第6章:初恋と計画

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 あの後学校に着いたブルーナは、既にフェリックスが自分の席でラジオを聞きながら勉強していた事に舌を巻いた。
「あ、ブックスさん、おはよう」
 フェリックスと口を聞くのは始業式以来初めてだ。
「おはよう。いつもこんな時間に来てるの?」
 とは言ってももう八時前か。随分時間を取られてしまったな。
「うん。弟がアスリート目指してて朝練するから、一緒に起きて付き合ってるんだ。まあ今日は朝起きたら既に居なかったんだけど」
「へえー」
 それでガタイが良いのか、と納得する。何の勉強をしているのかと(勉学のライバルとして)気になったので、彼の近くまで寄って覗いて見た。何か薬の様な、それでいて少し甘い匂いがする。
「薬草学?」
 フェリックスは教科書ではなく、字の大きな特別な専門書を読んでは何事かをノートに書き留めていた。
「うん。趣味で」
「へえー」
 さっきから「へえー」しか言っていない気がするが、元々口下手なブルーナにそこから話を発展させるスキルは無い。自分としても長話をするつもりは無かった。
「日焼け止めとか自分で作ったりしてる」
 ブルーナが続けないのでフェリックスの方が言った。なるほど、さっきから何か匂いがするなと思ったら日焼け止めの匂いか。
「日焼け止め塗るの?」
 ブルーナが尋ねるとフェリックスが驚いた顔をした。
「え、塗ってないの? それ肌に悪いよ」
「そうなの!?」
 今度はブルーナが驚く番だった。両手で顔を挟んでそれを表現する。今まで一度も日焼け止めなど塗った事が無い。色素が無いから日に焼ける事が無いのだ。
「日差しで病気になったりするらしいよ。日傘も差した方が良いと思うな」
 ブルーナは一応日傘は持っていたが、面倒なので学校に差して来る事は殆どなかった。今度からはちゃんと差して来ようと心に誓う。
「おっはよーんフェリックス君。今日も俺の事を置いてっちゃうなんて酷いじゃない…」
 か、と言って口を開けた状態で、教室に入ってきたボイスが固まった。それから素早く廊下へ出ると扉を閉める。
「ごめん、お邪魔だったね!」
 そして廊下をダッシュする音。そして何かに躓いて派手にこける音。
「気にしないで…変な奴なんだ…」
 フェリックスが笑いを必死で堪えながら言った。ブルーナの方は我慢が足りずに噴出した。
 それを見て、フェリックスはボイスを笑うのではなく、ブルーナに優しく微笑む。
(やばい…)
 ブルーナは笑いが治まると軽く挨拶して自分の席に戻った。
(これはやばい…)
 笑った所為ではなく、別の事が原因でブルーナの心臓は高鳴っていた。
(本気で好きになる…)
 さっき自分が笑った時にフェリックスが見せた表情が、同じ人間とは思えないくらい美しかったから。
 顔は瓜二つなのに、アレックスには出来ない表情をフェリックスは出来る。アレックスには無い眼の輝きを持っている。
(なんか良く解ってきた)
 彼が周囲を変えるとアレックスが言う理由が、ティムが彼を味方に付けたがる理由が。

 暫くするとボイスが戻って来た。扉をそっと開けて首だけ突っ込むとブルーナの方を見る。
「もうお取り込みでない?」
「取り込むも何も、日焼け止めの話をしてただけだから」
「なぁんだ」
 ボイスは教室に入ると今度はフェリックスの元へ駆け寄った。
「新学期早々新しい彼女を作ったのかと思った」
 フェリックスは呆れた溜息を吐いて言う。
「まるで俺が尻軽みたいに言うなよ」
 フェリックスはペンを置くと音楽番組を探してラジオのチャンネルを変えてみた。しかしどの局もニュース番組しかやっていない事が判ると、適当な局に合わせて手を止めた。
「だって事実じゃん。生まれてからこれまでに唇を奪った女性の数を数えてみぃほらほら」
 それを聞いて勉強していたブルーナは鉛筆の芯を折ってしまった。別の鉛筆を出しながら思う。
(テイラー君って女たらしなんだ…)
 あの美貌なら解らなくもないが、なんとなく、フェリックスは清純派だと思っていた。あの真っ白な姿に、何処も汚れていないと感じていた。
(いや別にキスとかが汚い訳じゃないけど)
 それでも、フェリックスがキスをした事があるという事実が胸を締め付けた。
「ええっとぉ…」
 しかもフェリックスがその人数を数え始める。
「一、二、三、えっと、ジェシカとはしたっけ…?」
「そこは覚えておいてやれよ。一応彼女だったんだろ」
 そこまで聴いた時点で居た堪れなくなったので、ブルーナはトイレに行く振りをして教室を出た。自分の中でどんどんフェリックスの像が崩れていく。もっとも、端から偏見で出来た理想像だったのだが。
 ブルーナは当てもなくブラブラと廊下を歩いていたが、教室の方へと向きを変えると少し早足で戻った。
(ヴィクトー、って言うんだっけあの人)
 教室の扉を開けると、まだ他の生徒は来ておらず、フェリックスとボイスがニュースを聞きながら雑談していた。
(あの人の言う通り、仲良くする事自体は別に悪くないわね)
 それに、計画が本当だとしたら、そして成功すれば、毎日人の目の気にしながら学校に来たりしなくても済むようになるのだ。ブルーナは決意を固め、自分の席へと戻った。
(私達の未来の為だもの。フェリックス・テイラーを敵にはしないわ)
 ブルーナは言われた通りにフェリックスと仲良くなる事にした。お近付きになるには、観察して趣味や好みを見付ける事が一番の近道である。
『…さて、本日はウィリアムズ国第一王子ティモシー殿下の十七歳のお誕生日です。ティモシー殿下は今年も御体調が優れない為式典には欠席なされますが、殿下からのお言葉を読み上げたいと思います…』
 ラジオのアナウンサーの声は、チラチラと後ろのフェリックス達を振り返りながら聴き耳を立てていたブルーナの耳にも届いた。
(ティモシー王子…)
「『ゴースト・ティム』は今年も式典欠席か。確か一回も無いよな、出席した事」
 ボイスがフェリックスの前の席の机に座って足をブラブラさせつつ言った。
「そうだね。病弱なんでしょ」
 フェリックスが興味無さげに相槌を打つ。
「実はそもそも存在しなかったりして」
 ボイスが真面目そうに言ったが、フェリックスは冗談、と笑い飛ばしただけだった。何も、そんな議論はボイスが始めた訳ではない。生まれてから一回も公の場に姿を現さないこの国の王子の事を、本当は居ないんじゃないか、死んでいるのではないかと言って、人々は『ゴースト・ティム』と呼んでいるのだ。
「だったら、次の国王はどうなるんだよ? 今の国王に兄弟はいないし、王子も一人っ子だぞ?」
 ウィリアムズ城の国王は代々世襲である。
「だから王子が居る振りをしてるんだよ! 跡継ぎが居ないとなったら王権を奪おうと民衆や兵隊達が躍起になるだろ?」
 ふむ、とフェリックスが考えた。
「あんたにしちゃ思慮深い見解じゃないか」
「最初の一言余計」
 二人は互いを見つめると、少しの沈黙の後に笑い合った。
(『ゴースト・ティム』…あのアルビノが本当に?)
 一方ブルーナは前の席で思案していた。勉強はさっきから一ページも進んでいない。
(でも実際王子は一度も姿を現した事が無いから…アルビノの可能性も在り得る…。でも、今朝のティムは元気そうだった)
 腕を掴まれた感触を思い出す。若い男性の強い力で、到底病弱だとは思えなかった。
(だとしたらどうして式典を欠席…)
 ブルーナはたった一つの結論にしか辿り付けなかった。
 それは恐らく、王子がアルビノだからだ。
 アルビノと言う事に何の意味があるのだろう。ただ単に色素が無い、それだけの病気じゃないのか。
 ブルーナは途端に気味が悪くなって、どうすれば良いのか判らないが、とにかく、ティムに逆らわない方が良い様な気がした。

 観察するだけの日々が一ヶ月も続いた。フェリックスと挨拶以上の事をする仲にはなかなかなれなかった。
 フェリックスはよく本屋に足を運んでいたので、自然、通学路で見かける事もあった。店で声を掛ける機会も沢山あった。それでもブルーナが声を掛けなかったのは、単にプライドの問題からだった。ティムがあれ以来何にも連絡を寄越さないので、初日に抱いた気味の悪さもだんだん忘れていたのだ。
 フェリックスは思っている以上に学問に精通していた。
 観察から解ったフェリックスの日常生活について語ろう。まず、彼は早朝に起きてアレックスの朝練に付き合う。具体的には格闘技の練習台やランニングのペースランナー等を務める。彼の頑強そうな肉体は此処で作られている。因みに、これはフェリックスとその友人の会話から明らかになった事で、ブルーナが彼の家まで行ってこの目で確かめるという様なストーカー紛いの事をした訳ではない事を彼女の名誉の為に付け加えておく。
 それから学校では、基本的に教室で勉強している。昼休み等には図書館に行く事もあるようだが、彼は本を借りるより買う方が好きらしく、何か借りて戻って来る事は少ない。休み時間には自分の本を広げ、読んではノートに何か書き、ページをめくっては考え込み、を繰り返す。
(あれだけ勉強してたらそりゃ賢いわ…)
 割と学校の授業以外の事も勉強しているので成績には反映されにくいが、フェリックスの知識の量は半端ではなさそうだ。勉強の他にはこれと言った趣味は見付けられなかったし、下手に勉強の事について話し掛けると自分の知識の浅さが露呈してしまいそうで嫌だった。つまり観察だけでは話のネタを見付ける事が出来なかった。
 ボイスや他のクラスメイトがスポーツに誘う事があったが、フェリックスはいつも断るか、「見るだけ」と言って参加しようとはしなかった。うちの学校には室内競技場が無いから、自然、運動は全て陽の当たる校庭で行われる。見物する時は日焼け止めを塗り直し、長袖の上着を着て、日傘を差して木陰で友人達が走ったりする姿を眺めていた。
 一緒にやればきっと強いだろうに。しかし行動が制限されている彼を、ブルーナは少し可哀想に思った。ブルーナ自身も太陽には弱い上に、心臓が弱くて運動は出来なかったが、彼女は特段スポーツが好きな訳でも無いので、自分を可哀想だとは思わなかった。
「なーに見てんのよ?」
「えっ」
 例の如く日陰から仲間の姿を眼で追うフェリックスを、教室の窓から眺めていたブルーナの隣に、ハンナがいきなりやってきて声を掛けた。
「…何驚いてんの?」
「い、いや、別に…」
 慌てて窓から離れようとしたがハンナがその腕をしっかり掴んで引き戻す。
「前から気になってたんだけどー」
 ハンナが声を落として囁いた。
「あんた、テイラー君の事好きでしょ?」
 まあそう思われても仕方が無い状況だった。ブルーナの視線に気付いていないのは、教室中でフェリックス本人くらいのものだった。
(そう思わせといた方が都合が良いかな…)
 例の計画の事はハンナにも秘密である。極秘に、と念を押されはしなかったが、べらべらと周囲に漏らして良い筈が無い事は言われなくても解っている。
「うーん、まあ、そうかも…」
「やっぱり? あたし応援するよ!」
「ありがと」
 ハンナが絡むと何か嫌な事が起こりそうな気もしなくも無かったが、親友の好意を無下には出来なかった。
「よし! あたし今日から一人で帰るね」
 ハンナはいつもブルーナと一緒に帰っていた。
「なんで?」
 意図を量りかねたブルーナが首を傾げる。
「決まってんじゃん。テイラー君、店の常連なんでしょ? 一緒に帰るのよ」
 そう言ってハンナがウインクした。なるほどその手があったか、とブルーナは感心する。
 ブルーナがこれまで学校で積極的に声を掛けなかった理由にはもう一つあった。他の女子の嫉妬である。当然あの容姿と頭脳だから、彼に想いを寄せる女子は多い。この一ヶ月の間にも、何度か呼び出されては女の子を泣かせて帰って来るフェリックスの姿を何度か見た。
「ヘイ兄さん、いつから告白を断るスキルを身に付けたんだい?」
 ある時ボイスが訊いた。
「今年度からだよ」
「へー。お前は女子の頼みは絶対断れないんだと思ってた」
 フェリックスは読んでいた本に栞を挟んで閉じると答えた。
「一回付き合って別れる時泣かせるか、付き合わないで泣かせるかのどっちかの違いだろ」
 ボイスがそれを聞いてニヤニヤ笑いをした。
「兄さんえらく成長しましたね」
 いつもは言い返すフェリックスが、この時は何故か口を閉ざしたままだった。

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