Cosmos and Chaos
Eyecatch

第8章:愛を知る者

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  • 3273字

 言った後でルークリシャは後悔していた。
(誘わなきゃ良かった…)
 一緒に風呂に入ろうと言い出したのは彼女だった。別にこれが初めてではない。小さい時に何度か入れてもらった事がある。だが、それも十年も前の話だ。
 服をなかなか脱げないでいるルークリシャを見て、ヴィクトーは脱いだシャツを羽織ってバスルームを出ようとした。
「一人で入れよ。決心着くまで待っててやるから」
「まっ、待って!」
 咄嗟に引き留めてしまった。もう後には退けない。
 ルークリシャが羞恥で動けなくなっている一方、ヴィクトーは平然とした顔でまた服を脱ぎ始める。細い体に刻まれた手術痕が露わになった。
「痛そう」
「お前それ毎回言うな。もう痛くねーよ」
 言いながら彼はルークリシャのワンピースを、幼児の着替えを手伝っているかの様に脱がせる。
(もしかして女扱いされてない…?)
 そう思うとさっきまでの羞恥心は消えた。昔の様に二人で浴室に入り、此処もまた綺麗な事にルークリシャははしゃぐ。
 ヴィクトーはその様子を見ない様にしてバスタブに湯を張り始めた。彼女が中学を卒業するまでは死んでも彼女を抱かないつもりだったが、やはり理性の壁が崩れかけている。何故一緒に入っても良い等と承諾してしまったんだ自分。少し自分を過信していた様だ。
(駄目だ駄目だ! 今抱いたら普通に犯罪だし!)
 法律とエリオットの事を思い浮かべてなんとか思い止まる。
 それに結局、彼は単に生殖本能でルークリシャを抱きたいだけで、ルークリシャは単に興味本位でヴィクトーを試しているだけだとヴィクトーは良く理解していた。心の支えとして彼女を求める事とこれとは別問題であり、彼女の為を思うなら、どうすべきかは解りきっている。
「…教えて」
 長く浸かっていても上せない様にわざと温くした湯の中で向かい合っていると、躊躇いがちにルークリシャが言った。何の事かは聞かずとも解った。
「俺は母親の顔を知らない」
 話し始めるとルークリシャは向きを変え、ヴィクトーの脚の間に収まった。ヴィクトーは彼女を抱き抱える様に腕を回し、彼女の肩に顎を乗せる。昔は良くこうやって絵本を読んでやったものだ。
「物心付いた時には居なかった。代わりに親父には若い後妻が居た。それがエドの母親で…」
 ヴィクトーは総てを語った。彼の生い立ち、二十年前のあの事件、ウィリアムズの歴史、ラザフォードの歌…そして、十五年前に彼が犯した、最初で最後の殺人。
 ルークリシャは最後の最後に涙が溢れてきた。ヴィクトーがそれに気付いて、彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「子供の聞く話じゃ無いわな。もっと大きくなってから言うべきだった」
「ううん。話してくれてありがと」
 それでもまだ震えている彼女のうなじを見ながらヴィクトーは問う。
「俺の事怖い?」
 何と言っても元盗賊で殺人鬼である。彼女が怯えて離れていくのも仕方が無い様に思えた。ルークリシャが答えなかったので、二人は風呂から上がって寝室へと移動する。
 ヴィクトーは寝る前に日課のストレッチと軽い筋トレ、そして刀の手入れを始めた。ルークリシャはベッドに座ってその輝く刀身を見詰める。あれには彼の叔父の血が染み込んでいる。今まで無邪気に触ったりしていたが、急にぞっとした。
 そしてその刀を大事そうに磨き上げ、光に翳して眺める恋人の横顔を見た。
 怖くなど無かった。
 ルークリシャは寝転がって布団に潜った。暫くすると刀が鞘に戻される音、鞘ごとケースに仕舞われる音がした。部屋の明かりが消され、枕元の小さい照明を頼りにヴィクトーが布団に入って来る。
「怖くないよ」
 自分に背を向けて眠る体勢に入っていたヴィクトーに言った。ルークリシャがもう寝たのだと思っていたヴィクトーは驚いて頭を上げ、こちらを見る。
 彼の視線が自分から逸れる方が怖かった。
 ヴィクトーは体を起こすと向きを変え、ルークリシャの両横に腕を突いて彼女を見詰めた。黒い宝石が彼を不思議な輝きで見返す。いつもの様に小さな薄い手が寝巻の中に入って来てヴィクトーの傷を撫でた。
「ルークリシャ」
 だが今日はヴィクトーのほっそりとした手も、他者の鼓動を求めて這い始めた。
「今から起こる事はパパには絶対内緒だ。他の人にも」
 ルークリシャが頷いたのを確認して、彼は枕元の明かりを消した。手で彼女の頬を確かめながら、口付ける。母の愛に飢えていた獣は、今夜漸く還るべき場所を手に入れた。

 ヴィクトーは早朝に目を覚ました。毎朝ランニングをする習慣があるから癖で目覚めてしまったのだ。ルークリシャを起こさない様にベッドから抜け出し、シャワーを浴びてスーツに着替える。姿見を見ながらヴィクトーは笑った。自分より礼服が似合わない人間が居たら連れて来てくれ。
 暇なので外をブラブラしようかと考える。部屋を出た所でエドに会った。
「早起きだな」
「毎朝発声練習してるから」
 二人は城を出て公園へと向かった。池に向かってエドが歌うのを聞きながら、ヴィクトーはベンチに座って朝日を目を細めて眺めていた。
「避妊はちゃんとしたの?」
 歌い終わったエドが池の柵に体を預けて尋ねた。ヴィクトーは口をへの字にする。
「朝っぱらからその話かよ…他にネタ無いのか?」
「あるけどこの話はあの子が居ない所じゃないと出来ないし、兄さんのリアクションが面白い」
 エドはニヤニヤする。ヴィクトーは恥ずかしがっている事をなるべく悟られない様に長い前髪を弄る振りをして顔を隠した。
「避妊具は常に持ち歩いてる」
「準備がよろしい事で」
「つか大きなお世話だし」
 エドは苦笑した。
「いやね、あんな小さいのに妊娠しちゃったら可哀相だなと思って」
 エドガーは自分の母親を思い出した。彼女は十五歳で彼を産み育てる人生に縛り付けられた。妊娠したのがルークリシャと同じ歳…十四歳と言えば、自分が兄と再会した歳だ。当時の自分はと言えば、周りから子供扱いされ、自身もまだまだ大人には程遠いと自覚していた。親になる事等まだまだ遠い未来の事だと思っていたし、現に三十近くなった今もエドは子供を持っていない。
「常に持ち歩いてるって、兄さんモテるの?」
「人並みなんじゃないか? 何で持ってるかって言うと、あの痴女にいつ襲われるか解ったもんじゃないからな」
(今回は兄さんが襲ったんじゃないのかな?)
 エドの意味ありげな視線を直接受け止めない様にヴィクトーは目を反らしながら言う。
「お前こそ引く手数多だろ」
「相手がパパラッチに怯えてなかなか結婚まで辿り着けないけどね」
「女優か?」
「今は誰とも付き合ってない」
 ヴィクトーのエドの記憶は、幼い頃に自分を遠くから見詰めていた赤い目と、無邪気に兄の見舞いに来る姿が殆どを占めている。そんな彼が今やヴィクトーよりも恋愛経験が豊富そうなので、兄は少し複雑な気分になった。
「…聞こえてたのか?」
「ベッドが壁挟んですぐ隣だったみたいでね」
 ヴィクトーは自分で自分の髪をわしゃわしゃさせた。
「口外しないでくれるか?」
「勿論。ウィリアムズの法律に引っ掛かるんでしょ?」
「まあな。うちでは義務教育中のガキに手ェ出したら非親告罪なんだ。被害届があろうと無かろうと裁かれる」
 ヴィクトーは溜息を吐いた。後悔していた。抱かなければ良かったと。それは決して法律を犯したという罪の意識だけが理由では無かった。
 一度解けたパズルを再度解くのは容易であるし、一度薬物中毒になれば抜け出すのは至難である。これから自分は彼女をもっと求めていくだろう。彼女無しでは生きていけない程に。
「外傷を負えば死ぬ事が判ってるだけ救いだ」
 兄の言葉にエドが苦笑した。
「何十年後の話だよ?」
「さあな。明日かもしれないし七十年後かもしれない。とりあえずフェリックスとの約束があるし、例の怪我で大分懲りてるから、よっぽどじゃないと死なねえ。安心しろ」
 ヴィクトーは戻るか、と立ち上がると、城に向かって歩き始めた。エドは暫く池の水面を眺めていたが、兄が少し先で彼を待っているのに気付くと、駆け足で兄の元へ急いだ。