Cosmos and Chaos
Eyecatch

第3章:暗闇の中で

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「ジュリアス、ルイーズ、どっちでも良いからパパの事適当に起こしてね。ママは買い物に行ってくるから」
 どちらでもいいからやってくれ。双子にとってこれ程厄介な指示は無かった。どちらか一方を名指ししてくれれば良いのに、「どちらでも」と言われたら、双子の間の暗黙のルール、「いつでも何でも平等に」という観点から、結局二人で行かなくてはならないからだ。
「今日はどっちがパパの上で跳ぶ?」
 兄のジュリアスが黒くて丸い目を妹に向けて問うた。
「そろそろ止めた方が良いって。パパその内肋骨折っちゃうよ」
 ルイーズの賢明な判断に従い、二人は寝室で眠る父を叩いて起こす事にした。
「パパー九時だよー」
「ママ買い物に行っちゃうよー」
 後者の言葉にフェリックスは眠気を一瞬で吹き飛ばし、目をパッチリと開けて上体を起こした。
 しかし、彼の視界は真っ暗闇のままだった。
「早く早く」
 二人は母親が出掛ける時は必ず、父親がその頬にキスをする習慣を知っていた。この夫婦は子供にもからかわれるくらい仲が良かった。
 二人の子供がフェリックスの両腕を掴み、階下へと誘導する。その間もずっと、フェリックスには黒い色しか見えなかった。
 フェリックスが視力を失ったのは、二年前、久し振りに乾燥による飢餓が起こり、それに追随して新型の伝染病が流行した時だった。エスティーズの医師免許を持っているフェリックスが、急遽設置された国の対策医師会に呼ばれたのは当然だろう。彼は周囲の期待通りの仕事をした。しかし、彼がワクチンの実用段階まで漕ぎ付けた時…既に病魔は彼に取り憑いていた。
 発症後の生存率が極めて低かったその病気に罹って、失明程度で済んだのは不幸中の幸いと考えるべきだろうが、彼の医師生命は僅か十年で断たれてしまった。結果的に多くの命を救い、その功績による報酬で生活に困る事は無いものの、元々貧弱だった視力でもあるのと無いのとでは天国と地獄程の差があった。仕事は出来ない、読書も出来ない。暗闇の生活に慣れるまで、彼は家に閉じ篭って、家族とラジオと趣味の園芸だけを楽しみにして生きるしかなかった。
「いってらっしゃい」
 いつもの様に妻を送り出し、玄関の鍵を手探りで閉めて振り返った時だった。
「ルイーズ、髪の毛撥ねてるよ」
 そう言って彼は娘の短く切った黒髪を撫で付けた。此処でその場に居た三人が違和感に「はて?」と首を傾げる。
 どうしてフェリックスはルイーズの髪の毛が撥ねていると判ったのだ?
「わっわっ、ママー!」
 ジュリアスが玄関を飛び出して母親を呼び止めに行く様子は、フェリックスには見えなかった。
(何だ今のは…?)
 しかし、確かにさっき、彼には寝癖の付いた娘の頭がはっきりと脳に浮かび上がったのである。
「何事!?」
 ジュリアスに腕を引かれ、何が何だか解らない様子のブルーナが夫に尋ねた。フェリックスはブルーナの方を振り向かずに言う。
「今からコリンズへ行く。付いて来て」
 フェリックスは身支度をする為に手探りと普段の感覚を頼りに歩き出す。すぐにブルーナが彼の脇を支え、誘導しながら理由を問う。
「一体何があったのよ」
「一瞬だけど物が見えた」
 顔を洗い、ブルーナに髭を剃ってもらいながら答える。
「確かティムが明らかに魔法の域を越える透視能力を持ってただろ?」
 それに加えて、フェリックスは彼に初めて会った時に感じた違和感や、ブルーナにすら秘密にしている自分自身の超能力について考えていた。
「ティムなら何か解るかもしれない。コリンズまでなら日帰りで行って帰って来れるし」
 ティムが計画の為に掘ったトンネルは整備、拡張され、今は定期的に、そして安全に馬車が二国間を往復していた。フェリックスもブルーナも車や馬車を自分で走らせる事は出来ないが、それに乗って行けば良い。
「長引いても明日は祝日で君も休みだろ?」
 今日は九月四日。明日は十五年前、国が王政を止めた記念日である。
「子供達はどうするの?」
 場所を夫婦の部屋に移動し、フェリックスのネクタイを締めながらブルーナが問うた。
「とりあえず実家で預かってもらおう」

 朝食も食べずにフェリックスは家を出た。双子を実家に預けると、貸し馬車で北門を目指す。
「あれ?」
 ヴィクトーはルークリシャをエリオットの家に送り届ける途中、黒い日除けのマントを着たフェリックスと、彼を支えながら馬車から降りて来るブルーナを見た。ルークリシャも昔の担任の姿に声を上げる。
「久し振り。夫婦でお出かけ?」
「あっ、先生だ!」
「ヴィクトーか?」
 フェリックスが声の方向に顔を向けて尋ねる。隣でブルーナが肯定した。
「何お前、目ェ見えねーの?」
 フェリックスの開き切った瞳孔にヴィクトーが面食らう。フェリックスが先の伝染病で生死の淵を彷徨ったとは風の噂で聞いていたが、失明したとまでは知らなかった。伝染病患者は隔離されていたから入院中は見舞いに行かなかったし、退院したらすっかり元気になったと思うではないか。
「御覧の通りだ」
「…そりゃ、お気の毒に」
 本当は「どうして教えてくれなかったんだ」と怒鳴り付けそうだった。しかし、特にフェリックス本人と仲が良かった訳ではない。そんな事を言う資格は無いだろう。
 なのに何故かヴィクトーは後悔していた。自分でも何に後悔しているのか判らなかった。
「ティムに会いに行く。あんたも来るか?」
 ヴィクトーが唇を噛んで悔しがる表情が見えないので、フェリックスはごく普通の調子で言った。
「行く」
 ヴィクトーは何も考えずに答えていた。そしてやる事を思い出して慌てて付け加える。
「妹を家に送ってからで良いか? 待たせるお詫びに車出してやるよ」