Cosmos and Chaos
Eyecatch

第4章:父親

  • R15+
  • 2663字

「パパただいまー」
「お帰りー」
 エリオットの家では彼が一人で新聞を読んでいた。左手で細かい動作や薄い物、小さい物を掴む事が出来ないので、新聞を机の上に大きく広げ、コーヒーカップがテーブルの反対側にあった。
「エリオット車貸して。ブルーナとフェリックスがコリンズに行くから俺も行ってくる」
「そうか。ちょっと待て、鍵を何処へやったかな…」
 エリオットが車のキーを探している間、テイラー夫妻は彼の家の前の日陰で待っていた。そこにひょこっとルークリシャが顔を出す。
「あの、いつまで行くんですか?」
「早ければ日帰り。遅くとも明日の夜には帰ってくるよ」
 先生に寄り添って立っている、優しげな盲目の男性が答えてくれた。
「そうですか。ありがとうございます」
 ルークリシャは次に車庫へ向かった。父親はまだ車の鍵を探している様だが、ヴィクトーは車庫のシャッターを開けて準備をしていた。
「お兄様ぁ♥」
(何か嫌な予感がするぞ)
 そしてそれは的中する。
「私も連れて行って」
「駄、目。」
 即答したのにルークリシャは諦めない。
「連れてってよー! 国の外見たーい外国見たーい!」
 ヴィクトーは抱きつく妹の腕から逃れようともがきながら溜息を吐く。国の外に出ないまま一生を終える事が多いウィリアムズ国民が、機会を得て外に出たがる気持ちは解る。
 しかし、彼等は車で移動するのだ。コリンズへの地下トンネルは換気が悪いので、排気ガスを出す車の通行は禁止されている。トンネルを馬車で行くより森を車で抜ける方が速いが、その安全性には雲泥の差があるのだ。昼間の数時間の内に襲われる確率は低いが、万が一の事があったら…。

「何と言っても駄目~」
「じゃあキスしてくれたら諦める!」
 ヴィクトーは背中に引っ付いていたルークリシャを体の前に持ってくると、その頬に口付けた。ルークリシャはその対応に憤慨する。
「ほっぺじゃなくて口に!」
(このマセガキめ…)
 ヴィクトーは一瞬どうすべきか悩んだが、連れて行って一日二日面倒な目に遭うよりも、今満足させて向こうでは身軽に行動出来る様にしておく方が得だと判断した。
 ヴィクトーが自分を掴まえる手に力を込めたので、ルークリシャは体を固くした。まさか本当にキスしてくれるとは思っていなかったので、心の準備が出来ていなかったのだ。
(えっ、ちょっ…)
 怖じ気付いて抵抗しようと思った時には、彼は彼女の首元を支えて上を向かせていた。近付いてくる顔に思わず目をつぶる。
「何やってんの?」
 丁度その時、鍵を見付けた父が車庫に現れた。状況的に、ヴィクトーが無理矢理ルークリシャを襲っている様にしか見えない。エリオットの親バカフィルターを通して見ると、例え世界中が否定しても、悪者はヴィクトーの方である。
「お宅のお嬢さんが『キスしないとコリンズに付いて行く』って脅すんですよ」
 ヴィクトーが他人行儀に真実を述べた。が、親バカモード全開のエリオットに殴り飛ばされただけだった。
「いってえな! 本気で殴る事無いだろ!」
「そっちは本気でルークリシャに手を出そうとしてただろ!」
「…なんか揉めてるわね…」
 内容は聞き取れないが二人の言い合う声は玄関先に居る夫妻にも丸聞こえだ。呆れるブルーナの隣で、フェリックスはクスクスと笑っていた。
「だからこいつが駄々こねるから!」
 ヴィクトーは殴られた頬を摩りながらルークリシャを示す。エリオットも少し頭が冷えてきた。元より娘が(自分よりも)ヴィクトーを慕っているのは承知だし、そこら辺の訳の解らぬ虫に娘を取られるよりはヴィクトーに取られる方がずっと安心だとは思うのだが、父親としてはまだ渡したくなかったのだ。
「ティアちゃん本気なの?」
 父親の問いを勘違いしたルークリシャはいつもの調子で答える。
「私はいつも本気でお兄様の事が好きよ!」
「そうじゃなくて、本気で行きたいの?」
「ちょ、連れて行かせる気かよ? 甘いなー」
 ヴィクトーがエリオットの手からキーを取って車に乗り込む。エリオットは本当にルークリシャに弱い。手負いの獅子状態の自分を更正させた経験があるにも係わらず、彼はこの少女一人を黙らせる事すら出来ないのだ。
「外国を見るのは良い経験になるよ。但し、絶対ヴィクトーの側を離れない事。国の外は危ないからね」
 エリオットはたった二回だけ、外国へ行った時の事を思い出していた。マイルズの、ウィリアムズとは大きく違う生活様式や文化に触れて、彼はとても自分の知見が広がったと感じた。彼女が行きたいと言うのなら行かせてやりたい。きっと娘も何かを得て帰って来てくれるだろう。
「長引くと向こうで一泊かもよ? フェリックスの奴、ティムにアポ取って無いらしいから」
「良いよそれでも」
 エリオットは娘に準備して来るよう言い付け、彼女は急いで自宅へと戻る。
「エリオットはどう思ってる訳?」
 エリオットが自分達の関係に賛成なのか反対なのか解らなくなったヴィクトーはエンジンを吹かしながら尋ねた。エリオットは目を伏せて溜息を吐く。
「もう子供じゃないんだから、一々俺の許可を得るなよ」
 運転席のメーターを何となく見ていたヴィクトーがハッとして顔を上げる。
「エリオット…」
「じゃ、くれぐれも気を付けてな」
 ルークリシャが鞄を持って戻って来ると、父の姿は無く、ヴィクトーが車のハンドルに突っ伏していた。
「…どうしたの?」
「何でもねーよ」
 ヴィクトーは顔を上げると車を発進させた。家の前の二人を拾い、一旦彼の自宅を目指す。
「手ぶらだから一旦家戻って良いか? めっちゃ普段着だし」
「気にせずどうぞ。急いでないし、俺達も丸腰だからあんたの武器を当てにしてるんだ」
 ヴィクトーの家はエリオットの家のすぐ近くだから、助手席のフェリックスとそんな会話をしている内に着いた。ヴィクトーは一人で家に入り、着替えて武器や泊まる為の準備をする。
『一々俺の許可を得るなよ』
 ヴィクトーにはエリオットの言葉は実質的に勘当宣告の様に聞こえた。エリオットに捨てられた気がした。血の繋がりという制約が無い家族が、目上の者に意見を伺うという行動を止めたら、一体そこに何が残るのだろう。自由に動き回る二人の大人は、赤の他人では無いのだろうか。
 ヴィクトーは姿見の前で、対になった二本の刀を腰に提げながら口を歪めて笑った。この刀はスーツに最高に似合わない。
(エリオットに嫌われるよりは、ルークリシャを諦めるつもりだったのか…?)
 このままエリオットに引っ付いていたって、何も生み出せやしないだろうに。