。終業の直前、彼女はやっと思い出した。
(あの人だ!)
 その日の帰り、ルークリシャはフェリックスに帰りが遅くなるか、外泊するかもしれない旨を伝えると、既に研究所を出たヴィクトーの後を追った。
「待って!」
 ルークリシャは走りながら細い背中に叫んだ。研究所は少し高台にあり、ヴィクトーやフェリックスの家はそこより低い所にあるので、自然、スピードが上がる。呼ばれて反射的に立ち止まったヴィクトーに、ルークリシャは止まり切れずぶつかった。
「…何?」
 押し返されながらヴィクトーに睨まれ、ルークリシャは少し怯んだが、今しがた思い出した事を彼に伝えてみる。
「昔、一緒に映画に行きましたよね?」
 ヴィクトーは眉根を寄せるとポケットに手を入れて歩き始めた。ルークリシャは後を付いて行く。
「それ以外にも何度か会った事ありますよね? それに、この前私貴方の部屋に居た」
 ヴィクトーは無言だ。彼の家の前までしつこく付いて行くと、漸く口を開く。
「だったら何だっていうの?」
 この質問に、ルークリシャはずっと抱えていた疑問をぶつけた。
「貴方は一体誰?」
 ルークリシャは無意識に彼の左手を掴んでいた。ヴィクトーも動く四本の指で彼女の手を握り返す。
「私の何なの!? ねえ教えて!」
「どうしてそんな事知りたいの?」
 ヴィクトーは諦めの色を瞳に浮かべながら問うた。ルークリシャは初め、どう答えるべきか解らなかった。だが、直ぐに自分の想いを表すのにピッタリな言葉を見付ける。
「貴方が好きだからです…」
 ヴィクトーはルークリシャが全て言い終える前に、彼女の目の前に右手を翳した。ルークリシャが彼の意図を理解する前に、彼女の意識は真っ白な世界に放り出されていた。

「ルークリシャ」
 中学の校門の前で兄が待っていた。今日は休みなのだろうか、襟元の大きく開いたシャツに擦り切れたジーンズというラフな出で立ちである。
「誰あれー? ティアの彼氏?」
 一緒に帰ろうとしていた友人が冷やかす。ルークリシャは笑って否定した。
「お兄様っ」
 友人達と共に駆け寄ると、ヴィクトーは塀に凭れていた体を起こした。
「この後どっか遊びに行くんか?」
「ううん、帰るだけだよ」
 人目を引く風貌のヴィクトーに色めき立つ友人達と別れ、ルークリシャは兄と彼の自宅に向かう…かと思いきや、ヴィクトーは彼女を街の方に連れて行った。
「明日から夏休みだろ? 何か予定入ってる?」
「来週友達と遊びに行くー。それ以外は今の所ナシ」
「そうか」
 言ってヴィクトーが入ったのは、映画館のチケット売場だった。前売り券販売のカウンターに並び、ヴィクトーは再度確認する。
「誕生日は空いてるんだな?」
「空いてるよ」
 ドキドキしながらルークリシャが見詰める前で、ヴィクトーは彼女が見たがっていた映画のチケットを二枚購入した。エドガー・ラザフォード主演の、ミュージカルの映画化版。八月十日、ルークリシャの誕生日の昼上映分だ。
「ありがとうお兄様!」
「解ったから早よ仕舞え。無くすなよ」
 チケットを手にはしゃぐルークリシャを連れてヴィクトーは北を目指した。
「でもお兄様が映画見るとか意外!」
「そうか? 俺、エドガー・ラザフォードの芝居、二回も生で見たぞ」
「えーいついつー?」
 ルークリシャの知る限り、エドガーがウィリアムズに来た事は無い。ヴィクトーはいつ何処で彼の演技を見たのだろうか。
 ヴィクトーは口の端を吊り上げる。
「内緒」
 教えてもらえず不満を漏らす妹を自宅に招き、長期休暇の課題を少し手伝ってやった。今日のヴィクトーは機嫌が良かった。このまま泊まりたいと言う彼女を、そろそろ兄離れさせなくてはと思いつつ、彼女の両親に許可を得て泊まらせる事にする。
 昼間はしゃぎ過ぎて疲れたのか、今日は大人しく早々に眠った妹の横顔を眺めながら、ヴィクトーは己の運命を呪った。ルークリシャを泊めるといつも獲物をハイエナに横取りされたライオンの気分になる。
 彼女に対する思いが男女の情に変わったのはいつの事だろうか。十四年前、彼女が生まれた時は、こんなに可愛らしい生き物は生まれて初めて見た、とルークリシャを抱かせてもらいながら思ったものだ。だがそれは、実の弟が赤ん坊だった時の事は自分が幼くてあまり覚えていない為、実質初めて目にした赤子に父性本能を呼び起こされただけに過ぎなかった筈だ。
 そして彼女はいつ自分が実の兄ではないと気付いたのだろう。ルークリシャが単なる家族愛で自分を慕っている訳では無い事は知っていた。ルークリシャは時々あからさまに性欲を態度や行動で示す。中学生の癖にこれでは少々先が思いやられるのだが、その欲望の矛先が彼女と同じく愛も知らずに快感だけを求める愚かな男ではないだけ幸いではあった。
 果たして、とヴィクトーは思い直す。ルークリシャは本当に愛を知らないだろうか。自分は愛をいつの間に知ったのだろうか。
 ヴィクトーはベッドの横に跪いてルークリシャの耳元に囁いた。
「愛してる」
 愛等知らない。だがこれだけは断言出来た。
 それでもこの事を彼女に面と向かって言う事は許されなかった。ヴィクトーはエリオットの気に食わない事はしたくなかったし、何より法律という不動の壁が二人の間に横たわっていた。法律は世界を秩序という名の城壁で混沌という悪から守る為にあるのだ。血と金と欲が渦巻く混沌の中で育ったヴィクトーは、秩序がどれ程ありがたい物かを身を以て知っていた。
 ヴィクトーは彼女から顔を放すと、自分は床に敷いたマットの上に寝転がった。
 ややあってルークリシャがその目を開いた。ベッドの端に移動し、下で眠るヴィクトーの月明かりに照らされた顔を眺める。彼が近付いて来た気配で浅い眠りから目覚めていた彼女に、先程の兄の胸の内の吐露はしっかりと聴こえていた。
 ルークリシャは体を起こし、口を手で押さえた。信じられなかった。いつも、纏わり付く自分を疎ましがる兄が自分を想ってくれているとは。
「どうした?」
 気配を感じたのかヴィクトーが眠そうに尋ねる。ルークリシャは何でも無い振りをして再び横になった。
「あのね」
 だがこのまま眠るには胸が一杯過ぎた。少しでも軽くしようと、腕を伸ばして兄の手を取りながら言う。ヴィクトーは上から伸びるルークリシャの手を玩具にしながら続きを促した。
「お兄様大好き」