Cosmos and Chaos
Eyecatch

第9章:戦場

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「もう帰るのか。まあ仕方が無いな、私も仕事があるし」
 朝食の席でティムが淋しがった。フェリックスが慰める。
「また機会があれば会いに来るよ。ところで外務省だっけ? どんな仕事をしてるんだ?」
「まだ内密にしておいて貰いたいが、ウィリアムズ国とコリンズ国の合併吸収を今進めてる。コリンズを自治区にして…」
 大人達が小難しい政治の話ばかりし始めたので、ルークリシャはせっせと朝食を口に運びながら隣に座る兄を見た。ヴィクトーは何か憂いている様だった。もしかしたら昨夜の自分の所為かと思い、ルークリシャは視線を皿に戻した。
 ヴィクトーにとって自分は初めての恋人では無いだろう。こんな子供よりそこら辺の同世代の女性との結婚を考えた方が良いと彼に思わせる結果となったのかもしれない。
「五人乗れるか?」
 朝食後、ウィリアムズへ向かう一行はエリオットの四人乗りの車の前で考えていた。ティムとドロシーは公務の為に食事を済ませると別れを告げ、見送りには来なかった。
「俺達が馬車使うよ」
 有り難い事にフェリックスが申し出てくれたので、ヴィクトーとルークリシャ、そしてエドは礼を言って車に乗り込んだ。
「帰ったら学校の宿題しろよ。終わってないだろ?」
「お兄様が教えてくれたらやる♥」
「阿呆。俺は今日の十時から仕事の予定だったんだよ。昼から行けそうなら行く」
「休むって言ってあるんでしょー?」
「トレイシーの休日を犠牲にしてんだ、もうちょっと考えろ」
 二人の会話を後部座席で聞くエドは笑いを堪えながら窓に映る自分の顔を見ていた。しかし、異常に気付くと兄を呼ぶ。
「兄さん!」
 ヴィクトーも気付いたのか、車を止めて運転席横の収納から、エリオットが常備しているリボルバーを取り出して外を警戒する。急な事に怯えるルークリシャに座席の下に隠れる様指示し、森の中を見詰める。エドも懐に隠していたピストルを握った。
 小さくだが、前方から女の声が聞こえてきた。歌っている。
「兄さん…」
 エドは兄の出方を見守った。二人に見詰められる中、ヴィクトーが息を吸い込む。女の声は近付いて来ていた。頭痛が始まった時点で彼も歌い始める。
 ルークリシャはその異様な光景に目を見張った。頭を締め付ける様な女の歌声を掻き消す様に、エドに引けを取らない程の美しく良く通る声で同じ旋律をヴィクトーが歌う。美しき戦場。そんな言葉がお似合いだと彼女は思った。
 埒が明かないと思ったのか、ヴィクトーは歌いながら車を出た。その後直ぐに、四十代半ばの暗い銀髪の女が茂みから姿を現した。二人とも互いの顔を見て、歌うのを止める。
「これはこれは」
 女が刀に手をかけながら言った。
「裏切り者ネスターのガキじゃないか」
「ジョアンナ大伯母さん」
 カール大伯父の若い妻を前に、ヴィクトーの銃を握る手が汗で湿った。カールの一派は集団行動が原則だ、この近くにラザフォードが複数潜んでいる可能性が高い。
 手が震えない様、銃を取り落とさない様に気を付けながら、平静を装って尋ねる。
「お一人ですか?」
「そんな事どうでも良いだろう」
 ジョアンナは刀を抜き、間合いを詰めてヴィクトーの喉元にそれを添えた。ヴィクトーは相手を刺激しない様、抵抗しないでいる。下手に暴れて相手に仲間を呼ばれたら敵わない。
 隠れていたルークリシャは外の様子が気になって窓から覗き見た。エドが止める様に視線を送ったが、恋人が刀を突き付けられているのを見た彼女はその場に釘付けになった。
「私達の可愛いマーカスが帰って来ないんだよ」
 ジョアンナが舐め回す様な視線でヴィクトーの瞳の色を窺う。
「何処へやったこの裏切り者!」
 脅す様に彼女はヴィクトーの首を少しだけ切った。ヴィクトーは駄目元で持ち掛ける。
「何がお望みですか?」
 横目で車の方を見る。
「俺が死んだら良いんですか?」
「ああそうだね。皆で骨の髄まで食ってやるよ」
「では俺の連れは見逃して下さい」
 ジョアンナが声を上げて笑った。
「盗賊に交換条件を持ち掛けるんじゃないよ。それとも塀の中でぬくぬくと育ってる間に馬鹿な規則に洗脳されたか?」
 ヴィクトーはどうやってルークリシャを無事に逃がすかしか考えていなかった。
「では他に何をすれば?」
 シャツが流れた血で濡れて気持ち悪い。だが構ってはいられなかった。
「そうだね…」
 ジョアンナは車の中に二人残っている事、そしてその内の片方がエドガーだという事に気付いていた。
「あの二人の内のどっちかを此処で殺しな。銃じゃない、その刀でだ」
 ヴィクトーは血の気が引いた。その条件を拒否する前に、ジョアンナが魔法で車の扉を開け、二人を地面に引っ張り出した。
「そうしたらもう片方は逃がしてやるよ。どっちを殺す?」
(どっちにしろ残った方も後で殺すなり売るなりするんだろ…)
 ヴィクトーは心の中で悪態を吐きながら、魔法で地面に縛り付けられた二人の方へ歩み寄った。

 ルークリシャは恐怖に、既に魔法で固められている体を更に硬くした。ヴィクトーが刀を抜いて近付いて来たのは自分だった。
(え……や…)
 ヴィクトーが刀を持っていない左手で彼女を立ち上がらせ、腰を抱えて抱き合う様な姿勢を取らせる。ジョアンナは抵抗させた方が面白いかと考え、ルークリシャの魔法を解いた。体が動く様になった彼女は半狂乱でヴィクトーから離れようとしたが、ヴィクトーの力が強すぎて、結局しっかりと抱き抱えられてしまう。
 ヴィクトーの体にルークリシャの体がぴったりと押し付けられているので、彼女は恋人の顔を確かめられなかった。ヴィクトーが自分を殺す筈が無いと信じたかった。だが彼女の頭はその思いを拒絶していた。
 殺されたくない。再度逃げようと試みたが、ヴィクトーがルークリシャの脇腹に刀の切先を当てたので、彼女は最早びくりとも動けなくなった。大人しくなった彼女に、ヴィクトーは何事かを小さく囁いた。
 ヴィクトーの左後方からジョアンナと、地面に横たわったままのエドガーが、それぞれ面白そうに、心配そうに見守った。
(兄さんが彼女を傷付ける筈が無い…)
 エドはそう信じていたが、兄は右手に力を込めると刀を水平に滑らせた。ルークリシャの背中から血が迸り、刀を伝って地面へと落ちる。ルークリシャは力を無くしてヴィクトーの肩に顔を埋めた。
 エドガーは絶句した。魔法で喋れなくされているがそうでなくても言葉が出なかったに違いない。まさか本当に殺すなんて。それも、自分を助ける為に。
「ハハッ。お前は女より弟を取るのかい。それともそれは盗品だったのか?」
 心底可笑しそうにジョアンナが言った。ヴィクトーは悔しさと怒りを込めた口調で返す。先程までの[へりくだ]った態度は消え去っていた。
「気が済んだか? だったらさっさと俺を殺してエドを解放しろ」
 ジョアンナは彼の良い方にムッとして銃を抜いた。
「私に命令するんじゃないよ!」
「俺はマーカスの喉笛を裂いて殺したぞ」
 それを聞いてジョアンナは益々怒り、銃を放り投げるとヴィクトーに近付きながら左手に持ち替えていた刀を右手に構え直した。腕を伸ばしてヴィクトーの髪の毛を掴み、後ろに引いて彼を仰け反らせながら、纏わり付くルークリシャの髪の毛ごと彼の喉を掻き切ろうとした。
 その時銃声が轟いた。
 ジョアンナの刀が彼女の手を離れ、ヴィクトーの喉に浅い傷を付けながら滑り落ちる。エドは自分に掛かった魔法が解けるのを感じた。
「兄さん!」
「逃げるぞエド! 運転してくれ!」
 ヴィクトーは刀を引き抜き、ルークリシャを放す。自分の後ろで胸から血を流し、仰向けに倒れたジョアンナの喉を念の為切り裂いた。刀を振って血を払うと、鞘に戻して振り返る。
 手にリボルバーを握ったルークリシャが、背中が血で汚れているものの自分の足で立っていた。恐怖で見開かれた目でヴィクトーを見上げる。
 ヴィクトーは右手でリボルバーを取り戻すと腰のベルトに挿した。その手でルークリシャを車の後部座席に押し込み、自分もその隣に座る。
「俺を恨めルークリシャ」
「兄さん、車出すよ!」
「おう」
 ヴィクトーが答えると同時にエドはアクセルを全開にした。目が悪いが、道が何処にあるか位は判別出来る。それにヴィクトーが運転出来ない今、少々安全運転から程遠くても致し方無かった。一刻も早く逃げなければ。直にラザフォードの仲間が駆けつけて来るだろう。
 ヴィクトーは右手だけで上着とシャツを脱ぎ、血塗れの左手にシャツを巻き付けた。
 ヴィクトーはルークリシャの心臓を突く振りをして、実際は彼の掌を貫いたのだった。ジョアンナからルークリシャは見えないが、血に濡れた刀の切っ先が見える様な立ち方をして騙したのである。
「死んだ振りをしろ。あいつが近付いて来たらリボルバーを撃て。撃鉄は上がってる」
 そして彼はこうルークリシャに囁いた。正直一か八かだった。ジョアンナがルークリシャを刺さなかった事に気付くかもしれなかったし、ルークリシャがヴィクトーの腰に挿された銃を取り落とすかもしれなかった。彼女が手を動かせたのは、ジョアンナがヴィクトーの髪を掴んでからのほんの僅かな時間だけで、それも手探りで銃を握る必要があったのだ。
「ルークリシャ、お母さんが救急箱積んでたよな?」
 ヴィクトーの手から滴り落ちる血を眺めていた彼女は首を横に振った。
「あるけどトランク…」
「マジか~」
 傷が大きい為になかなか血が止まらない。ルークリシャはハンカチで、放置されているヴィクトーの首の傷を押さえた。こちらの傷はどちらも浅く、直ぐに血が止まったが、既にヴィクトーは貧血の症状を起こしていた。早く国へ帰って傷を縫わなければ危ない。
「あとどんくらい?」
「わかんないけどあと三十分は着かないと思うよ。頑張って兄さん」
 既に真っ赤に染まったシャツを見て、ルークリシャは涙ぐんだ。ヴィクトーが彼女を慰める。
「悪かったな」
 ヴィクトーは激しく後悔していたが、これ以外に方法があったとは思えなかった。やはり彼女を連れて来るべきではなかった。まずそれが最初の間違いだったのだ。
「人殺しなんかさせて」
 ルークリシャに銃を掴ませ、エリオットの願いを踏みにじった。これは全て自分の罪だ。罪は償わなければ。だがどうやって?
「お兄様?」
 ヴィクトーが目を伏せて黙ったので、ルークリシャは彼が意識を失ったのかと心配した。しかしヴィクトーは起きている事を示す為に血で汚れた右手を動かした。ルークリシャはその手を握る。
 ルークリシャはヴィクトーが思った程ショックを受けていなかった。自分は引き金を引いただけで、誰かを殺したという感覚は無かった。その事が逆に恐ろしかったが、此処は国の外。殺さなければ生き残れない弱肉強食の世界。そして誰も殺戮を咎めない無法地帯。
「兄さん生きてる?」
 後ろが静かになったのでエドが心配した。ヴィクトーは薄く笑って答える。
「ホローポイント弾に比べたら大した事ねえよ」
 慣れてきたのか、意識が朦朧としてきたのか、もうあまり痛みを感じなかった。出血は多いが、今回は呪いは掛かっていないし手術すれば止まるだろう。
 ただ、一つだけ嫌な予感がした。
 親指の先の感覚が無い。
(これはエリオットの二の舞か?)